6 昨年のブロック代表(3)

「杏奈って、なにげにあいつが一番勝ちたがりなんだよな」


 湯気で満たされた大浴場に声が反響した。


 もと女子寮だったゲーミングハウスには大浴場がひとつだけある。


 そう。ひとつだけ。


 ゲーミングハウスに来て間もないころだ。このひとつしかない風呂を男子女子分かれてどう使うか話し合った。「じゃあ零時以降はおにいちゃんの時間ね♪」って美海が言って、俺は深夜にしか風呂に入れないようになった。まあ俺、夜行性だからいいんだけど。


 深夜の湯船に顔をうずめる。常時循環して一定の温度に保たれた風呂はいつでも温かい。


 この風呂は花ヶ崎たち、あの女子たちが入った後の風呂で、いわば女子の出汁という天然の入浴剤が添加された風呂である。


 と、まあ、そんなこと考えたらまともに風呂なんて入れないから、あまり考えないようにしているわけで。なぜなら俺は紳士だからだ。やっべえ。お肌つるつるになっちゃうよ。




 ――私だって決勝に行きたいですよ! 行かなきゃいけないんです。




 花ヶ崎の言葉を思い出す。その声はとても切実な声だった。そりゃそうだろう。結果を出さないと大好きなゲームができなくなる。きっと一生を封じられる。


 ……そういえば、そこまでゲームが特別上手いわけじゃないのに……なんで花ヶ崎はこんなにゲームにこだわるのか。


 深く湯船につかって濡らしたタオルで目を覆う。酷使した目をこうやって休ませている。


「……っていうか、だれも言わなかったけど、きょうの戦犯、半分はあれだけワンマンプレイしたあの双子……」


 ぴちゃんと天井から水滴が湯船に落ちた。波紋が水面に広がり、それと同じように俺の思考も順々に整理されていった気がした。


「違うか……戦犯は……やっぱ花ヶ崎か」


 そうか。花ヶ崎からチームの瓦解は始まったのか。


 チームプレイのLOVは信頼が重要になる。ひとりレベル差があると、歯車戦略が……狂う。


 狂った連携では意味が無いから……みんなスタンドプレイに走り出す。


 つまりはバラバラなのだ。俺たちは。


 それだと勝てるものも……勝てない。


 その苛立ちが……あの双子のスタンドプレイにも出ているんだろう。


 恵璃奈は花ヶ崎になにも言わないけど……いつか爆発しないと良いけどな。


「今の布陣からすると、トップはR62今使ってるやつがちょうどいいんだけどなあ」


 LOVは連携が重視されるゲームだ。そこにはスキルの相性のいいチャンプがいる。


 俺たちのチームは、ディフェンス特化のR62花ヶ崎が盾になり、エマドロシー杏奈が敵をかく乱し、タタンカ恵璃奈が敵をデバフ弱体化。そこをADCのフローラ晴瑠が長距離から敵を屠る。と、ハマれば非常にバランスのいい構成となっている。


 ただファームの遅れたR62花ヶ崎では盾にならない。


 それが圧倒的な弱点となっていた。


「どうすっかなあ……」


 花ヶ崎の使用するチャンプをファームの早いチャンプに替えるという選択肢もある。


 しかし、ひとりのチャンプを変更するということは、チームの戦略はすべて一から練り直しということになる。チームがチームとして勝ち進めることができるようになるまで、俺の感覚だと二ヶ月、早くて一ヶ月以上はかかる。予選開始まで一ヶ月を切っていた。


「今さら間に合わねえよなあ……」


 そのときだ。ガラガラと浴場への扉が開く音がした。


 ん?


 見やると、そこには、真っ白い肌の杏奈が……一糸まとわぬ姿でそこにいたわけで。


「ななななななななななななななななななななななななななな!」


 口をわなわな動かして、顔を真っ赤にする杏奈。


 杏奈はからだをタオルで隠す。淡雪のように白くすべすべそうなその肌質は妙に扇情的に見えた。トレードマークのお団子をほどき髪の毛を下ろした杏奈は、どこか清楚な雰囲気があり、いつもの吸血鬼って感じよりは天使のようだった。


「なんでおるん!?」

「俺の台詞だって! 時間見ろよ時間!」


 時計は深夜の二時を指している。杏奈はすりガラス戸にからだを隠して顔だけ覗かせる。俺は湯船の中に深く浸かりからだを隠した。


「早く上がってよ。ウチ寒くなってきた」


 勝手な言い分に頭を抱える。


「俺だって入ったばかりだからちょっと待ってろよ。俺が上がったら呼びにいってやるから!」

「ああ、無理!」


 からだにタオルを巻いた杏奈が、小走りで風呂に飛び込んできた。ざっぱんと横で水しぶきが舞う。そして、杏奈は俺の横で顔を出して、湯船でじゃぶじゃぶっと顔を洗った。


「ふぃ~。こうすれば早かったんよ」


 杏 奈 ご 入 浴 !


 杏奈はにっこりと俺に笑う。平静を装っているが、平常心を保てないワイ。


「あ~。おにいちゃん思い出すな~」


 無邪気にそんなことを言う杏奈。


「へぇ……アニキいるんだ」


 予想外のできごとに心臓が止まりかける。目線を下ろすと杏奈の胸元があって、ぐっと目をつむった。見ちゃダメだ見ちゃダメだ。


 どぎまぎしている俺。どぎまぎしている俺にドキドキする俺がいる。JSおっぱいに社会的に大丈夫なのか? とか考えて、おっぱいと年齢について深い考察をしている最中だった。


 杏奈から出たひと言が、妙に心に刺さった。


「正確には『いた』んやけど」

「なんで…………過去形なんだ?」

「三年前に別居になったけん」

「そうか……さみしいな」

「べつに、そういうわけでもないんよ」


 兄妹が別々に暮らすこと。事情はどうであれ、そうなりかけた俺は、そのさみしさがわかる。


 だから、


「……うそつけよ」


 さみしいそぶりを見せない杏奈の頭を抱いた。のぼせているのか、頭がぼうっとした。


「さみしかったら、さみしいって言えよ」


 杏奈の頭をなでてやると、一度はペシッと払いのけられた。そのまま、ゆっくり、ゆっくりと頭をなでた。


「やめえっちゃ!」

「俺もな、美海と離ればなれになりそうだったんだ。だから……わかるよ」


 ゆっくり、ゆっくりと杏奈に話しかけると、杏奈は肩をふるわせた。


「す、すまん杏奈! 泣かすつもりじゃなかった」


 バツが悪い。べつに泣かせたいわけじゃなかった。ただ同じ境遇になりそうだった立場から、励ましたいだけだった。何度か謝ると、「いや、いいっちゃ」と杏奈は首を横に振った。


 落ち着くまで、頭をなでてやった。


「こんな時間までなにしていたんだ?」

「LOVしとった。ウチがディフェンス寄りにファームしたらどうなるかやってみたりして。そうしたらさくらネエのフォローができるやん」


 杏奈はそんなことをさらっと言う。なにそれめっちゃいい子なんだけど。


「杏奈は、どうしてそんなに勝ちにこだわるんだ?」


 杏奈は質問の意図がよくわからないという顔をした。


「いやだって負けたらいつも杏奈が一番に悔しがるだろ」

「勝ちにこだわらないゲーマーはおらんやろ。それに……」


 口ごもったかと思ったら、杏奈はぶくぶくと湯船に泡を立てた。


「? どうした?」


 尋ねると、「なんでもない!」と杏奈は湯船から顔を出して、というより立ち上がって、俺の肩を掴む。


「ウチは決勝ラウンドに行きたいんよ。ど~しても、行きたい! だから協力して!」

「ちょ、って、ていうか、前、前隠せ!」


 杏奈のツルペタんぐが丸見えなわけで。


 もう一度言おう。ツルのペタが丸見えなわけで。


 杏奈は一瞬固まって、自分の胸板を見る。そして俺の顔を見る。


「安心しろ。思ったより膨らんでいないから、セーフだ」


 笑いかけてやると、杏奈は鬼のような顔をして、


「記憶を飛ばすっち」


 ぼそりと言った言葉を最後に、俺の意識は飛んでいた。


 あごあたりがとても痛かった。

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