第32話 王太子の器


 

 幸いなことに大広間はすぐに落ち着きを取り戻した。

 怪我人はごくわずか、しかも軽傷者ばかりらしく、実質被害と言えば大きな花瓶とテーブル、それにシャンデリアが壊れてしまったことくらいだろう。


 蝋燭の火も燃え広がることはなく消し止められ、残っているのは焦げた匂いだけだ。警護についていた騎士たちがキビキビと働き、貴族の子女たちはほとんどが呆然とした様子でただ成り行きを見守っている。


 これは事故だ。

 タイミング的には最悪だったし、エミリア王女の歓迎の宴としては失敗だとしても、それでも『事故』ならどうとでも取り返しがつく。『暗殺』よりは格段にマシなことは間違い無い。

 今この時点で『暗殺者』の存在に気付いているのは私と、もしかしたら中庭の騎士たち、それから黒猫のブランくらいだろう。ノエルがやってきた時にはすべて終わっていたから、彼にもおそらく気付かれていない。そう信じたい。


 それにしても、どうして黒猫のブランがこんなところに?

 もしかしてあれは幻だったとか?




「静粛に! 王太子のお言葉がある!」


 未だ騒然とする大広間に、先触れの声が響いた。

 これには招待客の貴族たちも任務をこなしている騎士たちも驚いたらしい。一斉に上座に注目が集まり、ユリウス王子とエミリア王女が再び大広間に現れる。背後にはエミリア王女の従者バルディさんと騎士数名を従えているけれど、特段警戒している様子ではない。


「皆、怪我はないだろうか」


 静かだけれど、良く通る声が広間に響いた。


「我が城の老朽化は深刻なようだ。皆を驚かせてしまったこと、危険にさらしてしまったこと、宴の主催者として申し訳なく思う」


 そう語りかけてから、隣に立つエミリア王女に向き直る。


「そしてエミリア王女、クラティア王国王太子としてお詫びしたい。歓待の宴にこのような事故が起きたのはすべて僕の責任だ」

「何を言う。我がリデルフィアの城などこの人数を入れれば床が抜けるやもしれぬぞ――、こたびのことは災難ではあったが、大きな怪我をした者もおらぬようで何よりじゃ」


 二人の声があまりに落ち着いていたので、残っていた貴族たちも落ち着きを取り戻したらしい。そのまま大広間をぐるりと巡る王子と王女に、次々に礼をとる。

 なるほど、お二人が無事なうえ、エミリア王女も気にしていないことを表に見せておけばリデルフィアとの関係も険悪にはならないだろう。バルディさんがやや不満顔なのは、これでクラティアに一つ貸しを作りたかったからかもしれない。


 だけど、エミリア王女はこうしてわざわざ姿を現した。

 もちろんシャンデリアが落ちたのはクラティアの不手際だけど、普通はそこまで想定して準備などしないから、これで穏便に『不慮の事故』として処理できる。


「エミリア王女の寛大な言葉を聞いただろう」


 広場の中央あたりにさしかかり、ユリウス王子が再び声を張った。


「我がクラティアとリデルフィアの同盟は今や盤石だ。皆もそれを心に置いてほしい」


 王太子の言葉に、広場にいる者は今度こそ正気を取り戻し最上級の礼をとる。

 ああ、完璧だ。あるべき理想の王太子がここにいる。この事故がユリウス王子を貶めようと意図されたものだとしたら、完全に逆効果だ。




 私は、といえばあのバルコニーの近くでノエルと一緒だった。

 ほどいていたリボンはノエルに手伝ってもらってほぼ元通りに結んでいる。リデル・ブルーはもう見えていないはず。


「さすがでしたね、ユリウス王子」


 二人がゆっくり広場をまわってから退場すると、ようやく礼を解いたノエルがため息に乗せるようにそう呟いた。


 うん、私もそう思う。

 もっと内向的で大人しいイメージだったけれど、エミリア王女と一緒にこの場を納めたり、残っている者たちを気遣いねぎらいさらに前向きな未来を示したり、王太子として充分過ぎる存在感だ。


「ええ、お二方ともお元気な姿を見せて下さって、安心したわ」

「災難のあとでも後味が良いですよね」


 ノエルの言い方が可笑しくて横目で見上げると、示し合わせたようにノエルも私を見ていた。ほんの少し唇をとがらせて、もの言いたげに首を傾げている。


「ノエル、お仕事に戻っても良いのよ?」

「いえ、俺の仕事はやっぱりアリス様の護衛ですから」

「あとは邸に戻るだけだもの、心配ないわ」

「――アリス様は目を離すと何をやらかすかわかりません」


 一気に声が低くなった。

 あれ、なんか不穏だぞ?

 落ち着こう。ひとつ瞬きをして、きょとんとした顔、きょとんとした顔!


「な、何のことかしら」

「ごまかさないでください。あれは一体何者です?」

「アレって?」

「ごまかしてもダメです。どうしてアリス様が襲われていたんですか?」


 珍しく譲る気のないノエルの声に、うまくきょとん顔を保てない。

 やっぱり見られていたのかぁ。

 でも、どこからどこまで? 

 それがわからないので、すぐには返事もできない。


「待って、本当に誤解なの」


 誤魔化そうとなんとかそう言うと、ノエルは少し拗ねたような顔で歯を食いしばってから、ドキリとする掠れた声で囁いた。


「ちゃんと話を聞くまで、今日は絶対にお傍を離れませんから」


 ひえっ、やだ、ノエル、かっこいいかも……ではなくて!

 なるほど、元気な仔犬ちゃんとみせかけてこのギャップ、これが主人公たる所以かあ。たいていの女子がコロッと落ちるわけだよ。かく言う私も正直一瞬揺らぎましたもの、あぶないあぶない。


「そんな怖い顔しないで。あのね……実は、私の一存では話せないことがたくさんあるの」


 しおらしく困った顔をしてみせると、頑固なかたちに結ばれた口元がほんの少し緩む。基本お人好しなのだ、この青年は。

 よしよし、とっかかりとしては悪くないぞ。ノエルの人の良さにつけ込んでいるようで少し心が痛むけど、さすがに前世の話やゲームの話を簡単に打ち明けるわけにはいかない。


「それは、ニコラス様やアーサー様の任務に関わることですか?」

「ええ、それもあるわ」


 頷いて見せてから、私はもう一押ししておくことに決めた。

 任務だけではなく、身内以外に詳しい事情を話せない理由。


「だけどそれだけじゃなくて、これは我が伯爵家の秘密でもあるから、軽々に話すことはできないの。決してノエルを信頼していないわけではないわ、それだけは信じて」


 この点については何一つ嘘はない。

 ノエルはじっと私を見つめてからひとつ、ふたつ瞬きをして、息をついた。


「アリス様はずるいです」

「ずるい?」

「そんな顔をされたら、これ以上追求できなくなりますよ」

「あら、それはお互いさまだと思うけど」

「お互いさま?」

「私だってノエルに頼まれたら、本当はなにもかも話してしまいたくなるもの」


 それでも話せないものは話せないのだ、と言外に念を押して小さく笑うと、ノエルもようやく表情を和らげた。背高のっぽの赤毛の青年が何か言いたげに口を開きかけたとき、視界の隅から、騎士がひとり近づいてくる。


「失礼いたします!」

「え、」

「何かしら」


 気付いてなかったらしくノエルが慌てて振り向き、私は淑女らしく小首を傾げてみせた。おそらく知り合いなのだろう、騎士は一瞬だけノエルの顔を見てわずかに顎をひいて笑みのような表情をみせる。

 だけどすぐにピンと背筋を伸ばして、彼は騎士らしくはきはきと用件を述べた。


「失礼いたします。お帰りの前に確認したいことがございますので、差し支えなければお時間をいただけますでしょうか」

「まあ、私に?」

「いえ、念のため会場に残っておられる方々にはすべて、確認をさせていただいております!」


 そう言われては、もちろん断る理由はない。


「承知いたしました。ノエル、あなたは騎士団のお仕事に戻ってもらって……、」

「いいえ、絶対アリス様から離れません」


 ノエルがきっぱり言い切った。


「あなた、けっこう頑固よね」


 呆れたので思わずそう呟くと、使いに来た騎士が今度こそぷっと吹き出してすぐに真顔を取り繕う。やっぱり二人は顔見知りらしい。


「失礼しました、ではこちらへ」


 あら、別の場所に移動するのね?

 どんな“確認”なのか一抹の不安が残るけど……もちろん否という選択肢は無いのだ。






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