その少女は髪を刈る

「覚悟しやがれクソったれども!」


 いまだに混乱している直子なおこの前で、その容姿と絶望的にミスマッチなバリカンを手にした少女が叫ぶ。


 無骨な散髪器具は、小さな刃を細かく振動させながら、無機質な駆動音を響かせていた。


「一本残らず《神駆りカミガリ》の錆にしてやらぁ!」


 言うが早いか男たちに向けて突進した少女が、その眼前で跳躍。

 普通の脚力ではありえない高度まで跳び上がると、空中で体を上下反転させ、一人の男の頭にバリカンを突き立てる。が、


「あ――?」


 刃先が髪に触れる寸前、硬質な金属同士が擦れるような甲高い音を立てて、少女の腕が弾き返される。


 もはや目の前で起こっていることが現実なのかわからなくなってきた直子は、『最近のハードワックスって本当にハードなんだぁ』などと、しょうもない考えが頭をかすめていた。


「結界? ちっ、きなクセぇとは思ってたが、そういうことかよ。となると、こっちも媒体が要るな」


 ぶつぶつと言いながら、少女は現実逃避中の直子と口を半開きにしている重美えみに視線を向けた。


「おい、そっちの乳がでけえお前、ちょっとぜ」


 品定めするようにふたりを見比べ、少女が再び重美に飛びかかる。

 思わず目を閉じた直子は、友人の悲痛な声を聞いた。


「あぁあああ⁉︎ 私の髪がぁああああ!」


 見ると、ほんの一瞬の間に重美の頭がすっきりと刈られていた。


「ちょっ、なにしてんのあんた⁉」


 ボリュームのある黒髪を片手で握りしめている少女に、直子は非難を込めた声をぶつける。


「ピーピー騒ぐなクソガキども。いまはんなこと言ってる場合じゃねえんだよ!」


 悪びれる様子もなく言って、少女は髪を握る力を強める。


「ほぉ、こいつぁ想像以上だぜ」


 男たちに向き直りながら、少女が不敵に笑った。

 すると、手にしている髪の一本一本が淡く発光し、段々とその輝度を増していく。


「喰らえぇえええええ!」


 叫びながら、少女は光り輝く髪を綺麗なオーバースローで投擲。まるで意思を与えられたかのように、大量の毛が男たちに襲いかかる。


 そして、その体に触れた瞬間、大きな爆発音と炎が巻き起こった。


 ついに理解の限界を超えた直子は、立ち昇る爆煙と高笑いする少女の後ろ姿を唖然とした顔で見つめる。


「ハッハー! ざまぁみやがれ! このメリル様に喧嘩売るからこーなるんだよ!」


 次第に霧散していく煙を振り払って前進しながら、少女――メリルが挑発的な声で叫んだ。


「さてと、仕上げといこうか!」


 あれだけの爆発だったにもかかわらず、地面に倒れ伏した男たちは、服が焦げる程度の被害で済んだようだった。

 そんな彼らを見下ろしながらバリカンを再駆動させたメリルは、楽しそうな表情で男たちの髪を刈っていく。


 突然現れたかと思えば全てをめちゃくちゃにして、他人の髪を平気な顔で刈り落として――、そこまで考えたところで、直子の中で煮えたぎっていた怒りの温度が跳ね上がった。


「ちょっとあんた! なんなのよこれは!」


「あン?」


 こちらを振り向きながら、少女が不機嫌な声を出す。


「んだよ、まだいたのか? とっととどっか行っちまえ」


「そんなの無理に決まってるでしょ! ちゃんと説明しなさいよ!」


 沸点を超えた直子の怒りは収まらない。侃々諤々かんかんがくがくと声を張る彼女に触発されたのか、重美も顔を上げた。


「そうよ! 急にいろいろ起こって頭爆発しそう! ていうか私の頭、元に戻してよ!」


「ちっ、うるせえな。髪なんかすぐに生えてくるっつーの」


 この後に及んで悪態をつくメリルに、直子がさらに言い募ろうとしたときだった。

 一枚の紙切れが空中に出現し、ひらひらと舞いながらメリルの足元に着地する。緩慢な動きでそれを拾い上げたメリルは、急に苦虫を噛み潰したような顔になった。


「マジかよ……、くそ。忘れてたぜ……」


 小声でぶつくさ言いながらこちらを睥睨する少女に、業を煮やした直子が口を開く。


「なによ? 今度は私の髪でも刈るつもり?」


「いや、その……」


 先刻までと違い、歯切れの悪い返事をするメリル。まるで時間が止まったかのように、妙な空気が場を支配していた。


「あぁあああ⁉ 直ちゃん! 髪! 私の髪が!」


 停止していた時を動かしたのは、重美の叫び声だった。


「あんたの髪が悲惨なことになったのはわかったか――えぇえええ⁉ なによそれ⁉」


 首だけを動かして重美の方を向いた直子は、とたんに目を見開いてそちらに駆け寄る。

 先程まで風通しの良さそうだった十年来の親友の頭部は、いまは長髪で覆われている。


 しかし、それは元通りではなく――、


「見て! さらっさら! 正真正銘さらさらストレート! しかもブロンド美女‼」


 興奮気味に語る重美の言葉通り、彼女の髪は絹のように滑らかで、色は――美女かはさておき――綺麗な金髪に変化していた。


「いやいや、おかしいでしょ! なんでそうなるのよ⁉」


「日頃の行い? やっぱり神様は見てくれてるんだよー!」


 そんなやりとりを眺めていたメリルは、肩の力を抜いた。


「だから言ったろ、髪なんかすぐに生えてくるって」


「いや、スピードもおかしいけど、なんでこんなことになってるのよ!」


 鋭いツッコミに、メリルは気まずそうに視線をそらし、


「坊主にすると髪質変わるって、言うだろ……?」


「髪質どころか、色ごと変わってるでしょうが!」


 直子の大声が、雲ひとつない夏の青空に響き渡った。

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