第三章 ~『武士の情け』~


 翌日、美冬は窓から差し込んだ光で目を覚ます。瞼を擦り、ぼんやりとした意識で、昨日の出来事を思い出す。


「夏彦が出てくるのを待っている内に寝ちゃったのね……あれ? でも、この毛布……」


 彼女が風邪をひかないようにと、肩に毛布がかけられていた。犯人は名探偵でなくてもすぐに分かる。


「本当、夏彦は優しいわね……お礼を言わないと……」


 夏彦の自室の扉が開いていた。隙間から様子を覗くが、電気が点いておらず、窓にカーテンもかかっているため、薄暗くて中が見えない。


「さすがに部屋の中に入ると怒るわよね」


 扉の隙間から毛布を部屋に戻すと、夏彦を求めてダイニングへと顔を出す。だが彼はおらず、代わりにラップで包まれたサンドイッチが並べられていた。


 付箋で『武士の情け』と、達筆な字が残されている。料理のできない美冬のために夏彦が用意してくれたのだとすぐに分かる。


「喧嘩していても、やっぱり姉弟ね」


 血の繋がりは言い争いくらいで切れるほど細くない。この喧嘩も顔を突き合わせて頭を下げれば、きっと許してくれるはずだと信じていた。


「あ、いけない、時間が……」


 時計はバイトの時間まで残り二十分を指していた。


「行儀が悪いけど、食べながら向かうしかないわね」


 折角作ってくれたサンドイッチを残すわけにはいかない。口に含みながら、家を飛び出す。


 額に汗を流しながら、駅前の古書店に到着する。時計を見ると、まだ五分以上余裕があった。


「全力疾走したおかげね。バイト初日から遅刻しなくて済みそうだわ」


 呼吸を整えて、古書店の扉を開こうとした時、背中に鋭い視線を感じる。嫌な予感をそのままにしておくこともできずに振り返ると、そこには電柱の影から彼女をジッと見つめる明智の姿があった。


「どうして由紀がこんなところに!?」

「み、美冬……」


 明智は気まずそうに視線を逸らす。ただならぬ態度を心配し、彼女の元へと駆けよった。


「もしかして西住くんに用事でもあるの?」

「あいつにはないわ」

「なら誰に……」

「それは……」


 まるで恋する乙女のように明智は頬を赤らめながら顔を逸らす。その態度で彼女の目的を察する。


「さては山崎くんの噂を聞いたのね」


 本の鑑定のために、あやかし古書店を訪れていた山崎兄弟を思い出す。どこかで情報を仕入れた彼女は、偶然の出会いを演出するために、隼人を待ち続けていたのだと予想する。


 だがその予想は外れていたのか、明智はキョトンとして、頭に疑問符を浮かべた。


「あの男がどうして本屋に?」

「……山崎くん目当てじゃないのね」

「当たり前よ。貴重な休日をあんな男のために使いたくないわ」

「それじゃあどうして……」

「美冬のために決まっているじゃない」

「私の?」

「風の噂で聞いたの。美冬、西住のところでバイトするんでしょ?」

「耳が早いわね。誰から聞いたの?」

「誰でもいいでしょ。そんなことより本気なの?」

「何か心配事でもあるの?」

「……西住と一緒にバイトでしょ。あやかしの知識もないのに、そんなバイトが務まるの?」

「それは……一応昨日も簡単な整理ならできたし……頑張って一人前を目指すとしか言えないわね」

「ねぇ、提案なんだけど、私のバイト先でも人を募集しているの。私ならサポートできるし、一緒に働かない?」

「ありがたい申し出だけど、人手がいないと西住くんが困るから」

「どうしても駄目?」

「駄目。でも気持ちは感謝するわ。私を心配してくれているのよね」


 ただの友人にしては過保護だが、行動の裏にあるのは、美冬を大切に想う気持ちだ。自分は人に恵まれていると、彼女は口元に微笑みを浮かべた。


「なら私はバイトだから。またね」

「美冬……」


 明智は寂寥混じりの眼で、美冬の背中を見送る。彼女が古書店の扉を開けて、姿が見えなくなるまで、その視線は切れることがなかった。

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