メイドインメイド ~戦闘用メイドと始める学園生活 in バナナ共和国~

々 六四七

第1話  学徒兵と灌木の丘

―たすけてだれか

 

 なぜここにいるのだろう。何時からここにいるのだろう。遠い昔、どこか幸せだった場所から連れてこられ、逃れようにも逃れるすべを持たず、救出の王子さまは登場しそうにない。

 

 意思も心も奪われ、ただ命をつなぐには言われるまま武器を取らねばならなかった。傷んだ真鍮色の巻き髪は散切りに国防色のフードに押し込められ、深い枯れ葦色の瞳はうつろで、大きく見開かれることはない。性別さえも小柄すぎる風体からは察せられず、本当の名前もわからない。ただ学徒兵がくとへい 、欠け耳と呼ばれる存在。


―たすけてだれか

 

 乾燥した空気に湿り気が混じり始めた灌木かんぼくの丘を、斜陽が力なく照らしている。散らばる戦闘服の者たちを闇が包み隠すまであと一刻もないだろう。


「攻撃開始予定線まであと五百メートル以下、各員弾倉を確認しておけ、ヘンリックには対戦車擲弾筒たいせんしゃてきだんとう を任せる。学徒兵がくとへい の指揮も合わせて頼むぞ。きちんと面倒を見てやれ」副隊長が指示を飛ばす。


 隊長は依然としてだんまりを決め込んでおり、副隊長の言う悪いクセはこの期に及んでも修正される事はなかった。


革命義勇遊撃小隊かくめいぎゆうゆうげきしょうたい は、1700現時刻をもって作戦攻撃行動開始! 前進前進! 政府軍指導者を討ち取り、正義をなせ」

 

 隊長に発言を促す副隊長だったが、あきらめたのか一呼吸置き発令した。ようやく反応した隊長が手を縦に振り、進行のハンドサインを後続の者たちに送る。四方に散開していた小銃小隊は指示に応じ、各々不揃いな小銃を抱え、緩慢と斜面を下り始めた。

 

 副隊長後方十五メートルに追従する学徒兵がくとへいがいた。震える手で右耳を触り、小柄な体をさらに小さくさせる。オリーブグリーンの戦闘服はあまりにもだぶつき、乾いた地面を引きずる軍靴は、ゲートルで締めあげてなお不格好だ。年頃は初等学校半ばにも満たないのかもしれない。


「この進路を進めばすべての不運の元凶があって、みんなで攻撃すれば、不運は無くなって悪いものは吹き飛ぶのだ。だから進むのだ」まぶたをぎゅっと閉じ、自分に言い聞かるようにつぶやく。


 何度となく裏切られてきた事だが、今度こそはという確信があった。この作戦はコソ泥みたいな作戦じゃない、立派な目標があるのだと、我らの活躍を聞き及んだ有力な反政府組織の同志から乞われた立派な作戦だと、十数人の戦闘員を集め隊長は宣言してくれた。


 必ず我々が勝利し、向こう十年続いた政府軍との内戦史に、革命義勇遊撃小隊かくめいぎゆうゆうげきしょうたい の名が刻まれる事になるだろうと。


「悪の役人を乗せた装甲トラックが通るのだ、みんなで悪の役人をやっつけるのだ、そうすればきっと」そして耳にあてがわれていた手の甲を見る。


『合図で国道を渡り、逆側から小銃で掃射する事』出撃前に書いた赤いインク字はにじみ消えかけていた。


 不意に目の前に小石が転がる。王国解放青年団から派遣され、部隊に参加したヘンリックが投げた物だった。


「おい欠け耳、お前の小銃の腕前はなかなかのものだぞ、正規陸軍で訓練した俺様が鍛えたのだからな」


 笑ってそういったが、いつもの皮肉な笑顔にはなり切れず、ひきつった、笑みとも言えない物になった。彼もまだまだ若く、ろくな実戦経験はないのだ。


「……」


 事あるごとに欠け耳と自分を呼ぶヘンリックを好きにはなれなかったが、それでも彼には愛嬌があり憎めない存在だった。気の利いた返答をしようとしたが、口はカラカラに乾ききり何も言葉を紡げない。


 過度な緊張に何とか折り合いをつけながら、小走りの速さで小さなうねを五つほど進むと、灌木かんぼくの間から政府軍詰め所が見え、かすかにディーゼルエンジンの低い唸り声が聞こえ始めた。目標だ、攻撃開始線に到達したのだ。


 体格に合わない自動小銃を構えなおし、前方十メートルに展開しているはずの隊長を探す。しかしその姿は見えなくなっていた。灌木の茂みに身を隠しながら様子を伺うが、どうしても隊長を目視できずにいる。

 

 隊長の攻撃開始命令が無ければ行動してはならないという厳命である。進めばいいのか、はたまた戻ればいいのか解らなくなってしまった。ただこの状態は危険だ、何とか脱せなければならない事態に陥った事は、経験不足を差し引いても十分に理解できた。


「ヘンリック!」振り返りながら力いっぱい叫んだ。彼に助言を乞うのは癪に障るが、仕方がない。


「ヘンリック! 前進! 前進していいの?」


 ヘンリックは後方数メートルにいた。ブチハイエナを一回り大きくしたような小岩によりかかり、座り込み、姿勢を崩しつつある。学徒兵がくとへい の問いかけに答えなかったが、それでもゆっくりとした動作で、担いでいた対戦車擲弾筒を構えようとした。


 これは彼の決死の行動だった。胸に掛けた手製のチェストリグからは小銃の弾倉がこぼれ、黒いしみが湧き出す重油のように全身を覆っていく。


「ヘンリックが負傷! 対装甲戦闘能力喪失!」


 さっきよりもずっと大きな声で叫んだ。通信機が与えられていなかった為だが、十余名からなる小銃小隊は、声を張れば届く範囲に展開しているはずである。


 不意に何かが丸く欠けた耳をかすめ飛び、突進する数匹のキラービーの様な飛翔音が巻き毛を揺らす。そして、ヘンリックの顔がはじけた。


 表情を失った骸が崩れ落ちると、辺りから全くの人の気配が消え去り、ただただ装甲トラックが発する単調な駆動音を、吹き始めた穏やかな夜風が揺らめかすのみになった。


「ええ……ヘンリック……隊長は、みんなは……ヘンリック」


 未完成な思考は選択肢を失い、判断する事をやめてしまった。空虚なまなざしは、さっきまでヘンリックだった物を映しこむだけで、情報を伝えようとはしなくなった。それらは生物が死を安楽に受け入れるため獲得した能力なのかもしれない。


 死の匂いと灌木のざわめきの中で、金属がこすれる軽い音がする。なにかが斜面を転がる音だ。カラカラという響きのない雑音は次第にピッチを速め、立つ力さえ失いつつある学徒兵がくとへいに向かい、か細い足に引っかかり止まった。


 ヘンリックからこぼれおちた対戦車擲弾筒たいせんしゃてきだんとうだった。軽金属で作られた筒に守られ、必殺の弾頭を打ち出す安価な使い捨て歩兵用対戦車火器。学徒兵がくとへいにとっては残された切り札と言えた


「まだ終わっていない……続けなきゃ……わたしが任務を続けなきゃ」


 選択肢を得た思考は判断を再開し、己の半身長を超える擲弾筒てきだんとうを拾い上げ歩き始めた。瞳は、擲弾筒てきだんとう に描かれたくどいほど単純で、漫画的な三コマの発射手順を伝達した。四肢にはしだいに力がみなぎり、発射手順に従い擲弾筒てきだんとうを引き延ばして発射可能状態にすると、歩みは駆け足に、そして疾走になった。坂をただひたすらまっすぐ駆け下りてゆく。


 灌木かんぼく が消え、雑なアスファルトで整えられた国道まで到達すると、旧式な八輪装甲トラックが見えた。発射姿勢を整え、起き上った簡易照準器を目標に向ける。


 しかし、照準器でとらえたはずの装甲トラックは無く、代わりに白くペイントされた車両がそこにはあった。停車していた装甲トラックを追い越した多目的バンが、射線に割り込んできたのである。


 すぐに車体に描かれたロゴが、ノスラー診療所・診察車とはっきり読めるくらいにまでにどんどんと拡大を続け、そのうち照準器の四角い切り欠きに収まりきらなくなってしまった。


「どいてよ! 擲弾筒てきだんとうは一本しかない、外せないのに!どいてったら!」


 擲弾筒てきだんとうの発射に手間取っていると、突然、側溝から灌木の塊が飛び出してくる。塊はおぼろげな人型となり、間髪なく背後に回り込んだ。大柄ながらすばやい所作は、冥途からの使いの様な完成された動きだった。


「ひっ」声にならない悲鳴を上げ、逃れようとするが、いまや完全な人型をとった灌木の塊にがっしりと腰をつかまれてしまう。二人の間には絶望的な能力差があり、振りほどく事は不可能に思えた。


 その時、大型のタイヤがパンクしたような吹き上げる破裂音がした。黄色っぽい煙があたりに充満していく。


「R・P・G!」


 擲弾筒てきだんとうのトリガーが押された事を悟った灌木男かんぼくおとこ は野太い警告を発すると、学徒兵がくとへいを押し倒した。


 筒を飛び出した弾頭は、浅い射角でアスファルトをかすめ、路面をこすりながらロケットモーターの再点火でさらなる推力を得ると、少し浮き上がり多目的バンの床下に突入し炸裂した。


 激しい爆轟ばくごうで突き上げられた車体がバラバラになりながら、二人の近傍をすり抜け、十数メートルほど横転を繰り返し、赤く塗られた古い電柱に激突したうえ、ようやく動きを止めた。


 押さえつけかばう様な体制でいた男は、灌木かんぼくに偽装した外套を手早く脱ぎ捨て、今度は学徒兵がくとへい のフードを乱暴にはぎ取り、太い指で顔を押さえつけ、捕らえた獲物を値踏みするように検分していく。


「右耳に大きな特徴的欠けあり……一致。頭髪、サンドブロンド……一致。瞳、瞳孔…アッシュアンバー……一致。すべてにおいて一致!」


 いつの間にか周りには数人の男達が現れ、円陣を組むように取り囲んでいる。消音機付き短縮型突撃銃を携えた姿は、徹底的に訓練された兵が持つ自信と畏怖にあふれていた。


「救出に来ましたよ、お嬢様。誘拐されてから約三年、ご苦労もあったでしょうがご無事で何よりだ」


 元灌木かんぼく男は戦闘時の警戒姿勢を少し緩めると、視線を周囲に向ける。


「クソッ、まったく、ホーナディ家の人間はめちゃくちゃをする。一発撃たせちまった。血筋ってやつか? 敵性兵は全滅、生存なし……衛生兵! 救急車に乗車していたはずの民間人生存者はいるか?」


 炎上している多目的バンをのぞき込むように探っていた兵がかぶりを振る。


「うん?」指示をしつつ辺りを見回し何かを見つけた。


 泥沼に落ちた濡れた毛布のような塊がオレンジ色の炎に照らされ、ぬらぬらとひかめいている。破壊された車体から外に跳ね飛ばされた積み荷のようだ。


 彼は車道の中央部に転がるそれに歩み寄る。下半身を失った白衣の遺骸だった。何かを抱え込むようにして絶命している。一歩下がり、略式な敬礼をささげると、遺骸の腕を解き放っていき、ピーナッツ型の塊を取り上げた。


「赤ん坊? よし、まだ息はある。母親か、よく守った敬意を払う。私が必ず安全な場所まで後送しよう。衛生兵! 生存者あり、赤ん坊だ! 各員! 救出目標を確保、政府軍、軍警察が到着する前に現地点を離脱する。赤ん坊は支援組織に送致、お役所は信用ならんからな」


 重い藍色の夜闇に包まれながら、学徒兵がくとへいだった少女はぼんやりとやり取りを眺めていた。


 救出されたか? これから安寧あんねい となりえるか? 二度とそうはならないことを察し、今後一生、今日という日に囚われ続ける事を噛みしめる。


―もう誰もわたしを助けられない。奪った側になってしまったのだから。


 戦争はこのあと数か月ほど続き終結を見る事になる。

 

 赤ん坊の泣き声が灌木かんぼくの丘に弱弱しく響いた。

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