「……何が目的だ」


 疲れきり、言葉をつくろう気にもなれなかった。

 母を奪われ、武士としての未来を奪われ。自分を肯定してくれる、たった一人の少女に固執こしゅうしていた自分が、あまりにも惨めでつまらない存在のように思えて仕方がない。

 俺は打ちのめされた。完膚かんぷなきまでに、叩き伏せられたような心地だった。

 しかし、奈落の目的は俺の本心を暴き立てることではないだろう。そのためだけに、危険をおかして俺に関係する人々を抹殺したとは思えない。


「俺の命が欲しいか? 俺を破滅させたいか? 何だって甘受かんじゅするさ、俺はお前に対して許されない仕打ちをした。お前が俺を恨んでいるのならば、好きなようにけ口とするが良い。俺にはもう、まともな味方などいないのだからな」


 やけくそになった訳ではない。相手が奈落──いや、天花でなければ、このように恥をさらすこともなかった。

 要するに、俺は贖罪しょくざいを求めたのだ。奈落が俺を裁いてくれるのだと信じて、それを待っているだけなのだ。

 他力本願にも程がある。俺は、罪を認めていながらも、自分自身であがなう自信がなかった。どのようにすればこの罪がつぐなわれるのか、わからなかった。

 これ以上、奈落に手を汚させたくない。そう思いながらも、俺は彼女に首を差し出している。自分で腹を切る覚悟さえない俺は、年端もゆかぬ少女にすがりつくだけでは飽きたらず、罰を求めようとしているのだ。

 何という傲慢ごうまんだろうか。俺は自分自身に羞恥しゅうちを覚えた。

 奈落は、乗り出していた上半身をいつの間にか戻していた。そして、項垂うなだれる俺を無感情なままに見つめる。


「……では、骨をくれ」

「骨……?」

「兄の──さんの遺骨があるのなら、どの部位でも構わないから私にくれないか。白子とはいえ、あの方も人だ。私たちと同じ、人なんだ。ならば、兄も人としてほうむってやらなければならないだろう」


 至極真面目な顔で、奈落はそう言った。

 燦の遺骨。それを求めるためだけに、奈落は俺を捜していたというのか。そのようなもの、何処にあるかなど──奈落なら、知っていそうなものだというのに。


「……何故、俺が燦の遺骨を所有していると思った? 俺を捜していたのなら、俺が何を売りさばいて今の地位を手に入れたかなど、すぐに知れようものなのに……」

「…………」

「もしや、お前は会わなかったのか? 白子の体の一部を買い取った者たちに」


 何というくずだろう。俺はまだ、奈落を追い詰めようとしている。

 奈落は僅かに目をすがめた。聡明な彼女のことだ、俺の言わんとするところは理解しているだろう。


「白子とは、時に神聖なものとされる。白蛇などが良い例だな。だが、それは人ではないモノという観点においての話だ。人は白子をおそれるが、それは純粋な尊敬から来るものではない。白子はあくまでも、人ならざる生き物──あやかしや妖怪にも近いものなんだよ、奈落」


──だから、万病に効く薬にもなる。

 燦が死した後、俺はその遺体を預かった。そして、秘密裏に処理した──と表向きには公表したが、実際のところは違った。

 白子には、他に活用法がある。たとえ死んでいたとしても、その体には十分な価値があり──たとえ武家の身分を捨てても差し支えがない程の大金を手にすることが出来た。


 だから、売った。白子の死体を解体して、その肉や骨を売り捌いた。


 私怨はない。純粋に、利益を求めての行動だった。

 いくら日ノ本を二分する戦があったとはいえ、死体の処理というものはなかなかに手間がかかる。その手間を省き、尚且なおかつ資金を手に出来るのなら一石二鳥だ。

 外道と蔑まれるべき行いだと、理解はしていた。しかし、その時の俺は至極冷静に、それが最善なのだと信じて疑わなかった。そうでもしなければ、御上おかみ──当時はまだわからなかった、青野原の戦における勝者から難癖を付けられるかもしれなかったのだ。

 だから、燦の遺骨はその肉を買った者たちの手に渡った。ごみとして廃棄されていても可笑しくはない。彼らが求めたのは白子の肉であり、埋葬するための遺骨ではないのだから。


「…………」


 奈落は黙って熟考しているようだった。先程から、一言も発することはない。

 彼女から嫌われるのは堪えたが、それでも無関心でいられるよりはましだと思った。

 奈落が俺を憎み、鉄槌てっついを下してくれるのならば、それに甘んじよう。死ぬる覚悟ならば、とうに出来ている。

 奈落が顔を上げる。其処にどのような表情が浮かんでいるのか、俺は気になった。

 怒っている? それとも悲しんでいる? かつて、燦を殺した俺に燃えたぎらんばかりの怒りをぶつけてきた彼女のことだ。今は憎悪たっぷりの顔付きで、俺を睨んでいても──。


「知っているよ」


 可笑しくはないと、そう思っていた。

 違う。違った。奈落は、俺を憎悪などしていない。


 奈落は、笑っていた。柔らかく、微笑んでいた。


 純朴な笑顔なら、大輪の花のような笑顔なら、いくらでも見てきたはずだ。天花は、俺の前ではよく笑っていたから。

 だが、このような顔は見たことがない。慈愛に満ちた、一歩退いたところから眺めているような──いつくしみによる微笑みを見たのは、これが初めてだった。

 無表情の剥がれ落ちた奈落の、何と美しいことか。相手が奈落でさえなければ、俺は手を合わせて拝んでいたかもしれない。


「神母坂常若。貴様を捜す道中で、ある商人によって白子の肉が闇売買されていることを知った。それが誰であるか、察するのは容易だったよ」


 しかし、と奈落は否定する。


「貴様は持っているのだろう? 兄の頭蓋ずがいを。どれだけの大金を持ち掛けられようとも、髑髏しゃれこうべだけは手放さなかったと──そう語る者が、何人もいた。今も貴様は、兄の頭蓋を手元に置いている」

「ど……どうだか。既に何処か遠くへ埋めてしまったかもしれないぞ」

「それはない。貴様に、兄の頭蓋を手放す覚悟があるとは思えない。だって、そうでもしなければ、私と貴様を繋ぐよすががなくなってしまう」


 そう──その通りだ。

 天花が俺のもとに戻ってくる確証などなかった。もしかしたら、たとえ生き延びていたとしても、天花としての生を捨てて慎ましく、それでもささやかな幸せを享受するかもしれない。そう思うだけで、俺の中には漠然ばくぜんとした不安が生まれ、霧のように視界を覆い尽くした。

 天花を引き付けるには──別れの原因となった燦を使うしかないと思った。


「貴様には、寂しがり屋なきらいがあるようだからな。母も足利という主家も手放して、他に頼るものがなくなって……そのような状況に耐えられるとは考えられなかった。だから、私は兄の頭蓋をもらってやるために、貴様を捜すことにした。放っておいたら、貴様は発狂でもしてしまいそうだったから」


 尊大な口振りだった。それなのに、何故だかそれはあたたかい。

 図星を突かれて、俺は何も言い返せなかった。ぐうの音も出ないとは、このような状況を言うのだろう。

 再び天花と相見あいまみえるためにと、どれだけの大金を積まれようとも燦の頭蓋は手放さなかった。それだけ、俺にとって天花とは大きな意味を為す人だったのだ。俺は彼女がいなければ、己を肯定することも、己が生に意味を見出だすことも出来ないのだから。

 気付けば、俺は立ち上がり、背後の棚に置いてある木箱を手に取っていた。その中には、羅紗らしゃにくるまれた髑髏──燦の頭蓋が入っている。

 これを奈落に手渡せば、彼女が俺のもとへ来る理由がなくなってしまう。もう二度と、奈落には会えないかもしれない。

 そうわかってはいながらも、俺は木箱を彼女に差し出していた。そうしなければならないと、体の内より義務感のようなものが生じていたのだ。


「人として、埋葬してやってくれ」


 このようなことを言う権利など、俺にはない。

 俺は燦を人とは思っていなかった。あれは白子だ。人のようでいて、人とは一線を画するモノだ。そう、自分に言い聞かせてきた。

 だが、最早限界だった。罪悪感を覚えない訳ではなかった。


夜毎よごとに夢を見るんだ。燦が、俺を殺しに来る夢を。血まみれで、先程のお前のような──能面のような顔をした燦が、刀を構えて俺を斬り殺しにやって来るんだ」


 情けない声だった。

 俺は、震える声で奈落に語った。七年間己をさいなんできた悪夢を。


「あいつの頭蓋を手放したら、悪夢から解放されるとも思った。だが、俺は、お前と離れるのがどうしても耐えられなくて……。ずっとずっと悪夢を見ながら、それでもお前を諦めることなど出来なかった」

「うん」

「許されないことだと、わかってはいたんだ。あいつも白子なだけで、等しく人だったのに……それなのに、畜生のように扱ってしまった。あいつにも、意思があったはずなのに」

「うん」

「俺を裁いてくれ、天花。お前には、その権利がある」


 相手は奈落であるはずなのに、俺は知らず天花の名を呼んでいた。

 天花から平穏を奪った報いを。何も知らず、抵抗する術を持たなかった彼女を傷付けた報いを。俺は、受け止めなくてはならない。

 ただひたすら聞き役に徹していた奈落は、何も言わずに立ち上がって俺の首に手を回した。そして、そっと額を俺のそれと合わせる。


「私に貴様は裁けまいよ。言っただろう? 天花は、もうこの世の何処にもいないのだから」

「ならば、お前が裁いてくれ、奈落。俺は、このままでは」

「貴様も私と同じように、神母坂常若を殺せば良かったんだ。過去のしがらみから逃げたとて、誰もそれを責められない。貴様の人生は、貴様だけのものなのだから」


 でも、と奈落は目を細めて笑った。


「若君のそういう真面目なところ、ずっとずっと好きだったよ」


──天花。

 今、目の前にいるのは。紛れもなく、かつての天花だ。


「おやすみ、若君。もう、私なんかをかせにしないで、楽して生きて良いんだよ」


 首筋に、ちくりと何かが刺さる。

 毒だろうか。何だって構わない。天花から与えられるものであれば、それだけで価値あるものなのだから。

 急激に、視界が歪んでいく。俺は迫り来る暗闇に抵抗することなく、天花の腕に抱かれながらまぶたを下ろした。

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