その三

『ところで・・・・』

 俺は安田氏が丁寧なお辞儀を何度かし終えて、ソファから立ち上がりかけた時、そう言って声をかけた。

『ついでですが、聞いておきたいことがありまして。貴方はその娘さんを探して、どうするおつもりなんです?父娘の名乗りでも上げるとか』

 彼は寂しそうに笑い、ポケットに手を入れ、何かを取り出した。

『まさか。言ったでしょう?あたしは認知をしただけだって、ただどうしても渡してぇものがありましてね』

 ポケットから彼が取り出したもの・・・・それは紫色のビロード張りの小さなケースだった。

 彼はそれを掌に乗せ、俺の方に差し出す。

『開けてみても?』

 黙って頷いた。

 俺はそいつを手に取り、蓋を開ける。

 中に入っていたのは指輪・・・・何の変哲もない、銀色のリングに、小さなダイヤモンドが載っている。

『初子に買ってやる約束をしてたんです。大したもんじゃありませんよ。街中の宝石屋で誰でも買えるような安物やすもんでさあ。もっと高いものをと思ったんですが、彼女が”そんなに高いものはいらない。私には似合わないから”っていうんで、これにしたんです。ところが渡そうと思っていたら、あれでしょう。つい渡しそびれちまってね。あたしが塀の中にいる間、こいつはずっと”あにいが預かってくれてたんです。でももう、初子はいねえ・・・・それでせめてこいつをあの娘に渡してやりてぇと、そう思ったんですよ』

 彼は何かいつくしむ様に、そのケースを撫でた。

『それなら何も私に頼まなくても、貴方がご自分で渡せばいいでしょう』

 答えは分かっていたが、俺はわざと知らぬふりをして聞いてみた。 

『勿論、そうしてやれりゃ一番いいんですがね。ただ、あっしを見て下さいな。

 前科者ぜんかもんのムショ帰り、しかもこれまで父親らしいことを何一つし

 てこなかった男ですぜ。そんな男がいきなり”俺がお前の父親だ”なんて名乗り出

 たって、向こうは驚くばかりでやしょう?それに向こうはあたしのことは多分何にも知らない筈です。今更どの面下げて会えますね?』彼はため息をつき、一杯になったガラスの灰皿から、吸いさしを摘み上げ、火を点けた。

『・・・・それに』

 彼は煙と共に言葉を吐き出す。

『それに?』

あっしはまだ追われているんすよ・・・・』

『追われているって、警察おまわりに?』

『いや、それよりももっとタチの悪い連中でさあ』

 一つはかつて安田氏がカチコミを掛けてもろともにぶっ潰した”組織”の残党である。

 まだその幾人かが隙あらばタマろうとつけ狙っているという訳だ。

 現に懲役つとめを終えてからも、数回襲われかけたという。

『確かにあたしは今はもう足を洗っていやすが、しかし奴らにとっちゃそんな事ぁ関係ねぇ。恐らくこの先もずっと付け狙われるこってしょう。しかし娘は何も知らねぇ。本当にカタギなんです。巻き添えにするわけにはいきません』

 彼はシケモクを灰皿に突っ込み、別のに火を点けようとして、激しく咳込んだ。

『もう一つは・・・・』彼がそう言いかけるのを、俺は手を上げて押し止めた。

『肺がん、それも末期ってとこですか?』

 安田氏は少し驚いたが、煙草をまた灰皿に戻し、素直に頷いた。

『医者が言うにゃあ、良く持ってあと1年かそこいらだそうです。鉄砲玉にられるのが早ぇか、それとも病気にられるか、どっちが先かは分かりやせんが、まあどっちでも一緒ですがね。だからあたしの目が黒いうちに、何とか娘にこいつを渡してやりてぇんです』


 彼はまた激しく咳込む。

 俺は黙って彼の手にあったケースを取り、ポケットにしまい込んだ。

『もう契約は済んでるんです。だから大船に乗った気で待っててください』




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る