第4話

 バートは切り裂かれ血のにじむシャツを一枚羽織っただけの子供の格好を一瞥すると、かすかに眉をひそめる。しかし、すぐにその表情を消して笑顔を浮かべた。


「よお、俺はバートだ。坊主の名は?」


 子供はしばらくバートの顔を眺めていたが、ややして小さく首を傾げた。

 バートの視線がチラリと私に向けられる。

 私は首を横に振ってそれに答えた。

 そういえば子供に名前を聞いていなかったし、私自身が名乗りもしていなかった。

 森を抜けるのに必死でそれどころではなかったうえ、街兵に引き渡すまでの付き合いだと思っていたのもある。


「訳ありか……。どこで拾った?」


 言いながらバートは子供を手早く診察していく。脈を取り、瞳を覗き込み、簡単な指示を出して子供が従えるか確認する。


「森の中で。ちょっと奥に入りすぎちゃった先で、この子が一人でいるのを見つけたから、とりあえず連れて帰ってきた。詰所に寄ったんだけど……」

「ああ、誰もいなかったろ」


 私の言葉を引き継いだバートはシャツを脱がそうとして、その手を止めた。


「続きは奥の部屋で見るか」


 大人の男なら、必要とあらば人目があろうが躊躇わずに素っ裸に剥くバートだが、この綺麗な子供を衆目のなか脱がすのはまずいと判断したらしい。

 「薬を揃えるから、先に行っていろ」と通されたそこは、白いベッドが一台ポツンと置かれただけの小さな部屋だった。壁には木戸の締められた小さな窓が一つ。室内に灯りがないため、ドアを開けたまま待つことにした。

 それにしても椅子や机はおろか、診察に必要であろうものも何もない。

 バートの元を訪れる客は、その多くが冒険者や力自慢の人夫だから、おそらくこの部屋は滅多に使われないのだろう。

 子供をベッドに座らせて待つことしばし、ランタンと毛布と、いくつかの瓶を下げたバートが入ってきた。


「服を脱がして、寝かせてくれ」


 言われるままに子供の服に手をのばしかけて、逡巡する。

 森の中で傷を確認するために服をめくり、嫌がられたのを思い出したのだ。


「あー、私出てよっか? 一人で脱げるよね?」


 そう言って踵を返そうとすると、途端に小さな手が手首に巻きついた。

 ――え?

 驚いて振り返る。


「あっ」


 子供は小さく声を上げて、パッと手を離した。かと思うと自分の行為を恥じるように俯いてしまう。

 私は子供が触れた手首を見た。妙な感情がじわじわと湧き上がるのを感じる。

 国では兄や一族の大人達に囲まれて過ごしていた。この街についてからも相手にするのはバートのような医術師やギルドを纏める老獪な元冒険者といった、煮ても焼いても食えないような狸親父ばかり。

 誰かに頼られたことなどなかった。

 食料を要求されて手渡す以外はこれといった触れ合いもなかったのに、ここにきてのまさかのデレ! ……いや、たんに食料庫と思われている可能性も否定できないか。

 サオ茸をもう一本握らせて、部屋を出るべき? と悩んでいると、バートがぽんと肩に手を乗せた。


「いてやれ」


 私は頷いてベッドの脇に控えた。


「さて、坊主。俺に脱がされるのと、この姉ちゃんに脱がされるのと、自分で脱ぐの、どれがいい?」


 バートが告げると、子供は素早く服に手をかけ、ベッドに横になる。

 ざっと子供の体に視線を走らせると、バートは持っていた毛布を子供の腰にかけた。

 触診の間、子供は嫌がることもなくじっとしていた。


「胸よし、腹よし。関節も問題なし……」


 小声でぶつぶつと確認しながら診察を進めていたバートだが、子供の頭に触れた途端うめき声をもらした。

 側で診察の様子を眺めていた私を振り返ったバートの顔には、なんとも言えない表情が浮かんでいた。


「お前さん、とんでもないのを連れてきやがったな」

「はい?」


 バートは子供の白銀の髪をかきあげて言った。


「見ろ。エルフだ」


 髪の下から現れた子供の耳は長く尖っていた


 エルフ−−人の国が力を持つこの大陸において、神聖なるホウリの森の奥深くに引きこもり、他者とは一切接触しない生活を送る種族

 その生活様式や文化は独特で、森との親和を尊び、精霊と対話する力を持つ。また膨大な魔力を有し、長寿であるがゆえの様々な貴重な知識を蓄えているため、列強もかの森に手をだすことはない。

 そして、彼らは人には使えない白魔法の使い手でもある。ゆえに……


「私たちの商売敵の!?」


 森の中で暮らし人界には出てこないエルフだが、どんな種族にも変わり者はいるらしい。

 ふらりと人間の街に現れ、あろうことか定住してしまった一人のエルフによって、その街の医術師、調剤師があっというまに職を失ったという恐ろしい逸話がある。

 だって、彼らは手をかざすだけでたちまち傷を治してしまうのだ。おまけに底なしの魔力を持っているものだから、一日に診られる人数も膨大なものとなる。

 ある時、その地を治める領主の城に招かれた件のエルフが、騎士達の鍛錬場に現れ、腕の一振りでその場にいた全員の傷を、きれいさっぱり治してしまったことがあるそうだ。

 城の医術師と調剤師は、なんと恐ろしい! と手を取り合って震えたとかなんとか……

 その気持ちはとてもよくわかる。


「も、森に返そう! 今すぐ!」


 手首を握られた時に感じたこそばゆいような気持ちは、綺麗さっぱり吹き飛んでいた。

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