第2話 悪夢が迫ってくる

俺は今、深夜の公園にいる。

人を待っているからだ。


もちろんおみくじの結果で臨むものは待ち人来ず、である。


かつて人であり、そして今は人に畏怖される存在へと変わってしまった俺がここまで怯えるもの、それはである。


厳密にいえば俺は彼女と別れの言葉など交わしていない。

だったらなぜ俺が元カノと呼ぶのか、それには明確に理由がある。


俺がそう思いたいからである。


人で無くなり不死という呪縛を背負うこととなった今、せめて人間のころに抱えていた呪縛からは解放されたい。そんなことを願うのはわがままだろうか。


しかし祈りは神に届かず、願いは所詮願いでしかなかったと無残に告げられるように雪乃の姿が遠くに見えたのである。


「おまたせ、せんぱい♪話ならせんぱいの部屋でもよかったのに」

「今お前が破壊したドアの修理をしている最中だ。」

「まるで私がいけないみたいな口ぶりですね、せんぱい?」

「い、いや…それはだな…」


俺は不死の怪異になったのだ。

しかしいくら肉体が丈夫になろうとも、潜在意識に刻み込まれたトラウマまでは解消されないみたいだ。


何をされても死なないとわかっていても雪乃が怖い。

そう思うのは今までの積み重ねの結果でしかない。


「急に連絡もなく行方をくらました理由、教えてくださいねせんぱい♪」


微笑む雪乃は、心底笑っているようだった。

だから怖いのだ。普通は目が笑っていないとか顔が引きつっているとかなのだが、彼女はこの状況を心底嬉しそうに対応してくる。


そもそも彼女と付き合うきっかけは学校でのある出来事だった。

彼女が学校の男子を殴ったという噂から暴力女といじめられていたところにたまたま出くわした。

そして持ち前の無駄な正義感で彼女を庇ったところから俺の人生は狂いだした。


俺も雪乃を可愛いと思ったし、彼女はそんな俺にぞっこんになった。

もうメンヘラなんて可愛いと思うほどに四六時中連絡がきた。授業中も昼休みも朝も晩も寝ていても風呂に入っていても…


それでも人生で初めての可愛い彼女ということもあり懸命に頑張った。

しかし無理だとすぐに気がついた。


そして俺は逃げるように県外の高校を受験し地元を離れた。

それでもしばらくは毎日のように電話とメールが鳴り続けた。

しかし無視を続けていた時、俺の元に彼女が今と同じようにやってきたのである。


そして俺は一晩中満面の笑みの彼女に拷問をうけた。

その翌日、俺たちは復縁した。


強制的にグー結びで硬く繋がれた赤い糸は俺がこの世で初めて受けた呪いであった。

その後は連絡だけを続ける日々で落ち着いた。

最も連絡が返せない、忘れていたなどということがあれば翌日は死を覚悟するほどに脅された。


そして夏休み、祖父の死の際に実家に帰った際に彼女と

久々に会った時に思った。


怖い、と…


一言で彼女を言い表すならばサディスティックヤンデレサイコである。

平気で包丁を持ち出すし、鉛筆は人に向けるために削るものだと笑う彼女が怖くないなんて人間はいない。


それでもここまで付き合ってきた情と、別れを切り出した後に想像される惨状を鑑みて明確な別れは告げなかった。


そんな関係が続いてあの冬の日、俺は実家に帰ろうと思った時に雪乃の顔が真っ先に浮かんだ。


心底落ち込んだ時にはどんなものにでも寄りかかりたくなるものだ。


しかし実家には様々事情が重なり帰れなかった。

奇しくもその頃、なぜか雪乃からの連絡が来なくなった。

もしかして俺の噂を聞いて幻滅してくれたのかもしれない。

そう考えた時、俺の中で何かが弾けた。


もう人ではなくなった以上、人との関わりを断とうと思っていた俺は、彼女にサヨウナラとだけメールをして、携帯を捨てた。


そして誰にも告げることなく、今のボロアパートに引っ越した。

もうこれで雪乃と会うこともない。

そう思うだけで心が軽くなる自分がいたのに気づいた。


だが再び悪夢が目の前に迫り俺に微笑みかけている。


「聞いてますせんぱい?」

「あ、ああ…聞いてるよ…それよりなんで俺の居場所がわかったんだ?」

「今質問してるのは私ですよね、せんぱい?」

「ご、ごめん!いや…ちょっと色々あって…」


そもそも雪乃は相当なまでのヤキモチ焼きだ。

俺が連絡を取れないと浮気を疑い狂気に走るし、街で女の人を見ているとピンセットで背中の肉を引きちぎられそうになったこともある…


「女…ですね?」

「ど、どうしてそう決めつける?女なんているわけないだろ!?それにもう俺とお前は付き合ってないじゃないか?」

「いつ別れるなんて私が言いました?それに私と別れたい理由があるなんて、やっぱり女ですよね?」

「だからなんでそうなる…」


俺はもう人間じゃない。

不死の怪異として人に化け物扱いされ迫害される存在になったのだ。

などと話しをして通じるとは到底思えない…


でも俺は今はっきりと自分の意思が見えた。


雪乃に嫌われたい。


そして俺は徐にその辺にあった木の枝を拾った。

そして彼女に見せつける一心で自分の腕を思い切り刺した。


「いっ!」


痛みはある。

だがそれはすぐに痒みに変わりやがて再生と共に消滅する。


血しぶきをあげた俺の腕の傷はみるみるうちに彼女の前で再生したのである。


「ごめん…こういうことなんだ。もう俺は人じゃない…。だから君とは付き合えない。それじゃ…」

「そ、そんな…」


驚く彼女の顔を見て、少しだけ申し訳ない気持ちにはなった。

しかしそれ以上に、これでようやく呪縛が解けるかもという期待による高揚感に包まれた。


そんななんとも言えない感情渦巻くまま、立ち去ろうとすると雪乃に呼び止められた。


「せんぱい、どこいくんですか?」

「え、どこって…」

「もしかして今のを見て私が幻滅したとか思ってます?」

「そ、それは…」

「ふふふ、素敵な身体ですねせんぱい♪これで私も遠慮なく痛めつけれるようになったんだと思うと…ゾクゾクしてきました!」


今日一番の笑顔でそう答える雪乃の顔を見て俺はゾクっとした。


そして俺は一つの真理にたどり着いた。


一番怖いものは怪異でも妖怪でも化け物でもない。

ましてや死ぬことや死ねないことなどという倫理観による精神的恐怖でもない。


たった一人の俺の元彼女。

それがこの世で一番怖いものであると自覚した。



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