お蛹馴染(おさななじみ)

たってぃ/増森海晶

第1話

遠藤えんどうさん、突然ですいません。家庭訪問に伺いました、遠藤千紗えんどうちさの担任の湯島ゆしまです」

 よく通る男性の声に、バイトにでかけようとした足が玄関のところで止まる。

 嫌な予感がした。さらに、自分の感じる嫌な予感は、ことごとく当たることをオレは骨身にしみていた。

 立ち止まって耳をそばだてると、しばらくして、ばたばたと奥から足音が聞こえてくる。

 千紗の足音ではない、千紗の母親である加奈子かなこさんだ。

 ガチャリと扉が開く音と、ドアのチェーンが揺れる音がした。

「あらあら。わざわざ娘の為に、日曜までお時間を作ってくださってありがとうございます」

 加奈子さんが丸い頬に手をそえて、やれやれと笑っている姿が目に浮かぶ。

 担任の訪問に慌てる風もなく、かといって喜んでいるニュアンスでもない、どこか不機嫌な声。

「あの、遠藤さんの具合は?」

「それがあの子ねぇ。図書館に行って、まだ帰ってきてないのよ。困っちゃうわねぇ」

「ということは、外に出られるくらいに具合は良くなったのでしょうか。お医者様はなんと?」

「心の問題だから、なんとも。結局、あの子次第だと思うのよ」

(なんだ? もしかして、千紗のヤツ学校行ってないのか?)

「ですが、出席日数がこのままだと足りなくなります。そうなれば、期末テスト以前に中退か留年するしかありません」

 切々と訴える担任の声は重くかすれていた。

 オレは担任の口から『中退か留年』を出した幼馴染の現状に混乱する。

「あら、やだー。本当にぃ?」

 加奈子さんの声がいささか低くなる。今にも爆発しそうな、背筋が凍てつきそうな怒りを感じる。

「えぇっ。本当ですっ! せめて来週から補習の時間を作りますので、ぜひ学校に来てください。あと、もし生徒同士の人間関係に問題があるのでしたら……」

「えぇ。えぇ。えぇ」

 真剣に千紗の現状を改善しようとする担任と、相槌を打ちながら内側に怒りを溜めこんでいる加奈子さん。

 最悪な構図だ。加奈子さんは、絶対担任の話なんてちっとも聞いていない。これは断言できる。

 日曜日にわざわざ家庭訪問をする熱心さは、自称放任主義の加奈子さんとは相性が悪すぎだ。

「ですから、娘さんが戻ってきたら、この番号に連絡してください。このままでは、彼女がいままで積み上げてきたものがムダになってしまう!」

「――っ!」


『カッちゃん。わたしたち、キモイんだね』


 千紗は悪くない。泣かないでくれ、千紗。


『カッちゃん、わたし、高校卒業したら、家出るよ』


 やめろよ。そうやって、自分を追い詰めるなよ。


 担任の訴えは、ほぼ悲鳴になっていた。担任の声と千紗の声に滲む切実さが頭の中でごちゃごちゃになり、オレはその場に立ち尽くす。

(お前に、一体なにがあったんだ?)

 スマフォを取り出して、千紗へ短めのメールを送るも心臓がバクバクと音をたてて血を送り出していく。全身から汗が拭きだして、突き上げてくる得体の知れない感覚に胃の奥がこみあげてくるのを感じた。小さな黒い点がじわじわ広がり、汚いものが侵食していく予感に恐怖をおぼえる。

 もはやバイトどころではなかった。頭の中に膨れ上がっていく不安がオレに結論をせかしていた。


『カッちゃん。カッちゃん』

 ツインテールの髪がさらりと流れて、紺のセーラー服に桜の雨が降り注ぐ。

 彼女との最後の記憶――中学三年の卒業式のあと。光と花弁に戯れる蝶のように、小柄な身体がオレの後ろをついていく。

 いつもなら彼女はオレに抱きつくのに、距離を保って歩く姿に、彼女の決意があらわれているようだ。

 後ろを振り返り立ち止まる。学校の近くにある公園には、卒業式帰りの学生たちが涙を流したり笑い合いながら、仲のいい友達と写真をとっていた。

『なぁ、オレ等も写真を撮らね?』

『だーめ』

 即答する千紗は、父親譲りらしい涼やかな二重を少し釣り上げて、柔らかな頬をリスのように膨らませた。

 春の光が彼女の顔に当たり、柔らかな顔の産毛が光って、全身が光に縁どられていく光景にオレは言葉を失う。彼女が蝶のように、光の彼方へ飛び去ってしまいそうでオレは怖い。

『ちゃんとわたしたち、自立しないと』

 自らに言い聞かせる、どこか幼さを感じさせる声。

『いいじゃんか。仲の良きことは美しきだろ?』

『だめ。目指すのは親しき中にも礼儀ありな、堅実な自立だもん』

 みっともないオレは、千紗のように正しく終わらせようとすることが出来ない。

 今にも泣きそうに顔を歪めて未練がましく千紗を見る。

『カッちゃんには、あの雪の日に助けてもらって感謝しているんだよ。おかげで、友達も出来たし、生きることの希望も見つけることができたんだから』


――だから、ありがとう。


 静かになったところで、扉を開ける。

 担任がいたと思しき場所に、ちぎれた紙が落ちているのが見えた。

 感情任せに踏みつけられたクツの跡に加奈子さんの苛立ちが伝わってくる。

『ですから、娘さんが戻ってきたら、この番号に連絡してください』

 担任の訴えは彼女には届かない。だけど、オレには確かに届いた。

(番号ゲットと……)

 バイトはしばらく休みだ。バイト仲間や店長に対する罪悪感はなく、頭の中は千紗でいっぱいになっていく。

 千紗千紗千紗千紗千紗千紗……。

(あぁ、だからキモいんだ)

 多分オレは、この先恋人が出来ても、結婚して子供が生まれて子供がピンチになっても、千紗を優先するのだろう。

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