幕間

懐旧

 

 ある一人の男が、昔語りをした。


「×××──と。確か、そう名乗っていましたっけ。ええ、そうです、縁起の良いものでもないでしょうに、かたくなにその名を名乗るばかりで……。本名ではないのでしょうね、きっと。──しかし、妙にその名がしっくり来る人でした。初めこそ、無力でか弱い、だと思って、あなどっていたのに……不思議なこともあるものですね。年下の少女を一度でも恐ろしいと思ったのは、彼女が初めてです。しかし、ええ、ええ──悪い子ではないのでしょう。きっと、恐らくは。私に彼女を案じる権利などありませんが、そうですね──何だかんだと言って長生きするのでしょうね、ああいう方は」


 とそう歳の変わらぬ女たちも、口々にその少女のことを語った。


「×××殿という方がいらっしゃったんです。──ええ、はい、それはもう、私の大切な友人です。お互いにその身の上をよく知らない時分より、良くしていただいて……。──あ、私の方から声をかけたんですよ。お友達にならないかって。そうしたら、わかりやすく戸惑っていました。可愛らしかったなあ、×××殿。今頃何をしていらっしゃるのか知らないけれど、元気に過ごしてくださっているなら何よりです。いつか私たちが彼女のもとへ参った時も──そうですね、見逃して差し上げたい。それくらい大切なお方ですよ」


「君子とは言い難かったが、さとい女ではあった。武一辺倒な私とは反対に、その身で戦う術を持たぬ女だったが、弱い訳ではなくむしろしたたかであったな。私は、彼奴のようには生きられぬ。彼奴は彼奴なりに生ききるであろうよ。何せ、生への執着が尋常ではなかった故な。──あ、普通に良い意味で、だぞ?」


 商人が、傭兵ようへいが、旅人が。過去を語る際には、彼女の名も挙がった。


「せやなあ、可愛い子は世の中にごまんとおるねんけど、今此処におらんくて印象に残っとる子っちゅーたら、やっぱ×××ちゃんやろなあ。あ、手は出してへんで?ごっつ可愛かったねんけど、何て言えばええんかな……人ってのが、ようわかる子やってん。一見頼りなさげで幸薄いようにも見えるねんけど、俺にはわかるんよ。商人の勘っちゅー奴や。──ま、よう知らんけど」


「女の子に振られたこと? あるある、いっぱいあるよう。ついでに、平手でひっぱたかれたこともね。──そうそう、×××ちゃん。かしらも時々話すでしょー。その子にね、初対面で平手打ち食らったの。ちょっと声かけようかなーくらいの気持ちで近付いたら、×××ちゃんってば人間不信気味だったらしくてさ。振り向き様にこう、ばちーんと。ああ、でも別に恨んでないよー。×××ちゃんにはお世話になったからね。それに、根は悪い子じゃないんだよ。きっと間が悪かったんだと思う。──えっ、まっさかー! さすがに×××ちゃんのことは口説いてないって。そういうの、許してくれそうになかったもん」


「……僕の恩人ね、×××っていうの。あんまり縁起の良い名前じゃないんだってさ。でも、僕はあの子の名前、好きだなあ。あの子は、僕のことを怖がりはしたけど、僕の嫌いな偏見や差別の目を向けることはなかったから。それに、強かったからね、×××。力はないし、武術を修めてる訳でもなかったけど……でも、強かったなあ、×××。もう、会えないのかな。──そういえば、縁起ってどういう意味なのか聞くの忘れたままだった。……本当に、また会えたら良いんだけど」


「前の職場の後輩でね、ちょっと人を信じられないみたいな子がいたんだ。どうやら、親しい人との間で色々あったらしくて。私は詳しいところまで聞いていないけれど、相当堪えたんじゃないかな。まあ、私も同じような経験があるからね。色々相談に乗ることもあったけれど、彼女はよくやっていたと思うよ。今は何をしているんだろうねえ。多分、もう会う機会はないと思うな。彼女は祖国に帰ったというから」


 つ、と視線を上げる少年がいる。

 彼は遠く、日の暮れかかる空を眺めた。その先に、彼女がいると信じて。彼女が、まだ生きているのだという、確信に満ちた目をしながら、傍らの男に言う。


「……そうだな。あれは俺のように生き急ぐ性分ではなかろう。ずっと、死にたくない、死にたくないと口にしていた。それは死への恐怖もあるのだろうが、為さねばならぬことがあるが故であったのだろう。──あの子は、特別になどならなくても良かったのに。普通に生きて死ぬことを責める者がいるのなら、俺が否定したのに。あの子は──×××は、

「それは──劣等感から?」

「否。危険へ飛び込まんとしているが故に、己を分析したのだろう。あの子は平々凡々で、日常の中に溶け込むような人だ。戦いに身を置いている、または置いていた人々とは真逆の位置にいる。それゆえに、武に武で対抗するのではなく、それ以外で立ち向かわんと企てていた」

「……わざわざ、死地に赴くと? あの、用心深い少女が?」

「自分が死ぬつもりはないのだろう。だが、死ぬ可能性が高いと見越していたのだろうよ。周りに、己を殺せる者が少なからずいる世界に、あの子は飛び込もうとしていた。たった一人で、誰にも頼ろうとせず、独力で。──戦えなければ、役に立てなければ存在を認められぬ理由など、少なくともあの子にはないだろうに。無力でも、技術がなくとも、。命のやり取りが出来ねば役立たず、穀潰ごくつぶしの害虫と同等と評されるなど、あってはならない。特に、あの子だけには」

「……それはお前の持論じろんでしょう」


 呆れたような視線を向けられて、少年は須臾しゅゆの間沈黙した。しかし、すぐにそうだな、と肯定の意を示す。


「たしかにこれは俺の持論だ。押し付けるつもりはなかったが、そう聞こえたのならすまないことをした」

「良いですよ。慣れていますから」

「なら良かった」


 少年は微笑んだ。若々しい見た目に反して、やけに達観した笑みだった。

 しかし、彼はすぐに眼差しに憂いを宿す。その先にいるのは、一人の少女。


「生来の名を天花といったか、あの子は。──天上界に咲くという聖なる花は、一体何処を天と定めるのかな」


 それは、泥土でいどの中にあっても清き蓮華れんげか。

 あるいは、毒を有しながらも釈迦しゃかを祝い降った曼珠沙華まんじゅしゃげか。


 破滅と万彩まんさい、そのどちらの可能性も共に背負ったまま。少女は、ただ一点のみを目指して進み続ける。

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