第2幕 崩壊

 ――ガッ


 ボール役の子供の両腕が掴まれる。片方は千草に、片方はアナトリアに。自身と同じ動作をした千草を一瞥し、アナトリアは勢いよく片腕を引いた。

 刹那――少年の腕が、千草の手の中から抜ける。突風すら残しそうな勢いのそれに、千草の脳が回転するのは速かった。


「鎖よ――かの門を塞げ! 得点を許すなッ!」


 即興の詠唱と共に、片手をゴールの方向に伸ばす。同時、その手元から無数の鎖が伸びた。派手な音を立てて飛んでゆく鎖は次々とゴールポストに絡みつき、即座にゴールを塞いでしまう。


「――ッ!?」


 思わず足を止めるアナトリア、即座にその足元に数本の鎖が蛇のように絡みつく。


「えっ、なっ!?」

「鎖よ、かの女を縛れ――黒い棺、聖なる十字架の如く!」


 詠唱が早いか、鎖のもう片側がアナトリア側のゴールに絡みつく。伸縮自在の鎖は派手な金属音を上げながら、ゴールポストへとアナトリアを引きずって――


「ちょ、えっ、はぁぁぁぁあああああぁあああああ!?」

「うわぁっ!?」


 思わず素が出たのか、急に荒っぽい口調になってしまうアナトリア。同時に掴まれていた子供が手を離され、千草の鎖に巻き取られて回収されてゆく。


「うっ、うわぁっ……う、えっ?」

「大丈夫?」


 さりげなく子供をお姫様抱っこして、千草は柔らかく微笑みを浮かべる。子供の顔はボールに隠れて見えないけれど、それでも、その瞳は輝いているように思えて。


「……だい、じょうぶ」

「そっか、ならよかった。じゃあ、僕と一緒に行こうか。危ないお姉さんは転んで頭ぶつけちゃったみたいだから、安心していいよ」

「ほんと……?」

「そうだよ。よかったら、お兄ちゃんとお喋りしながらお散歩しない?」

「……うん」


 ゆっくりと頷く子供に微笑みかけ、千草は歩き出す。

 始まる前に呟いてみた『不殺チャレンジ』という言葉。早くも、それへの希望が見えてきたかもしれない。ふっと微笑みを浮かべ、彼はフィールドを横切ってゆく。


「そういえば名前、言ってなかったね。僕は千草。芝村千草。君は?」

「……マイケル。マイケル・カーター」

「マイケル、かぁ。よろしくね。お父さんとお母さんはどんな人?」

「えっとね、おとうさんはサラリーマン。おかあさんは、おうちでおりょうりしたり、おそうじしたりしてる。あとね、おねえちゃんがいるよ」

「そっかぁ。素敵な家族だね」

「うん!」


 子供改めマイケルは、子供らしい無邪気な動きで大きく頷いた。ボールのせいで表情は見えないけれど、きっと満面の笑みを浮かべていることだろう。千草も花がほころぶような微笑みを浮かべるけれど……だけど、その蛇のような金色の瞳の隅に、薄く影がかかった。


「……そっか……ちょっとだけ、羨ましいや」


 その声は薄暮のようで、どこか雲がかかった空のようで。マイケルは無邪気に首を傾げるけれど、彼はそれ以上は言葉を発しない。脳裏をかすめるのは、生活感のないマンションの一室。その片隅で、両手に持った人形をもてあそんでいた記憶。彼の笑い声だけが虚しく反響して……それでも、全く楽しくなんかなくて。


「チグサ……?」

「ん? あぁ、うん、なんでもない。気にしないで。ほら、着いたよ」


 話しているうちに、アナトリア側のゴールのすぐそばまで来ていたようだ。ゴールポストのすぐ下でマイケルを下ろすと、ボール頭をぽんぽんと撫でてみせる。


「もう大丈夫だよ。これからはこういうことに関わっちゃダメだからね。危ない人はいっぱいいるんだから」

「う、うん」


 頷き、人工芝に腰を下ろすマイケル。その足元が円形に沈み、フィールドから消えてゆく。幼いながらも自分の出番が終わったことがわかったのか、小さく手を振るマイケルに千草も手を振り返し、上空を見上げる。


(うんうん、この様子なら不殺チャレンジも十分いけそうだね。向こうさんには悪いけど、前半後半通して行動不能になっててもらおうかな、っと……!?)


 刹那、首筋を走る予感。青白い雷のような、とても嫌な予感。思わず顔を上げ、彼は蛇のような瞳を見開いた。金色が捉えるのは、先程ゴールポストに縛り付けたアナトリア。その体が、徐々に雷を帯びていって――。


「えっ、待って、嘘でしょ? ヤバくない……?」

「はぁぁぁぁあああああああああああっ!!」


 雷鳴。空気すら焼き切りそうな、電子の崩壊とでも言うべき現象。千草の髪の毛先すらも焼き切りそうなそれの中心にいるのは、赤と桃色の女性。


 ――『雷神のアナトリア』。


「うっわぁ……これはちょっと、ヤバくないかなぁ……?」


 笑みをひくつかせ、一歩下がる千草。そんな彼の金色の視線の先で、アナトリアの全身に絡みついた鎖が――一瞬で、弾け飛んだ。

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