私は、天花様のことがあまり好きではなかった。

 いつも常若さんの近くにいて、何も知らず、無知なまま育ち、手に入れられない人もいるかもしれない幸せを当たり前のように享受している。そんな彼女が、気に食わなかった。私よりも先に死ねば良いと、一度も思わなかった──とは、舌が割けても言えない。

 それでも、常若さんが天花様を生かすというのなら、それに従おうと思った。

 責任を取らせると言って自分の母上は切腹したのに、天花様のことは何の咎も課さずに毛利氏の本拠である安芸へと送るなんて、一体どのようなお考えなのだろう。常若さんの母上は、天花様に殺されたようなものなのに、どうして彼女を許すことが出来るのだろう。


 そう思っていた矢先、白子殿が倒れた直後──天花様は現れた。


 伏見の水運を用いて護送する手筈だった天花様の登場に、誰もが驚き戸惑ったと思う。常若さんも、この時ばかりは目を見開いて、天花様を凝視していた。

 天花様は呆然とした表情で、真っ赤に染まった白子殿を見下ろした。白子殿までとはゆかずとも白くてきめ細やかな肌が色をなくしていく様は、きっと常若さんには痛ましく見えたことだろう。

 けど、私はそう思わなかった。ざまあみろと思った。


「な──にが、あって」


 このようなことに、と天花様は呟いた。

 彼女は知らないんだ。片割れが何を仕出かしたのか。どうして常若さんがこのような後始末をしなければならなくなったのか。全く、知らないんだ。

 羨ましい。血を、死体を見て、あんなにも怯えられるなんて。血なまぐさい光景に、慣れることがない日常を送れるなんて。


「その白子は、人を殺した」


 答えなくても良いのに、常若さんは律儀にも説明を始めた。


「豊臣家に関する人を。お前の生命線とも言える使者を。その白子は斬った。斬って殺した。故に、処断しなければならなかった」

「私の、生命線」

「お前の命は、許しを得て生きている。お前は知らないだろうが、双子は生きることさえ拒まれる存在だ。天下を治めるお方の許可がなければ、お前も──」


 全て、常若さんが言い切る前に。

 天花様は動いていた。

 だん、と床を蹴ったかと思うと、彼女は常若さんの前までおどり出た。武術を習ったことはないと聞いていたし、体を動かすのも苦手なご様子だったのに、それを感じさせない程の身のこなしだった。

 天花様は、普段浮かべない凄絶な表情で常若さんを睨み付けたかと思うと──。


 常若さんの横っ面を、握った拳で殴り飛ばした。


 常若さんは、避けなかった。

 天花様の惰弱だじゃくな鉄拳を、彼は真っ向から受け止めた。


「──ふざけるなッ!」


 腹の底から出したのだろうと、すぐに予想出来るような怒声だった。

 天花様は肩をいからせ、荒く息をしながら、憤怒の形相で常若さんを見ていた。彼のことを、悪者だとでも言うように。

 それが、腹立たしくて。気に食わなくて。

 私は、天花様がいる、目の前で。


 白子殿の首を、引き抜いた。


 私には容易たやすかった。細い白子殿の首は、皮が破れ、肉が千切れ、骨が砕けて、とても持ちやすい大きさになった。

 あ、と天花様が口を開ける。その目が、真ん丸に見開かれて。

 

 凄まじい絶叫がこだました。


 例えるならば、生きたままはらわたを引きずり出されているかのような。皮膚を削られているかのような。指を潰されているかのような。体の端から、挽き肉にされているかのような。

 まるで──自分が痛め付けられているかのような、慟哭どうこくだった。

 天花様は、狂ってしまわれただろうか。あれだけの絶叫を、私は聞いたことがなかった。だから、彼女は正気を失ったものかと思った。


「──乙葉!」


 常若さんの、珍しく焦った声が響いたかと思うと、目の前に天花様の顔があった。

 彼女は鬼神のような表情で、必死に手を伸ばす。その腕を取って、私は関節を外した。


「────!!」


 今度は痛みによる悲鳴を上げて、天花様の体は支えを失ったが如くふらりと倒れた。

 私は何故か手を離してしまった。天花様に触れていては、きっと良くないことが起こると思った。

 床に叩き付けられそうになった天花様を、常若さんが咄嗟に支える。見たところ、気を失っているようだった。目を見開いたまま、ぴくりとも動かない。


「……この屋敷には座敷牢があったはずだ。其処に入れておけ」


 天花様のまぶたを下ろし、肩を戻してやってから、常若さんは彼女を私に手渡した。その声は、硬く強張っていた。


──この人、怒ってるんだ。


 天花様を傷付けられて、彼は怒っている。口にも顔にも出さないけど、気配でわかった。私は天花様に負けたのだ。

 そう思うと、悔しくなった。目の前が真っ赤に染まって、上手く視界が定まらなかった。

 確か、はい、とうなずいたはずだ。そして、外で待たせていた部下と合流した。其処までは、常若さんの命令通りだった。


──其処までは。


 私は部下たちに、天花様を奴隷として南蛮商人に売るように命じた。半ば脅したと言っても良い。彼らが帰ってくる前に先回りして殺し、証拠を隠蔽いんぺいした。

 そして、常若さんには、部下たちが金目当てに天花様を売りましたと言った。その罰として、彼らを殺したとも。

 常若さんの動揺は大きかった。その後すぐに足利から手を引き、姿を消してしまった。

 恐らくは──商人との繋がりを利用して、天花様を探すつもりだったのだろう。


 天花様が邪魔だった。彼女がいれば、常若さんは真に私を見てくれない。


 だから、引き離した。殺したら常若さんに憎まれると思ったから、海の向こうに売り飛ばした。もう二度彼女が日ノ本の土を踏むことはないようにと、私は祈った。

 天花様が戻ってきたというのなら、恐らく常若さんへの報復だろう。まさか、私の個人的な感情で売り飛ばされたとは思うまい。

 常若さんが恨まれるのは筋違いだ。全ての責任は、私にある。

 私は酷い女だ。嫉妬から、何の落ち度もないただの女の子を排除しようとしたばかりか、彼女を散々に傷付けたのだから。

 だから──この決着は、私が付けなければ。


 常若さんのところに、天花様がたどり着く前に。私が、彼女を止めるのだ。

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