第2話 どうも

 ぶえっくしょい

 くしゃみが出た。弾みで動いた体の下で、じゃりっと音がする。

 頭が重い。こめかみに手を当てると、その掌で目を押さえた。

 また、あの光が襲ってきそうな気がして怖かった。ぎゅっと目を押さえて、光がどこにもないことを確認すると、少しずつ力を抜いていく。手をかざしたままそっと、目をあけた。

 真っ暗だった。さっきは眩しくてたまらなかったのに、今度は何も見えない。

 停電………したのかな?

 雷はどこにおちたんだろう? まさか家ってことはないよね?

 一瞬、自分に落ちたのではないかと思ったが。別段体に痛みはないし、焦げた臭いもしない。むしろかびっぽい臭いがした。

 何かおかしい。

 何でこんなに暗いのだろう。停電にしても何も見えないこんな暗闇になるだろうか。

 それに、静か過ぎる。停電なんてしたら、すぐに家族が騒ぐはずだ。懐中電灯を探して、家の中を見回ったりするだろう。

 背に当たる硬い感触はなに?

 カビの臭いはどこから……。


「……っ!?」


 軽くパニックに陥りかけた時だった。

 私は目を見開いてそこを凝視した。

 遥か遠くにぽっと明かりが灯ったのだ。赤にも橙にも見えるそれは、形を変えながら、どんどんと大きくなっていく。


「なに……?」


 喉から自分のものとは到底思えない低い声が出る。

 その声にも驚いたが、今はそんなものに驚いている場合じゃない。

 ものすごいスピードで迫る明かりは、場所を移動するたびに、辺りを照らしてゆき、信じられない光景を私に見せていた。

 ごつごつとした灰色の岩肌。ばらばらの間隔で立てられている柱。所々に生えた苔。

そして

 角の生えたばかでかい獣。

 食べられるかもしれないという恐怖がわかなかったのは、その獣の口にはくつわがかませられており、長い鬣の間から、獣にまたがる人の姿が見て取れたからだ。

 ……多分、人。

 推定、人。

 希望、人。

 いや、やっぱ、違うかな……。

 鈍色の毛の向こうにちらちらと見える、その人型のものは、全身を固そうな鎧に包まれていた。

 唯一、鎧を纏っていない頭部に、にょっきりと生えた、捩れた二本の角さえなければ私はその人型の何かを、人間だと認識できただろう。

 タタンッ、タタンッ。と巨体に似合わぬ軽快な足音で近づいたそれは、私のすぐ側で急停止した。

 獣上の人型の角のある何かがぐぐいっと手綱を絞ったのだ。

 鞍に括りつけられたランタンがきらきらと光を放ち、辺りを照らしている。

 身動きもせず、声も上げず、人型の何かが、獣から降りるのを凝視していた。

 長い手足に驚くほど体にフィットした細身の鎧(脱ぎ着はどうやってするのだろう?)。髪と目は暗い赤色で、角は濃淡のあるクリーム色。

 切れ長の目の縁には何やら不可思議な模様の刺青が入っていた。

 呆然と己を見詰める私を、人型の角のある何かも、じっと見詰める。


「………………」

「………………」


 言葉もなくただただ見詰める。


「………………」

「………………」


 いや、もういいじゃん。

 無言のお見合いに早々に痺れを切らした私は、手をあげてひょこりと会釈をした。


「ども」

「……どうも」


 うおおおおおおお。言葉が通じた!?

 人型の角のある何かは、日本語を解する人型の角のある何かだった! 

 通じた、嬉しい! と喜んだその瞬間


 ――怒涛の混乱に襲われた。


 荒れ狂う、焦りと苛立ちと恐怖に体中を掻き毟りたいような訳の分からない衝動に駆られる。

 じっとしていると気が狂ってしまいそうで、私は跳ね起きると、不思議そうに首を傾げている人型の角のある何かに詰め寄った。


「何なの。何なの。あんた何なの!? ここどこ! 私どうなるの? 言っとくけど、顔は十人並みだし、寸胴だし、貧乳だし、あ、足には自信あるけどって何言ってんだ私。ウソウソ足も駄目だから、偏平足だし、脛毛濃いから処理を怠ると大変なことになるし、それにお尻にはまだ蒙古斑が残ってるの! それからそれから、家は別に金持ちじゃないし、身代金なんか出ないよ。一番上だけ本物であとは新聞紙の紙束持ってこられるのが関の山だから! あ! あとは、えーと、食べても美味しくなんかないからね! これだけは絶対! だって肉大好きだし、ほらっ、肉食の獣は食べても美味しくないって言うじゃない? それに添加物とりまくってるし、食べたらお腹壊す事請合いよ。食べるな危険! 超危険! んでから、えーとっ、えーとっ。そうそう! 頭も良くないよ! 一見よさそうに見えるらしいけどね。全然違うから。見掛け倒しだから! 記憶力パーだし、理解力は雀の涙を通り越してミジンコの涙だし、応用力0だし! だから浚って脅して悪の研究させようったって無駄もいいとこだから。こういうの何ていうんだっけ? あ、あれあれ。骨折り損のくたびれもうけ。分かる? 意味ないから、無理だから、徒労だから、水泡に帰すから! でもって、あなた男だよね? いや、雄って言ったほうが正しいのかな? あー、もうわかんない。わかんないけど、嫁にこいってのもないからね。うん、ないないない。本当にありえない。料理できないし、子供苦手だし、裁縫なんてやらせたら、布と指縫い合わせて血まみれになるからね! アイロンかけたらかける前より皺増えるって評判の腕前だから。片付けは………わりと好きだけど、必要なものまで捨てちゃって後で『あ~~~~~』ってなる事何度もあったから。大事なもの捨てられたくないでしょ? だったらやめといた方がいい! 絶対いいよ! ああ、そうだ! 大事! 大事な事忘れてた! 私、生理不順だから! そうすると、ほら、排卵期もいつかはっきりわかんないし。オギノ式なんてもってのほかだし、 安産体型とは程遠いし、多産の家系でもないし、生理痛きついし、だから、貴方の子供も絶対産めないと思う。種族違うしね。そんな角のある赤ん坊が通れる頑丈な産道はないから! だから、産めよ増やせよには向かないの! さらにさらに、私すっごい性格悪いのよ。自分で言うのもなんだけど、根暗。まじ根暗。一に根暗、二に根暗、三、四も根暗で五も根暗。貴方もその外見とダサイ……いえいえ、個性的なファッションセンスのせいで孤立して寂しいかもしれないけど、話し相手には到底適さないから。謙虚さを出したくて言ってるんじゃないからね。今日だってむかつく男の顔を思い浮かべて枕をサンドバックにしてたんだから。クラスメイトなんだけど、毎日毎日からんできてほんと、うざい。あー、もう思い出すだけでうざい。別に一人寂しく本を読んでようが私の勝手でしょ? 彼氏いそうになくてなんなのよ。そうよ。いないわよ。それであんたに迷惑かけたかってのよ。友達も少ないわよ。どうせ暗いわよ。だからって懐中電灯で照らす馬鹿がいるかってのよ。お前小学生かよ。つか、その懐中電灯どっから持ってきたのよ。まさか私に嫌がらせするためだけに、わざわざ家から持ってきたの。ばっかじゃないの ほんと馬鹿。救いようのない馬鹿。……って、あれ? 微妙に話がそれたけど、とにかくあのチャラ男を思い出すだけで一晩中、枕殴れるほど根暗で執念深いの! ほら、話相手にも異種族間交流の相手にも向かないでしょう!? んで結局、あんたは誰で、ここはどこ!?」


 思うままに喚きたてて、喉が痛み始めた頃、ようやく私はほんの少しだけ冷静さを取り戻した。

 口を閉じれば、静かになった空間にピチョンと水滴の音が木霊する。

 息切れして肩を上下させている私を、じーっと冷めた目で見ていた人型の角のある何かは、ふうとため息をついて、面倒そうに口を開いた。


「ここは久遠の洞窟で、俺は見てのとおりKAI。付け加えると、こんなナリなのは、ヤクシャを選択したからで、話し相手も、嫁も、求めてないし、金を要求するつもりも、あんたを食う気もない」


「……え?」


 何か色々と突っ込みどころのある言葉を聞いた気がする。


「あんた、今来たばかり? どうしてそんな格好をしている。装備は?」


 人型の……ああくそ、めんどくせえ。以下略でいいわ。は、人にはあらざる色の瞳を辺りにさまよわせた。


「来たって、どこに?」


 首を傾げれば、人型の以下略は煩わしそうに腕を組んだ。


「ここにだよ」

「ここってどこ?」


 人型の以下略のこめかみがぴくっとひくつく。


「あんた、人の話を聞いてなかったの? それとも馬鹿なのか? ここは久遠の洞窟だよ。くおんのどうくつ。分かった?」


 私は頷いた。


「久遠の洞窟ね。それは分かった。で、その久遠の洞窟ってどこにあるの?」


 人型の以下略は右手で顔を覆って大げさにため息をつく。


「ここは、リクドー・オンラインの中。久遠の洞窟は二週間前に発売された拡張パッチに入ってたダンジョンだ」


 人型の以下略は、日本語を解する頭の残念な人型の以下略だった。


「あんた、俺は頭がおかしいと思ってるだろ。俺も最初はそう思ったよ。つーか、あんたに会うまで思ってた


 今現在もおかしいんじゃ……。

 人型の以下略は、ため息をついて、乗ってきた鈍色の獣を振り返る。

 獣はトラにライオンのたてがみを植毛して、カラーリングして、角をつけて、大きさを3倍にしたような姿をしている。

 長いたてがみを指で梳きながら、人型の以下略は獣に寄りかかるようにうつむいた。


「あんた、さっきの話からすると、本当は女だろ? 自分の体が今どうなってるか見てみたら」

「どうって……」


 私は顎をひいて、自分の体を見下ろした。

 そして、


「な、な、な、なんじゃこりゃあああああああ」


 絶叫した。

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