第二章 ~『山崎家の遺言』~


「西住と美冬ちゃんじゃねぇか! どうしてここに?」

「僕はここの従業員だからね」

「ふーん。何だよ、てめぇら、既に恋人同士だったのかよ」

「こ、恋人って、ち、違うよ。私と西住くんは……」

「惚けるなよ。手、繋いでいるじゃねぇか」

「こ、これは!」


 慌てて美冬たちは手を離す。照れのせいか、二人の顔は耳まで赤く染まっていた。


「おい、西住、あんまり調子に乗るなよ。美冬ちゃんに目を付けたのは俺が先なんだからな」

「女性は物じゃないよ。大切なのは東坂さんの気持ちさ」

「なら問題ねぇ。美冬ちゃんも俺のことが好きだもんな?」

「そんなはずないでしょ」


 霧崎を捨てる軽薄な男に心を惹かれることはない。むしろなぜ彼がここまで自分に執着するのか不思議なくらいだ。


(もしかして善狐さんの魅了の呪いが強くなっているのかしら)


 山崎の態度は日を重ねるごとに好意的になる。街でナンパされる数も徐々に増えており、その原因として考えられるのは、あやかしの力くらいのものだった。


「そんなことより山崎くんが僕の店に何の用かな?」

「俺に用事はねぇよ。ただ兄貴の付き添いとして来ただけだ」


 兄貴と呼ばれた男が小さく会釈する。弟の隼人と違い、礼儀を弁えていた。


「この馬鹿な弟の兄をしている山崎傑と申します。傑と呼んでください」

「ケッ、西住相手に敬語なんていらねぇよ」

「頼みごとをしに来たのだ。礼を欠くわけにはいかん」

「僕に頼み事?」

「西住さんは、あやかしに関する書物の専門家だとお聞きしました。この本の鑑定を是非、あなたにお願いしたいのです」

「鑑定ということは買い取りですか?」

「いいえ、小説の中身の精査をしていただきたいのです。おいっ、千鶴。用意しろ」

「は、はいっ」


 千鶴と呼ばれた制服姿の少女は手提げ袋から原稿用紙を取り出す。その厚みから察するに、百枚程度の中編小説だと分かる。


「この小説は誰が?」

「私たちの父です。そこそこ名の知れた小説家でした」

「あやかしに、山崎って、もしかして山崎徹さん?」

「知っているのですか?」

「僕のお客さんの一人でしたから……ご本人は?」

「来ていません。というより来ることができません。なにせ先日亡くなりましたから」

「それは……お悔やみ申し上げます」


 大切なお客の一人が命を落としたと知り、西住は目を伏せる。


 だが美冬は山崎兄弟から違和感を覚えていた。そしてその違和感をそのまま言葉にしてしまう。


「傑さん、あんまり悲しそうに見えないわね……って、ごめんなさい。私、つい、思ったことを口にっ!」

「気にしないでください。なにせ私と父の仲はあまり良くありませんでしたから」

「か、悲しくないんですか?」

「悲しみはありませんね。むしろこのタイミングで死んでくれたことが……いえ、失敬。言葉が過ぎましたね」

「クククッ、兄貴、善人ぶるんじゃねぇよ。親父の金が欲しくて、死んで嬉しいってハッキリと口にしろよ」

「――――ッ」

「だが残念だったな。金は俺のものだ。諦めるんだな」


 二人の話が見えず、美冬たちは困惑させられる。


「兄貴はな、事業に失敗したせいで借金を背負ってんのさ。だから喉から手が出るほどに金が欲しいのさ」

「借金はお前も同じだろ。遊ぶ金欲しさに消費者金融からいくら借りたんだ?」

「誰が教えるかよ、バーカ」

「ふんっ、その性格の悪さ、母そっくりだな」

「気の弱い親父に似るよりはマシだ」

「悔しいが、それに関してだけは同意だな」


 山崎兄弟はどちらも亡くなった父親を尊敬していなかったのか、馬鹿にする態度を隠そうともしない。しかしただ一人、妹の千鶴だけは、納得できないと声を上げる。


「お、お父さんは、優しい人だったもん」

「千鶴、てめぇ、俺たちが間違っていると言いたいのか!」

「ひぃ……で、でも……」

「声を出すなら腹から出せ!」

「ご、ごめんなさい……っ」


 千鶴は兄弟たちの圧のある声に肩をビクッと震わせる。短いやり取りだが、三人の関係性を把握できる会話だった。


(千鶴ちゃんは家庭内での立場が弱いのかしら……それにきっと彼女のお父さんも……)


 以前、明智から聞いた山崎家に関する話を思い出す。


 山崎家は山崎徹が婿に入っており、母親が家庭内の力を掌握していた。だが母親は急死し、家庭内のパワーバランスは大きく変動した。


 兄弟はどちらも母親に似て勝気な性格に育ったため、気の弱い父親を尊敬することができなかった。一方、妹の千鶴は、父親に似て温和な性格に成長していた。


 気弱な父と娘、それに対立する強気な兄弟。山崎家は二つの勢力に分かれていたが、父の死により、娘の境遇は悪化。二人の兄から虐められているのが見て取れる。


(ここは私がガツンと言ってあげるべきね)


 千鶴に助け船を出すべく、鋭い眼差しを傑へと向ける。


「傑さん、兄妹は仲良くしないと駄目ですよ!」

「……これは家庭の問題です。口出しをしないでいただきたい」

「で、でも……」

「もう一度言います。あなたは部外者です。踏み込んでこないでください」

「――ぅ……」


 取り付く島もない態度に、たじろいでしまう。当事者の千鶴もまた、悲しげな顔で首を横に振る。


「美冬さん、傑兄さんの言う通り、私の事は気にしないでください」

「でも……」

「弱い私がいけないって、ちゃんと分かっていますから」


 本人に救いの手を拒絶されては、美冬にできることは何もない。仕方ないと、諦めるしかなかった。


「話が脱線したみたいだけど、僕はこの小説をどう精査すればいいの?」

「お願いしたいのは、父が残した遺言の解読です……実はこの小説には、父の遺産を誰に引き継がせるかを記しているのです」

「遺産を継ぐ相手が書かれているのに、解読が必要なのかな?」

「それは……」

「なるほど。話が読めたよ。遺言内容が納得できないモノだったんだね。だからきっと隠れたメッセージ、特にあやかしと結び付けた暗号が隠れていると考えたわけだ」

「まさしく。私では隠された真意を探ることができませんでした。是非、専門家である西住さんに見ていただきたいのです」

「そういうことなら……でも随分と回りくどい方法で遺言を残したんだね。小説に拘った理由が何かあったのかな?」


 シンプルに考えるなら、小説ではなく、箇条書きで財産を誰に残すか記せばいい。


「小説という形で残したからこそ、裏の意図があると読んだのです」

「だね。僕も何か目的があると思うよ」


 生前の山崎徹は無意味なことをする男ではなかった。敢えて小説に残したのだ。そこには必ず狙いがある。


「とにかく読んでみましょうか」


 西住は残された小説に目を通す。タイトルは《鬼の恩返し》。鬼とある兄弟について描いた話だった。


 物語は作者による一人称視点で始まる。まるで日記のような文体だ。そこで西住はあることに気づいた。


「変だな。随分と仮名が多い」

「それのどこが変なのですか?」

「徹さんの小説を読んだことは?」

「ありません」

「では分からないのも仕方がないね。彼の小説は常用しない表外漢字を多用することで、あやかしの不気味な雰囲気を表現していたんだ。そんな彼の作風と、この《鬼の恩返し》の文体の差に意図を感じないかい?」

「……普段、小説を読まない我々に対する配慮ではないでしょうか?」

「その可能性もあるね。でも僕はこの小説が女性視点で描かれているのではと感じたんだ」

「女性視点?」

「土佐日記から始まり、男性が女性と偽ることは珍しくない。その代表的な表現例が仮名の多用だ。きっと徹さんは、作者が女性視点であることに意味を持たせているはずだよ」


 意味もないのに、あえて一人称を女性だと偽るはずもない。その意図を探るため、小説を読み進める。


 粗暴な兄弟と、彼らに虐められる温厚な私。物語はシンデレラのように、不遇な立場に置かれている主人公の境遇説明から始まる。


 だが主人公が人間に虐められていた子鬼を助けることで、物語は展開を迎える。小鬼は恩を返すために、鬼の軍勢で虐めの首謀者である長男を襲ったのだ。


 死は避けられたが、傷だらけになった兄。寝床で伏せる彼を見て、弟は復讐のために立ち上がる。


 鬼の住処に討伐隊を率いて乗り込み、仇の鬼を征伐する。その勇気ある行動が評価され、弟は兄の代わりに、一族の当主となる。財産を相続した彼は、美しい嫁と共に幸せに暮らすことで、物語は幕を閉じる。


「弟が財産を相続する物語か。なるほどね。遺産を継ぐべき人物が誰なのかを暗喩しているね」

「ククク、つまりこの俺が遺産を相続するに相応しい男ってことだ」


 次男の隼人が遺産を継ぐ。この結果に美冬は違和感を覚えた。


「山崎くんが遺産を相続するのはおかしくない?」

「美冬ちゃん、言いがかりは止めてくれよ」

「でもお父さんのこと尊敬してなかったのよね?」

「おう」

「心情的には慕ってくれる娘の千鶴ちゃんに財産を譲りそうなものだけど」

「それは……千鶴が頼りないからさ。だからしっかり者の俺を相続人に選んだのさ」

「山崎くん、頼り甲斐あるかなぁ」

「うるせぇ。とにかく遺言があるんだ。俺が遺産を相続することで決まりだ」


 確たる証拠があるのだから、権利は譲らないと、声を張り上げる。だがその結果に納得していないのは美冬だけではなかった。


「美冬さんの言う通り、私も隼人が相続することに疑問を抱いています」

「兄貴ぃ、今更見苦しいぜ」

「千鶴ならまだ分かる。だがお前は家族の中で最も父を嫌っていた。それにも関わらず遺産を渡すことに納得できない」

「憎らしい子ほど可愛いってことだろ。とにかく親父の心の内を証明できるのは、この小説だけなんだ。外野が何を言っても変わらねぇ」

「うぐっ……だ、だが、本当にその小説は本人によって書かれたものなのか?」

「遺言を書斎の本棚で発見したのが俺だから疑っているのか?」

「そ、そうだ」

「この字を見れば、親父が書いたものだって分かるだろ。俺が改変したわけでも、追記した字でもない」

「それでも似せる努力をすれば……」

「筆跡鑑定してもいいんだぜ」

「うぐっ……」


 傑も口では否定したものの、筆跡から父親が書いたものだと確信していたのか、反論できずに黙り込む。


 このままでは遺産が隼人のものになる。阻止するためにも、縋るような眼を西住に向ける。


「お願いします。この馬鹿に遺産を継がせないためにも、小説に隠された意図を読み解いてください」

「徹さんは僕の大切なお客さんでしたから、何とかしてあげたいのですが……」

「頑張ってください! あなただけが頼りなのです!」

「兄貴、見苦しいぜ」

「お前は黙ってろ!」

「では鬼の視点から分析しましょう」


 山崎徹は鬼の愛好家としても知られていた。作中に登場させているからには、鬼であることに何か意図があるはずだ。


「鬼は悪役としてではなく、勧善懲悪を果たすための舞台装置として働くことがあるんだ」

「勧善懲悪ですか?」

「民話を思い出してごらんよ。例えばそう、『瘤取り爺さん』なんかが分かりやすいね。主人公のお爺さんは、鬼の前で踊りを披露することで、悩みの種だった瘤を取ってもらうことができた。同時に悪役のお爺さんは悪巧みをした結果、瘤を二つに増やされてしまう」

「心の清い主人公は幸せになり、悪党は不幸になる。もしかして今回の物語も……」

「正しい流れなら主人公が幸せになるはずだね」


 だが現実はそうなっていない。原稿用意に残された証拠と、知識の整合性の不一致に違和感を覚えた。


「この小説が遺言じゃないってことはないかな?」


 西住の出した違和感に対する結論はこうだ。たまたま書棚で遺言とは無関係の小説を見つけ、それを隼人が遺言だと言い張っているのではないかと。だが傑はその推理を否定する。


「実は……《鬼の恩返し》に遺産の相続人を記したと、死に際に父が口にしていたのです」

「その言葉を聞いていた人物は?」

「ここにいる全員です」

「なら嘘はなさそうだね。小説の隠し場所は聞かなかったの?」

「いずれ分かるとだけ。私はその言葉を、自宅を捜索すれば、必ず見つけられると解釈しました。そして家族全員の捜索により、隼人が本棚から原稿を見つけたのです」

「う~ん、困ったね。決定打に欠ける」


 この場にいる誰もが隼人が相続することに違和感を覚えている。だがそれを覆すための証拠がない。


 突破口はないものかと、唸り声をあげていると、突如、美冬に頭痛が奔る。


「いたたたっ、痛いよ、鬼さん」


 急に襲ってきた頭痛はあやかしによるモノだとすぐに察する。何かを伝えたいのか、頭痛は次第に酷くなっていく。


「東坂さん、大丈夫?」

「だ、大丈夫じゃないかも……わ、分かったわ。事件を解くから。だから痛みを止めて」


 謎の解決を諦めない意思を示すことで痛みが引いていく。急に痛がりだした美冬を、山崎兄弟は不審な眼で見つめていた。


「美冬ちゃん、病院へ行かなくていいのかよ?」

「頭痛は引いたから大丈夫。それよりも事件を解決しないと、また鬼さんに怒られちゃうわ」

「鬼さん?」

「こっちの話だから気にしないで」


 山崎徹は鬼を愛する男だった。そんな彼が残した遺言をきちんと伝えて欲しいと、鬼が願ったのだ。


「あやかしが東坂さんを通じて反応を示すということは、この遺書に謎が隠されているのは間違いないね」

「何か分かったの?」

「いいや、まださ……ただ東坂さんと鬼の関係性から、解決の糸口は得られたよ」

「私と鬼さんから!?」

「この作品の主人公は鬼と友好な関係にある。この関係性が物語の中で活かされる場面がないんだ。それだけじゃない。あまりに主人公の活躍が少なすぎるんだ」

「それは確かに変ね」


 主人公は小鬼を助けただけで、それ以外の目立った動きはない。本来ならここから二転三転されるはずなのだ。


「ねぇ、もしかして、結末が違ったりしないかしら」

「美冬ちゃん、さっきも言っただろ。この小説は間違いなく親父が書いたものだ。俺が結末を改変すれば、筆跡でバレる。だろ?」

「でも、私、この終わり方に納得できないの」

「ははは、感情論なら何とでもいえるさ」


 隼人は笑うが、対する西住は美冬の言葉から影響を受けたのか、ハッとした表情を浮かべている。


「西住くん、もしかして……」

「東坂さんのおかげで、謎がすべて解けたよ。なぜ主人公が活躍しないのか、なぜ主人公のハッピーエンドで終わらないのか。謎を解くためのトリックは実に単純なものだったのさ」


 西住は原稿用紙をペラペラと捲る。この結末が嘘であると否定するために、最終頁を開いて示す。


「事実から触れようか。この小説は確かに徹さんによって書かれたものだ。そこは揺るがない真実さ」

「だろ?」

「だけどね、彼の著書だからって、それが遺言とイコールではない。この小説には改変も追記もされていないが、不足があるんだ!」


 西住の推理に、隼人は見て分かるほどの動揺を示す。皆が推理に集中するため、耳を傾ける。


「順を追って話そう。最初に遺書を発見した山崎くんは、その結末が自分にとって望ましい結果でないことを知るんだ。そして悪巧みを思いつく――それこそが原稿の結末の隠蔽だ」

「――――ッ」

「これにより物語は中途半端に終わることになる。しかしその結末は、山崎くんにとって理想的だったし、それに何より書き変えたわけでもないから、筆跡で秘密が露呈することもない」

「…………」

「おそらく本来の結末は横暴な兄弟が報いを受けて、主人公の少女が遺産を継いで幸せになるんだ。つまり千鶴さんが遺産を引き継ぐ形で、小説は幕を閉じるんだ」


 西住の推理は現実に可能であり、物語の違和感も解消される。この場にいた誰もが隼人の原稿隠蔽を信じていた。


 だが彼も潔の良い男ではない。西住の推理を立証するための最後のピースが欠けていることに気づく。


「まだだ。まだ終わらねぇ」

「反論があるのかい?」

「当たり前だ。西住の推理はただの推測だ。俺が原稿を隠したって証拠はあるのかよ!?」

「僕は持ってないね」

「だったら――」

「でも持っている人なら知っているよ」

「え?」

「僕が感じていた違和感が実はもう一つあったんだ。徹さんが残した『遺言書の居場所はいずれ分かる』という言葉さ」

「それのどこが変なんだよ?」

「君は書斎の本棚でこの原稿を発見したんだよね。大事な遺言をそんな見つかりづらい場所に隠しておきながら、発見を確信するような言葉を残すかな?」

「そ、それは……」

「敢えて小説形式で残した理由を考えてみなよ。彼はね、死ぬまで小説家だったのさ」

「まさか……」

「察したようだね……徹さんは人気のある小説家だ。そんな彼が遺作として残した作品なら、出版すれば売れること間違いなしだ。つまり、時が経てば、どこかの出版社が書籍として発売するのさ」

「――――ッ」


 もし《鬼の恩返し》が出版されれば、全世界に内容が公開される。いくら原稿用紙を隠したとしても、その結末を秘匿することができない。


「山崎くん、本当のことを話してくれないかな?」


 すべての謎が解き明かされ、証拠もいずれ日の目を見る。自白を促すように、皆が無言の圧力をかける。


 すると観念したように、ゆっくりと口を開くと、申し訳なさそうな眼で西住を見据えた。


「……条件がある。遺言の内容にかかわらず、俺にも分け前をくれ……どうしても金が必要なんだ」

「その要求には僕からは答えられないな」


 遺産の受取人になっているであろう、千鶴に注目が集まる。彼女が答えられずにいると、兄である傑も頭を下げる。


「私からも頼む。遺産を分けて欲しい。事業を成功させるためには金が必要なのだ」


 粗暴な兄たちが真摯な願いを向ける。仲の悪い兄弟だが、血の繋がりが情を沸かせる。千鶴はゴクリと息を呑んだ。


「……いいよ。遺産を分けてあげる」

「千鶴!」

「さすがは俺たちの妹だぜ」

「ただし条件があるの……お父さんに謝って。そしてお父さんの作品を読んであげて」


 千鶴だけは父である山崎徹を尊敬していた。それは父親としてだけではない。作家としての彼にも敬意を抱いていたのだ。


 だからこそ兄弟である彼らにも父親の偉大さを知ってもらいたいと願っていた。故にこの条件を提示したのだ。


「分かった。親父の本くらい何冊でも読んでやるよ」

「私もだ」

「読み終わったら、作品について質問するから。間違えたら分け前なしだからね」

「うぐっ」

「私の妹だけあって抜け目ないな」


 立場が逆転した以上、千鶴の要求を断ることはできない。二人はきちんと作品を読むことを誓う。


「ねぇ、山崎君、隠してある原稿はどこにあるの?」

「俺の部屋のベッドの下に隠してある」

「またベタな隠し場所ね」

「ただ何かあったときのためにスマホで写真を残してある」


 山崎はスマホの画面を皆が見えるように掲げる。結末が描かれた原稿用紙は、西住の予想通り、主人公の少女が幸せになる物語だった。


 鬼の襲撃により、弟は当主の座を失い、それらの鬼を従える主人公が遺産と共に家を継ぐことになる。二人の兄弟は鬼に捕まり、身体はボロボロ、財産も失った。


 だが最後には主人公の少女が兄弟たちを許すのだ。三人が幸せになる物語は、現実の結末をそのまま小説に落とし込んだような終わり方だった。


「徹さんは、千鶴ちゃんが遺産を兄弟に分け与えることを予想していたのね」

「だろうね。だからこその小説だ」


 法に則った厳密な遺言書を作成するなら、小説の形にするのは不合理だ。だが最初から誰か一人に財産を譲るつもりはなく、皆に平等に遺産を分け与えるつもりだったのなら、不合理に問題は生まれない。


「この件だけで家族の仲が急速に改善することはないと思う。でも……」


 きっと良いキッカケになるはずだ。店を訪れた時よりも、どこか仲が良さそうに見える山崎兄妹を微笑まし気に見つめるのだった。


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