「おいしい鉄の作り方・神さま編」―金屋子神話民俗館(島根県)


 和鋼博物館の南方約三十キロメートルに(財)日本美術刀剣保存協会のたたら場があります(日刀保たたら)。そこから約十キロメートルの山中に『金屋子かなやご神話民俗館』と『金屋子神社』があります。


 金屋子かなやご神は、たたら製鉄に関わる人々が信仰した鍛治の神です。


 火や製鉄にかかわる神さまは、実は日本に大勢いらっしゃいます。伊弉諾イザナギノミコト伊弉冉イザナミノミコトから生まれた火之迦具ヒノカグ土神ツチノカミとその眷属。八岐ヤマタノ大蛇オロチを退治して尾から剣を得た須佐之男スサノオノミコト。鬼退治で有名な吉備津キビツ彦尊ヒコノミコトなど。天孫系だけでなく、各地にその土地の神様がおられます。

 出雲地方に坐す金屋子神は、全国各地の金屋子神社の総本社にあたります。ここに伝わる縁起は、次のようなものです。


『鉄山秘書(鉄山必用記事)』天明4年(1784年)より――

 播磨はりま志相しそう岩鍋いわなべ(現在の兵庫県宍粟郡千種町岩野辺)というところに、高天原たかまがはらからひとはしらの神様が天降あまくだりされた。人々が驚いて如何なる神ぞと問うと、「われ作金者かなたくみ金屋子ノ神なり」と仰られた。人々に鍋や釜などの造り方を伝授したのち、「吾は西方をつかさどる神なれば、西方に赴かば良き宮居みやいあらん」と仰られ、白鷺に乗って旅立たれた。

 出雲国能義郡比田ひだ黒田くろだの奥にあった桂の木に飛来した神が、そこで休んでおられたところ、安部ノ氏正重という者が猟犬をつれて通りかかった。犬たちが光り輝く木の枝をみつけて吠え掛かったので、正重が如何なる者ぞと問うと、「吾は金屋子ノ神なり。今より此処に宮居して踏鞴たたらをたて、かね吹くわざを始むべし」とのたまわれ、その地に祀られた。――


 金屋子神社の勧請かんじょう年代は不明ですが、戦国武将・尼子経久あまごつねひさ幣田へいたを寄進した記録が十五世紀にあります。寛永3年(1791年)頃には、信仰は安芸・備後・美作・播磨・伯耆・石見などに及んでいました。

 絵姿では、桂の大樹の上で白鷺に乗って休む男神(『金屋子神社縁起絵巻』昭和12年)、剣あるいは宝珠をもつ女神が白狐に乗る姿(『金屋子神乗狐掛図』鳥取県広瀬町、島根県斐川町ほか)、恐ろしい三宝荒神の姿(『金屋子神社製鉄・鍛冶神掛図』、『鍛冶神掛図』岩手県立博物館、岐阜県垂井町、青森県八戸町ほか)などのバリエーションがありますが、おおむね女神とされています。

 (白鷺がいつ白狐に変わったのかは分かりませんが、稲荷神との習合や茶吉尼ダキニ天との関わり(本地垂迹説では稲荷神=茶吉尼天とされる)が推測されています)。


 金屋子神に関しては、いろいろと珍しい禁忌があります。


「金屋子さんは犬とツタ、麻が嫌い。藤とミカンは好き」:鳥取県日野町では、桂の木に降りた金屋子神が犬に吠えられ、ツタにつかまって逃げようとしたところ、ツタが切れて犬に噛まれて亡くなった。鳥取県飯石郡では、ツタではなく麻苧あさおに絡まって亡くなった。仁多郡では、ツタは切れたが藤のツルにつかまって(あるいはミカンの木に登って)助かった。――などと伝えられています。こうした理由から、たたら場に犬を入れてはいけない、道具に麻苧を用いてはいけない。桂は御神木で、祭りにはミカンを供えることとなっています。


「金屋子さんは女嫌い」:金屋子神は女神(醜女しこめ)なので女性を嫌うとされ、たたら場は女人禁制でした。月経や出産も嫌うといいます。美しい女性を嫌う一方、オコゼを好む(醜い魚なので)とされています。


「金屋子さんは死体が好き」:鉄がどうしても湧かないときは、高殿の押立て柱に死体をたてかけました(仁多郡)。安芸・山県郡では人が死ぬとたたら場で棺桶を作り、備後・双三郡では葬式の際に棺桶を担いでたたら場の周りを歩いたそうです。


          ◇

 

 たたら製鉄を行う鉄師たちの住まう集落を「山内さんない」と言います。

 たたら炉が設置された高殿たかどの、炉から取り出したけらを冷却する鉄池かないけ、鉧を砕く大小の場、鋼を選別する鋼造かねつくり場、ずく歩鉧ぶげらを製錬する大鍛冶場、炭小屋、米倉などがありました。さらに砂鉄を清洗する洗い場や、たたら製鉄に関わる人々が信仰した金屋子かなやご神の祠、職人とその家族が住む住居が集まっていました。

 山内は、砂鉄と燃料の木炭と生活用水が確保でき、生産した鉄と鋼、食糧などの輸送に便利な場所を選んでつくられました。

 山内の人々は(人口は一〇〇〜二〇〇人程度だったようです)農村を地下じげと呼んで自分たちと区別し、治外法権的自治を行っていました。暮らしは楽ではなく、村下むらげ炭坂すみさか、鍛治大工といった技術者には扶持がついていましたが、ふいご踏みの番子などには無宿者も多かったようです。

 代々たたら場で山子やまこ(炭焼き)を行い、現在も菅谷すがやたたら(雲南市吉田町。現存する唯一の高殿で、国の重要有形民俗文化財)周辺に暮らす方は、「ぼくらは山賊の子孫です」と仰います。渡り者や兇状持ちさえ含む技術者集団を使うのは、確かに「アラシゴト」でした。


 たたら炉のホド穴から内部の鉄の状態を覗きみる村下は、現代のような防御ゴーグルのなかった時代、1,500℃以上になる鉄の熱で次第に片目の視力を失ったそうです。このため、たたら神には隻眼が多く、「火男ひおとこ=ひょっとこ」や「一つ目の鬼」の伝説となりました。

 吉備国に住んでいた温羅うらという鬼は、吉備津彦尊に片目を矢で射られて成敗されました。温羅は渡来系で鋳物を作っていた阿曽氏と関わりがあり、その首は吉備津神社のかまどの下に埋められました。

 丹後国大江山の酒呑童子は、麓の村から人をさらう鬼でした。周囲と隔絶された鉱山の労働者が鬼とみなされたという説があります。そこには犯罪者もまぎれていました。また、武蔵坊弁慶の母は、熊野神宮の鍛冶屋の娘だったと伝えられています。酒吞童子と弁慶がいずれも不死身の「鉄人」と称されたのは、鍛冶との関係を思わせます。

 農村とは異なる文化をもつ鍛冶の人々を、里人が恐れ敬い、そういう伝説を生んだのでしょう。


          ◇◇


 安来市広瀬町西比田の『金屋子神話民俗館』には、金屋子神話と、たたら製鉄の作業内容や山内の解説、集落を再現した展示室があります。

 門脇俊一氏が描いた『金屋子神社縁起屏風』。炭焼きによる「山子祭り」や、鍛冶・鋳物師による「吹子祭り」の様子。この地方に伝わる民話や伝説(「炭焼き小次郎」「天から降ってきた吹子」「鍛冶屋の姥」など)。各種民具の実物と映像による展示が充実しています。

 

 金屋子神話民俗館のすぐ近くに、金屋子神社があります。桂の御神木がそびえる参道には、各地のたたら場から奉納された巨大なけらがならび、白蛇伝説のある御池のさらに上に本殿があります。全国の製鉄関係者の信仰を集める神社です。明治時代までは、各地の村下たちがはだしで参拝し、境内の籠殿こもりでんで身を清め、良鉄の生産を祈願しました。

 現在も春秋の例大祭に合わせ、「日刀保たたら」から約十キロメートルの参道を、村下と中国地方でたたら体験を行う団体のみなさん、和鋼博物館の職員さん、日立金属安来工場の方たちが、「はだし参り」を行い、製鉄の安全操業を祈っています。


          **


金屋子神話民俗館HP:http://www.wakou-museum.gr.jp/hirose/

金屋子神社:安来市観光協会HP:https://yasugi-kankou.com/see/652/

      JR西日本 山陰いいもの探県取材紀行:https://sanin-tanken.jp/tankenki/vol-89


参考図書:

「たたらの守護神 金屋子神解説のしおり」鉄の道文化圏推進協議会・編

「自然と人間の共生へ…」金屋子神話民俗館・編

「絵図に表された製鉄・鍛治の神像」金屋子神話民俗館・編(谷口印刷)

「鉄人伝説・鍛治神の身体」金屋子神話民俗館・編(谷口印刷)

「鉄のまほろば―山陰 たたらの里を訪ねて」山陰中央新報社・編 / 発行

「出雲国風土記(全訳注)」荻原 千鶴(講談社学術文庫)

「古代の鉄と神々」真弓 常忠(ちくま学芸文庫)

「ケガレ」波平 恵美子(講談社学術文庫)

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