5:アルカデイア バタク山

〇バタク山麓

 アルカデイアの北部は火山が連なる不毛の山々である。

 ここ数百年は噴火をした記録はないが、漂う硫黄と地熱の所為で植物は育たず、獣も寄り付かない。鉱物資源は豊富であるらしいが、採掘環境が過酷であるため、現在の魔術、技術では産業に足る開発はできていない、という事になっている。

 バタク山は最も人里に近い山であるが、最も人を寄せ付けない山でもある。

 登山道の類はなく、黒くごつごつとした岩を足がかりに斜面を登っていかなければならない。

 私はギウスと同じく、山の麓に着くと木の上で一泊をした。

 昔はもっと酷い場所で寝たことがあったが、最近はベッドに慣れていた所為か背中が痛くなった。



 夢を見た。

 私はバタク山の上に立っていた。

 足元には、古い噴火口があるのだが、そこにはランサの花が咲き乱れている。


『あなたは花が好きですか』


 問いかけとも、独り言にも聞こえるそれは、私の後ろから聞こえた。

 だが、後ろを見ることはできない。

 死者は夢の中で後ろから語りかけてくるという。

 私が手にかけた者だろうか。

 一騎打ちの果てに首をはねた巨漢の兵か、乱戦の際にすれ違いざまに切り伏せた名も知らぬ兵か、捕縛した後、古木に吊るした夜盗の頭か。


『あの花は、ただ咲いているのです』


 声は若い男か。

 いや、老人か、それとも女か。

 黒くもろい足元の土が崩れ出し、私はランサの咲き乱れるすり鉢の底へ滑り落ちていく。

 だが、近づいてくるのに、かぐわしい花の香りは全く感じなかった。



 目覚めると、そろそろ夜が明けようという頃合いだった。

 私は木から降りると、そのまま山を登り始めた。

 道化師の恰好のままであるから、はたから見れば奇異な事であったろう。

 巨岩の裏に回り込み、くぼみと出っ張りを見つけ登っていく。要職に就き、道化師を始めてから軽業のために絶壁を登る鍛錬を積んできたのが、思わぬところで役に立った。


 中腹まで登ると、アルカデイアが一望できた。


 広大な森と、その間を蛇行して流れる川。あれがマブ川なのだとしたら、と目で追っていく。

 川は、森と草原の向こうに広がる街に辿り着くと、その周りをゆったりと右に曲がり、やがて大きな黒い敷地を掠める。

 エーデル城跡。

 ここから見ても巨大だ。一度、ラダメスとエーデル王の会談の際に従者として入城したことはあるが、応接室、客間、食道など、見て回れる場所は少なかった。

 ラダメスに言わせれば、川の水を引き入れた水洗式の便所の発想だけが『唯一の成果』だったあの会談。それを行った豪華な装飾が施された応接室も蒸発してしまったわけだ。

 私は、再び登り始めた。

 中腹を過ぎると、切り立つような崖が目の前に現れた。

 迂回できないかと、周囲を探索する。

 私はそこで、死体を見つけた。


 死体は青年らしかった。

 うつぶせになった死体をひっくり返すと、腐臭が立ちのぼる。

 顔の右半分は岩にぶつかったせいか損傷していた。童顔と言ってもいい左半分は擦り傷がある程度だ。

 服装は農夫のように見える。使い込まれた古着に、底が抜けそうな靴。

 つまり、ここに相応しくない格好だ。

 服を少し裂くと、無数の刀傷が現れた。更に観察すると、両わき腹に深い傷が無数に現れた。

 滑落した際についた可能性も捨てきれないが――左右同時に圧力がかかったようで、肋骨下部が絞られたように折れている。

 アーダインの言う巨人に握られたら、このような傷がつくのではないか。

 彼は、恐らくはラダマンディス言うところの『妙な奴』の一人なのだろう。

 私は彼の残った目を閉じてやると黙祷もくとうをし、上を見上げた。乾いた血が点々と上の岩場にこびり付いている。

 このまま登れば彼の二の舞になるかもしれないが、逆に言えば何かが起こる可能性が高いという事である。


 私は再び岩に手をかけると、登り始めた。

 乾いた血の臭いが、上に登るほどに強くなってくる。

 じりじりと背中を陽光で熱せられながら、汗まみれで私は崖を登り続け、やがて山頂に到達した。

 巨大で黒い噴火口が目の前にあった。

 そして、私から見て反対側に、ちっぽけな小屋が見えた。


 あれだ。


 私は、この旅の終わりを直感した。

 そして、その終わりの前に、これから起こることも悟った。 


 戦場の臭い。

 血の臭い。

 そして獣の臭い。


 風が吹き、それらが噴火口から吹き上がり、私は目を細め見下ろした。

 夢のように花はなかった。

 だが、何かかがいた。

 アーダインが言っていた巨人。

 アウ・ドーゼル。

 たくさんの目。

 その通り。たくさんの目が私を見て、たくさんの口で笑い、しかし、それは顔にあるのではなかった。

 それには頭が無かったのだ。

 目と口は全身にあったのだ。

 一つの塊であった。

 それは、たくさんの手をさわさわと動かしながら、巨躯きょくを震わし、斜面を駆け上がってくる。

 キメラ――これも間違いなくキメラなのだ。

 百人、千人、いやもっと大勢の人が絡み合い、巨大な頭のない人型を成したそれは、私に人が捻じれて固まった巨大な拳を振り下ろしてきた。 



 私が昔使っていた武器は、主に曲刀きょくとうむちであった。ラダメスには戦う時まで曲芸かと呆れられたが、馬が合うのだから仕方がない。

 傭兵をやめ、大臣になった後は、芸の一環として二つを合わせた武器を開発してきた。

 巨大な曲刀の刃を蛇腹じゃばらのように鋼線で繋ぎ、振り回して鞭のように使う。曲刀として使う時は、刺突武器として携帯する二つの針を支えとして装着する。


 『道化の蛇腹』と呼ぶそれで、私は暗殺者と何度となく対峙し勝利してきた。


 道化師の衣装にかくした柄の部分を掴むと、私は巨大な拳の一撃をかわしながら、それを大きく振るった。鋼線のきしみと、留め具に使った獣の骨が立てる甲高い音、そして刃が空を切る独特な音が耳を打つ。

 大キメラの腕は、私が立っていた場所に大きく穴を穿うがちながら切断された。

 大勢の悲鳴が一斉に放たれ、私の全身に痺れが走った。


 魔法の類か!


 魔術の実験で生み出された生物――いや、『兵器』ならば、成程攻撃された時の備えもあるはずである。

 私は無様に地面に這いつくばるも、かろうじて手首を返し、蛇腹を再度しならせる。

 大キメラの右肩から腹にざくりと大きな裂け目ができた。

 またも悲鳴が上がり、大きな痺れが襲ってくる。

 額の中心から爪先までの感覚が一瞬消える。

 冷たさが襲ってきた。

 口すら開けられず、風にさらされた顔がやけに寒い。

 一方、大キメラの胸の傷は、人々が絡み合うことによってみるみる閉じてゆく。


 そして大キメラのそびえたつ肩の間に何かが起き上がってきた。

 真っ白い裸の女。

 まるで霧からしみ出したような真っ白い、脱皮直後の虫のようなぶよぶよの女。

 そいつは両腕を細い体に絡ませ、苦痛に悶えるように体を揺らしながら、大キメラの肩の間に生えてきたのだ。

 彼女の腹が縦に裂け、どろりとした巨大な目が私をにらんだ。


 私の体だけでなく、魂までもがおぞましさによって麻痺していくようだった。

 大キメラは切断された腕を掴むと、私めがけて振り下ろす。瞬間気力を振りしぼると、腕と足をすぼめて衝撃に耐えようとする。

 目もくらむような痛みが全身に走り、私は子供の玩具のように跳ね、すり鉢を転げ落ち始めた。

 だが、麻痺は解けていた。苦痛に勝る薬なし、という事か。

 私は、転げながらも蛇腹を二度三度と繰り出す。

 大キメラの腕や足が大きく裂ける。

 だが、私が一転がりする間に、傷は塞がっていくのだ。

 ならば、やることは一つ。

 私は底に転がり落ちるや、大キメラめがけて走った。

 大キメラが斜面を滑り降りながら、両の手を振りかぶる。

 私は蛇腹を上段に構え、思い切り振りかぶった。

 こうすることによって、鋼線は最大まで延び、蛇腹の長さは建築物の三階まで届く程度になる。本来の使い方は、高所に登る足掛かりや、弓兵への攻撃に使うのである。

 大キメラは、女性の肩口から股下まで両断された。

 斜面を滑り降りてきた勢いの所為で、その体は離れた場所にそれぞれ転がった。

 私は蛇腹を収束させると、支え針をもって曲刀にした。

 大キメラはまだそれぞれ生きていた。

 断面の人々はうごめき、腕や足を動かして必死に、半身に近寄ろうとした。

 だが、腰の奥辺りにあった大きな結石のようなものが光を失うにつれ、人々の動きは弱まり、急速にしおれていく。

 肩口から切断された女性は、弱弱しく、それでいて――私が聞いた限りでは――嬉しそうな声をあげ、やがて動かなくなった。



 叫び声が聞こえた。

 振り仰げば、あの小屋の傍らに誰かが立っている。

 すっぽりと頭からフードを被った、背の高い誰か。そいつが体を折り曲げ、血を吐くような声で叫んでいる。

 男の泣き声。

 女の叫び声。

 そして老人の怒声。

 三人の声を同時にあげているのか。

 ならば、あのフードの下の顔は――


 そいつはいつの間にか消えていた。

 最初からいなかったかのように、足跡すらも残っていなかった。

 私は小屋の扉を開けた。


 かろうじて雨風をしのげる粗末な小屋だった。

 小さなテーブルの上には、可愛らしい花瓶。


 そこに活けられたランサの花。


 そして、奥には一人の老人が寝かされていた。

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