最終話 GOOD LIFE!


【1月4日】(文一日本出発の5日前)


 例の渋谷のカフェ。

 知枝は文一との最後のデートで訪れたこの場所にいた。

 あの時と同じ、テーブル席で知枝はブラックコーヒーを口につける。


 そこにあの男が現れた。


「ここ空いてるか?」


 片手にカプチーノを持ったその男は、相手の返答を待たずして向かいの席へ座った。


「何の用?」


「あんたの彼氏から伝言を頼まれてな。──『君と別れたい』、と」


 カップルを別れさせる男、堂垣若ジャックはそう答えた。

 知枝は深く、ため息を吐いた。


「あなたには関係ないでしょ」


「そうか」


「あたしと文一の邪魔をしたいなら帰って」


「いや、“そっち”じゃねぇ」


 そっちって何よ、と知枝が怪訝な顔をする。


「あんたの彼氏ってのは、文一の方じゃない。“小林”だよ」


 知枝の顔は、ぞっとした顔つきに変わる。


「あんなことに巻き込まれたのは同情するが、お前も大概のクソ野郎と知ってたんでな」


「誰が言ったの? まさかあの男?」


「まぁ、奴の言葉に嘘は無ぇだろう」


 あの日、昼晴ナカトミホールのエントランスロビー。

 満身創痍で謝り続ける小林に、ジャックは言った。

 ──『けじめとして、知枝と別れろ』。

 それに小林は『分かっています。そのつもりです』と、要求を飲んでいた。


「──奴はお前を巻き込んだことを、最後まで悔やんでいた。健気だな」


「まさか? そんなストーカーの言葉を信じるの?」


「ああ。だが、その“様子”だと破局は成立したみたいだ」


「あの男が彼氏なんて……何を根拠に……」


 知枝は苛立ちを露わにし、そっぽを向くと親指の、ネイルの施した爪を口に強く当てた。

 ジャックがその仕草を見て言った。


「それだ。口に親指の爪を強く当てる、その仕草。……小林にもそれがあった。ストレスで爪を噛むという癖がな。──『シンクロニー現象』って知ってるか? 好意や信頼を持った相手としゃべり方や仕草が似ちまうって現象。お前の場合はネイルがあるから、爪を噛むことできなかった」


「…………はぁ!? そんなことで」


「そう、そんなことでだ」


 ジャックはカプチーノをすすりながら返した。

 自分と小林を繋ぐ証拠だとしても明らかに弱すぎる。そのことに知枝は呆れながら言葉を返し、


「何それ、ワケ分かんない」


 帰る支度を始めるが、ジャックが制止する。


「まぁ、待て。このまま近藤正歳達アホどもの裁判が来るとする。恐らく小林は根掘り葉堀り訊かれるだろう。無論、あんたらの関係のことも」


「……?」


「小林がどこまでお前を守れるか分からねぇし、奴が正直者なら、いずれ法廷でお前らの関係が暴かれる。……俺は裁判開始は1年以上先だと睨んでいる」


「……それが、なん……なの、よ?」


 知枝は明らかに動揺していた。


「だが、俺が先にお前と小林の関係を暴いた。物的証拠は無いが、いずれは全部かき集めて戻ってくる」


「まさか……何をする気?」


「運よくバレなかったり小林による偽証や黙秘があるなら、今後は希望は持てるだろうな。だがもし、それら全てを潰すカードがこっちにあったら? カップル祭の代表が浮気、ましてや相手が犯罪者。そんな事実が大学で広まろうものなら、お前の立場は俺よりも危うくなる。──キツい話だろ?」


「はぁ……!? あんたのそんなデマ、誰も信じないわよっ……!」


「どうだろうな。別に大学に限った話じゃねぇ。あいにく世間はゴシップを、公的なニュースと同等に信じる奴らばかりだからな」


 ──友人の為とは言え、すでに彼は他人の名誉を多少なりとも重んじる人ではなくなっていた。

 “この男が本当に逃げ道を断つ”。その可能性を前に、知枝は泣きそうになって吐露する。


「嫌よ……こんなのおかしい……寂しかっただけなのに」


 ジャックはかまわず、続けた。


「どうせ、変えは効くんだろう? 例えばカップル祭実行委員会のメンバー。お前を除いた全員が男で恋人持ちのセンパイだってことは調べはついてる。──また寝とればいい。もう俺はあんたらに手を出さねぇ。奴らに下心があったかは知らねぇが、相当チヤホヤされてたんだろ? “お姫さん”?」


「そんな! あの人達は大事なっ……!」


「何だ、そりゃ? つまり文一は大事じゃなかったと?」


「……っ!」


「──取引だ。裁判が始まるまでの間、せめて文一にはニューヨークで、自分の決めた道を全うしてもらいたい。あいつとは手を切れ。それだけでいい。言っとくが、俺からすりゃ『カップル祭の代表が破局した』で済んだほうが、どの道マシに見えるぞ」


 知枝は躊躇を見せる。が、しばらくすると死んだ目でコクリと頷いた。


「よし。それとだな……」


 ジャックは新しく買った、画面5.4インチ(ベゼルレス仕様)のスマホを使い辛そうに操作する。

 そして何かを読み上げた。


「『彼氏の知り合いがノラバだった、最悪』、 『この時期、恋人いないの可哀想過ぎて草』、 『イヴにデートできない人間じゃなくて良かった』、 『童貞と処女はネタにされて当然』、 『ノラバは負け組で社会のお荷物』……」


 ジャックがカプチーノをグイッと飲み干しながらスマホの画面を見せると、


「誰かのSNSアカウントだ。思想を改めることを勧めたいね」


 そう言って、知枝の前から去っていった。

 テーブルにあった知枝のブラックコーヒーは完全に冷めきっていた。



【1月9日】(文一日本出発直後)


 すでに大学は開校されていた。

 そして、いつもの部室はパーティーの飾り付けがされていた。

 その準備を途中だったのか、その装飾を施した汐音は作業を中断して、千咲と共に彼女のノートPCを見ていた。

 ──千咲に抱きつきながら汐音は、


「中々、ひどい内容ね」


 その“誰か”のSNSの投稿を見てつぶやいた。


「……これだけじゃないよ。肝心の“文一の束縛”なんだけど、……要約すると『帰ってきたら手を洗え』、『電車内で電話するな』、『店員に偉そうにするな』、『映画館での上映中、私語とスマホは駄目。静かに観て』とかばっかで……なんと言うか……」


「それは束縛なのかしら……?」


 2人は微妙な面持ちでノートPCを見ていた。


「というか、よくこのアカウント分かったわね」


「……まぁ、知枝のスマホの中身を見たし」


「は? え? いつ見たの?」


 事件終結後も知枝のスマホのPluetoothはオフだった。

 ──だが、渋谷の一件の日。あのカフェで知枝はテーブルにスマホを置いていった。


 時夫が店の奥で、朝に買ってきたグラスを割る。

 文一はそれに反応し、後方へ振り向く。

 その隙にジャックは、置いてある知枝のスマホを弄ると、コントロールパネルを呼び出した。

 Pluetoothがオンにすると、店内の別のテーブルでノートPCを開く千咲に情報が入っていった。


 ──「ぃよう、文一」「ジャックか……」


 あの日の時点で、スマホの中のデータから、小林と知枝の浮気を特定していた。


「じゃあ、その後もアイツが2人を調べていたのって……」


「……ハッキング以外の証拠を探っていた……と言うことになるかな」


 事実を知った汐音は、ハァ〜もう、と抱きつくのをやめ、


「アイツ、本当何も言わないんだから」


 と、つぶやきながら、パーティーの準備を再開する。 

 設置してあるスピーカーに音楽プレイヤーが繋がり、曲が流れ出す。

 その様子を見て千咲は、


「本当にパーティーなんてするの?」


25日このまえは事情聴取で、友達のクリパ参加できなかったのよ? ここでなら今更でもできるじゃない」


「──私は参加しないよ」


「もう、つれないわね……そうだ、年末に千咲ちゃんと同じゲーム買ったのよ!」


「えっ……」


「一緒にやりましょ? この前一人で何度かやったの!」


 そう言って、汐音はタブレットを出し、ゲームアプリの起動を始める。

 他機種でもクロスプレイ可能のゲームで、対戦や共闘も可能だった。


「……パーティーの準備は?」


「アイツらが帰ってきてからにするわ。──キルレート0.07なんだけど上手いかしら?」


「……聞かなかったことにする」


「いいから、ほら! ゲーム立ち上げなさいよ!」


「……もう、分かったから」


 まだパーティーの装飾が途中の部室。

 そう言って2人はゲームを始めた。

 いつしか流れている曲が終わり、音楽プレイヤーが次の曲をセレクトする。

 部室がoasisオアシスの『Whateverホワットエヴァー』で包まれた。



 昼晴大学の最寄り駅。その改札前で、空港から戻ってきたジャックを時夫が出迎えた。


「連絡来たと思うけど、汐音が部室でパーティーするって」


「まぁ汐音なら仕方ねぇ。イヴの借りもあるしな……付き合うか」


 ジャックと時夫は階段を登り、駅を出る。

 陽が差し込み、日光で照らされた道を歩き出す。


「わざわざ、迎えに? 講義はどうした?」


 ジャックが訊くと、


「今日は『一般教養』だよ。それと、駅前の本屋にも用があってね」


 時夫がそう答え、買ったであろう本を見せる。


「面白いのか?」


「いや、まだ読んでない。読まなきゃ解らない。──『百聞は一見に如かず』だろ?」


 ジャックは鼻で笑うと、そうだな、と返した。


「……今回、いや──いつもかな。あんまり役に立てなくてごめん」


「おい、何を謝ってる?」


「血のクリスマス事件で死にかけたとき、僕は君を待つことしかできなかった。今回も君をただ信じただけだった」


 ──そう、かつての殺人事件の生存者は、自嘲した。それにジャックは、


「信じて手を貸してくれるだけでも、ありがてぇもんだ。それにお前が役に立ったら、こっちの調子が狂うから良くねぇ」


 少しおどけて答えた。


「全く君は……」


「でも信じてくれていたんだろ?」


「いつも『きっと上手くいく』って思うようにしてる。これまでも、これからもね」


 そう明るく言う時夫に、ジャックは提案した。


「──そうだ、パーティーなら、パンを買っていくか。近くに美味いパン屋ベーカリーがある」


「本当?」


「ああ、本当さ。あそこには貸しがあるからな。きっと安くしてくれるぞ」


「貸し? 一体何があったのさ?」


「話すと長いが、まぁいい。……そのパン屋の主人にはオッドアイの娘がいてな──」


 そんな過去話をしながら、晴れた空の下、2人は大学へ向かう方向を変えて、パン屋へ向かう。

 まだ午前である。空には多くの雲が並びつつも青く澄み割っている。そしてそこに浮かぶ太陽は、隅々まで街を照らしていた。

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