第20話 シェフと執事長と金庫番



 使用人用の裏口から本邸に入る。

 どうやら厨房に繋がっているようで、食欲を刺激される良い匂いが鼻をかすめた。


「おはようございます」


 決して愛想が良いというわけではないが、クリアは礼儀正しく厨房の人間に頭をさげる。


 その場にいた全員がこちらに注目した。

 視線は主に俺に向けられている。


「よお、そいつが噂の新入りか。こりゃあ、また上等な面をしてるな」


 まるで輩のような発言じゃないか。

 俺は無精髭を生やした男に目を向けて密かに思う。


 服の上からでも手に取るようにわかる体躯と、茶色よりの麦色の髪。

 顔は厳つい中年男性といった感じだ。


「俺ァ、ジョセってんだ。よろしくなぁ、坊主」


 名乗った男は俺の頭を乱暴に撫で回した。


「うっ、よろしくお願いします。ジョセさん」


 ジョセ……聞き覚えがあると思ったら、クリアが事前情報として言っていた料理長シェフの名前だ。

 まさかこんなにフレンドリーな人だとは思わなかったんだが。


「俺の息子はここの見習いやってんだ。今は朝市でいねぇが、よかったら仲良くしてやってくれよ」

「はい、こちらこそ……」


 いやいや、いい人オーラが滲み出ているぞこの人。ついアニキと呼びたくなってしまうようなオーラだ。


 みんなこんな感じなのかと周りを見てみると、そうでもないことに気がついた。

 ジョセさん以外の厨房にいる使用人たちは、皆それぞれ一定の距離を置いて俺たちの様子を窺っている。


「では、私たちはこれで」

「おう、またな」


 妙な空気を感じるものの、キリの良いところでクリアが間に入ってきた。

 そうだったそうだった。

 今は家令室に向かわないといけないんだ。


 クリアはさっさと扉の方へ行ってしまった。

 俺はその後を追う前に、厨房にいる全員に向かって頭をさげた。


「本日からお世話になります、ニアと申します。ご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします!」


 俺の発言に、ジョセさん以外の厨房の使用人はポカン、とした表情を浮かべていた。

 その反応が気になるものの、俺はクリアが待つ扉へと急いだ。


 扉をくぐり、ようやく本邸の中までやって来た。

 しん、と静まり返っているのは、まだこの場所が使用人の廊下だからだ。


「いつの間に挨拶なんて考えていたんだ」

「昨日の夜だよ。なんか変だった?」

「……。まあ、いいんじゃないか」


 クリアが早口で指摘をしないということは、それなりに及第点だったのだろう。

 なんだろうな。

 こういう挨拶とか他人行儀な会話は、案外うまくやれそうだ。


「そういえば、なんで厨房の人たちはあんなに驚いた顔をしてたんだ?」

「……クリスティーナお嬢様が奴隷だったお前を買ったことは、本邸の人間にも知れ渡っている。おおかた品位もなければ、知性が欠けた言葉を話すと思ったんだろう。それに、労働奴隷はあらかじめ舌を抜かれることが多いと聞くからな」

「……うぇ」


 聞いたのは俺だが複雑である。

 扱いは最下層であったが、今も五体満足にあったことは運が良かったとしかいえない。


「だけど、あのジョセさんはいい人そうだったな」

「あの人みたいに初対面から距離を詰めて接してくる人間は使用人の中でも稀だ。他にいた厨房の人間の反応がここでは普通なんだ」

「へぇ〜」

「……言っておくが、厨房の人間はまだ態度が寛容だからな。気をゆるめるなよ」


 最後に不穏なことを言い捨てて、クリアは足早に廊下を進んでいった。


 どんなルートを通ったのかわからないが、家令室にたどり着くまで、他の使用人とは一切すれ違うことはなかった。

 クリアに尋ねてみると、ちょうどこの時間は朝礼を行っているらしい。


「……ここだ」


 家令室の前まで来ると、クリアは静かにこちらに目を向けた。


「少しタイが曲がっている。気をつけろ」


 入室前の最終チェックとでもいうように、クリアは俺の服装や髪を念入りに確認していた。


「では、入るぞ」

「――はい」


 切り替えは大切だ。

 俺は息を吸って、あるべき姿勢で望むべく、気を引き締めた。



 ***



「失礼致します。お時間をいただきありがとうございます」


 クリアに続いて部屋へと入る。

 初めに感じたのは、お香のような独特の匂いだった。

 

「失礼いたします」


 俺もクリアにならって頭をさげる。

 

「おはようございます。クリアくん、そして――ニアくん」


 板の軋む音と共に、俺の体に影がかかる。

 顔をあげると、そこには笑顔を浮かべる一人の男性がいた。


「はじめまして。まずは自己紹介をいたしましょう。わたくしはバートル・キャリバン。エムロイディーテ侯爵家にて執事長の任を務めております」


 長髪を後ろでひとまとめにしたバートル様の第一印象は、クリアに聞かされていたとおりの「温和」な方だった。

 目じりがさがった糸目に、物腰柔らかなたたずまい。

 右手を胸の中心に添え、左足を後ろにずらした動作は、使用人として相手に礼儀を示す最上の挨拶だ。


「クリスティーナ・エムロイディーテ様の従者、ニアと申します」


 俺も同じような体勢をとり挨拶を返す。

 これも事前にクリアから仕込まれていた作法である。


「……とても礼儀正しい子ですね、クリアくん」


 ほんのりとまぶたを開いたバートル様は、クリアにそう言った。

 どうやら初対面の挨拶作法は問題なく突破できたらしい。


「ランドゥン。あなたも挨拶をなさったらどうですか?」

「……」


 バートル様が振り返った先には、椅子に深く腰掛けた男性がいる。

 彼はバートル様の声に反応すると、じっとりと俺に視線をよこした。


「……ランドゥン・イーサだ」


 それだけを口にしたランドゥン様は、再び無言を貫く。

 こちらもクリアが言っていたとおり「無口」を体現したような人物だった。


「よろしくお願いいたします、ランドゥン様」

「……」


 俺はバートル様のときと同じように挨拶の作法をとる。

 しかしランドゥン様はそれを横目に見るだけで、それ以外の反応を示すことはなかった。


 エムロイディーテ侯爵家の金庫番と使用人トップの二人。

 驚いたのは、どちらも思っていたより年若い男性ということだった。

 厳格そうな面持ちのランドゥン様と、絵画の中の人のように美しい顔立ちのバートル様。


 まるで正反対のようでいて、二人が並ぶと妙にしっくりくる。


「不慣れなことも多いでしょうが、しっかり役目を全うしてください。……あなたの働きに期待していますよ」

「はい、ありがとうございます。精一杯頑張りたいと思います」


 クリアのレクチャーのおかげか、特に問題なくツートップ様へのご挨拶は終わったのだった。

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