第31話 選手権大会 その9

 翌日。




 いよいよ最終日だ。

 料理大会はジギルハイム皇国3人の料理人と俺が戦う事になっている。

 そして武術大会は……コーネリアとムッキンガムさんの一騎打ちだ。

 っていうかムッキンガムさんマジでどうするんだろうな。一応、国の威信を賭けて大会に出場してるはずだし。


 まあ、俺には関係ねーからどうでも良いか。


「しかしお前様よ? 本当に勝てるのか? 審判が買収されておるのだぞ?」


「料理もそうなんだがな、仕込みが大事って奴だよ。で、仕込みはもう終わってる。先方は快諾してくれたよ」


「確かに昨晩は何やら……どこかに出かけておったようだが……本当に何をするつもりなのじゃ?」


「後数時間もすれば嫌でも分かる事だ」



 そうして俺とコーネリアは料理会場に到着したのだった。



 


 調理用のブースに到着すると同時、俺の前にデップリと肥えた男が現れた。

 白髪が混じった長髪に燕尾服にシルクハットと言う服装。

 見た目は50代程度で、パっと見に印象からは中々の貫禄が窺える。

 オッサンは俺を一瞥すると共に鼻を鳴らした。


「昨日の2回戦……キミは敗退のはずだろう?」


「まあ、色々あって繰り上りとなったんだよ」


「ところでキミはこう思っていないか? 実力では自分が一番だ……とね」


 俺はしばし押し黙ってから、オッサンに向けて尋ねた。


「あんたは一体誰だ?」


「ジギルハイム皇国の皇弟だよ。帝国議会の議長であり、事実上高校のナンバー2でね。決勝の審査委員長を務めさせてもらうことにもなっている」


 なるほど。クズ共の親玉か。


「で……俺が実力では一番だと思っているかって?」


「ああ、先ほど私は確かにそう尋ねさせてもらったね」


 ファックサインを作って俺は言い放った。


「思っているに決まっている。そりゃあ、審査委員に手をまわして無理矢理な裁定を下させてたクソ野郎共に負けるなんて思う訳がねーだろう」


 俺の言葉に、ふふんと笑ってオッサンは言った。


「キミの料理は1回戦から見させてもらっていたよ。その結果で言っているんだ。キミは料理人としての実力はない」


「……どういうことだ?」


「青魚料理は抜群の素材を活かして焼いただけだし、スープパスタにしたって、極上の豚肉と骨だからこそ、2時間の煮込みで出汁を何とか取ることができた……そして、一般には知られていない魔法のアイテム……白い粉を使ったよね?」


 ほう、とそこで俺は息を呑んだ。


「お前は喰ってねえよな? それだけでどうしてそこまで分かる?」


「私は美食で知られていてね? ケルベロスの嗅覚を持つ悪夢の毒舌家といえば私の事だよ。この二つ名を聞いて震え上がらない料理人はジギルハイム周辺では存在しない」


 確かに臭いだけでそこまで分かるって事は確かな舌を持っているのだろう。


「で、審査委員長殿は何が言いたいんだ?」


「キミは優秀な料理人ではなく、優秀な仕入れを持っているだけの人間に過ぎないと言う事だよ。これは料理大会であって仕入れの腕を競う大会ではない」


 いや、そもそもさ。

 具材と調味料を持ってきて良いって言ったのはお前等じゃねーか。

 無茶苦茶言いやがるなこいつ。


「それで?」


「故に、先日のキミへの準決勝敗退と言う措置は至極当然の結果なのだ」


「はいはいそうですか」


 と、そこで審査委員長はニヤリと笑った。


「決勝戦のお題は卵料理だ。そしてキミには今までのように材料の持ち込みは認めない。全て――ここで用意した食材で調理してもらう。同じ条件なら我々の料理人が敗北する道理はない」


 審査委員長が指差す先にはテーブルが置かれていた。

 そして、その上には卵と野菜と肉が山となり、塩やコショウなどの香辛料の数々も置かれていた。

 卵料理……か。

 俺は野菜の山を一瞥して笑った。


「ああ、受けて立ってやるよ――――圧勝してやるから覚悟しとけ」


 と、そこで審査委員長は大袈裟に肩をすくめて笑った。


「そういえばキミは何やら特殊な料理の知識もあるようだな?」


「ああ、そうだが?」


「今回はそれも封印させてもらう」


「っていうと?」


 大きく頷き審査委員長は言った。


「今回のお題は卵料理の基本中の基本だ」


「基本中の基本?」


「プレーンオムレツを作ってもらう」


「……プレーンオムレツ……だと?」


 俺はそこで狼狽を声色に混ぜてしまった。

 俺の反応に審査委員長は満足げに頷き笑った。


「そうだ。味付けは牛乳と塩と胡椒とバターのみだ。完全に焼き加減だけの勝負となるわけだね」


「ははっ……なるほどね。本当に完全に技術勝負になる訳だ」


「そういうことだ。そして、そういう事をやらせて、我々の料理人がキミと同じ土俵の料理を作る訳がない」


 深く溜息をつく。

 そして、思う。




 ――よりによってプレーンオムレツか……と。




 軽く頷いて俺は肩をすくめた。


「ああ、そうだろうな。確かにお前等が飼っている料理人が、プレーンオムレツで俺と同じレベルの料理を作る訳がないわな」


「ふふっ! 認めるという訳だね? 自らの料理の未熟さを……っ!」


「まあ、とりあえず決勝の俺の料理を味わいなよ」







 ――深夜の賄いの炒め物。


 7歳の頃から10年間お袋にやらされていた俺の日課だ。

 で、まあ、その日の余った食材ってんだから、本当に色々な食材があった。

 魚が余ってたら三枚に卸ろす所から始めなきゃいけないし、ジャガイモが余ってたら皮を剥かなきゃいけない訳だ。

 その都度、分からない事があればお袋に師事を仰いで、ヘマをやらかすと容赦なく頭にゲンコツを喰らった。

 そして気が付けば、俺はいつの間にか大体の食材を、適切に包丁で処理できるようになっていたのだ。

 基本的な味付けのイロハも炒め物で学んだし、今思えば先祖代々この方法で俺達の技術の伝播が行われてきたんだろう。

 で、そんな感じでその日の余り物で、俺が考えて俺が作るって感じだったんだが、最初の1年間はプレーンオムレツ以外の料理を作らせてもらえなかった。

 曰く、洋食の基本中の基本ということで、これがまともに作れないと話にならないという事だ。


「懐かしいな。本当に」


 胸に色々な思いが去来する。

 

「うむ? どうしたのじゃお前様?」


「いや……。まあ、プレーンオムレツには思う所があるんだよ」


「ふぬ?」


「本当に……色々とな」


 厨房に俺が入るまでの母親は、ただただひたすらにニコニコと笑っているような優しい人だった。

 けれど、子供の時に、俺が厨房に足を踏み入れてから……お袋の態度は一変した。

 いや、正確に言えば、その前に何度も何度も優しく問われたような気がする。


『本当に料理人になりたいの? 料理が好きなの?』


 何十か何百か分からない回数の問いかけ全てに、俺は首肯していたことは覚えている。

 そして……お袋は俺が厨房に足を踏み入れた瞬間に豹変した。

 少しでもミスをすれば何度も何度もお袋にビンタとゲンコツを喰らった事を覚えている。

 当時の俺は「お母さんはどうしてこんなに僕を怒るんだろう」と、殴られるたびに理不尽を感じて枕を濡らしたものだ。


 ――でも、今なら分かる。


 俺も子供ができたらお袋と同じことをするだろうし、そして俺の子供も大人になれば俺の孫に同じことをするだろう。




 そしてその前に何十回でも何百回でも事前に覚悟を確認するだろう。お袋が俺にそうしていたように。




 今思えば、お袋は決して感情任せに本気で殴っている訳では無かったし、けれども子供には滅茶苦茶に痛い程度に調整していた。

 料理人たるもの一歩……厨房に踏み入れればそこは戦場だ。

 お袋はそれを俺に教えたかったのだろうし、お袋のお袋や、あるいや祖父もそれを教えたくて代々そういうやり方をやっていたのだ。

 そして、一族の一連の技術伝播の一番最初に習うのが……プレーンオムレツなのだ。

 必然的に、1年の間……半端ではない程に、気を抜いた瞬間に罵声とビンタが飛んでくるような、そんな緊張感に溢れた中で……常に完璧の調理法を求められる。


 そう――

 


 ――ご先祖様の実家である、横浜の行列のできる洋食屋さんのプレーンオムレツを完璧に再現する為にな。



 1年間の間、ただひたすらにプレーンオムレツを作り続ける。

 そして、それができて初めて、俺の店では料理人見習いとして厨房に立つことが許されるのだ。


 そうして俺はその場で笑い始めた。


 世の中広いとは言えども、一年間……ただひたすらにプレーンオムレツをとんでもない精度で作らされた人間は俺しかいない。

 

 さあ……と俺は呟いた。


「ド肝抜いてやんぜ!」


 山盛りに積まれている卵の中から15個ほどを選ぶ。

 そして巨大なボウルに移して、俺は念を込めて魔法を発動させた。


「お前様……魔法が使えたのか?」


「いや、まあ、俺は半分はあっちで半分はこっちみたいな感じだからな。ちょっとした魔法程度なら扱えないこともない」


「半分? あっち? こっち?」


「分からないならば、深く気にせんで良い」


 何とも言えない表情でコーネリアは小首を傾げた。


「で、何をしておるのじゃお前様よ?」


「簡単な生活魔法で消毒してたんだよ」


「……消毒とな?」


「サルモネラ菌って言ってな。非常に弱い毒で卵の殻にだけ付着してるもんだから、生活魔法で簡単に消毒できる」


 野営途中や迷宮に潜ったりする時に重宝するような生活魔法だ。

 簡単に説明すると、体表の汚れを落としたりするような魔法で、消臭と弱い殺菌作用もある魔法って訳だな。

 ちなみに、表面じゃなくて内部にまで菌が入っている状態だと、この方法では消毒は絶対にできない。 


「ふむ……? どういう事じゃ?」

 

 やはり、何とも言えない表情でコーネリアは小首を傾げた。


「まあ、お前に目に見えない細菌の話をしてもしゃあないだろう」


「いや、細菌と言う概念は分かるのじゃが……」


「意外に博識なんだな」

 

 素直に驚いたのが表情に出てしまった。

 そんな俺の表情を確認し、コーネリアは薄い胸を精一杯に張った。


「くはは! 我を誰だと思ってる? 超絶天才美形魔王少女コーネリアちゃんと言えば魔界で言えば我の事じゃぞ? それくらいのことは知っておるわっ! 我に知識勝負を仕掛けようなどと100年早いわ!」

 

 調子に乗って高笑いまで始めそうだ。

 ウザいことこの上無い。


「で、俺がどうして消毒していたかまでは分かるか?」


 そこで、ぐぬぬとコーネリアは頬を膨らませた。


「……それは分からぬのじゃ」


「これは驚いたな。超絶天才美形魔王少女コーネリアちゃんにも分からない事があるのか? 魔界ってのは大したことねえんだな? ってか、100年早いんじゃなかったのか?」


 大袈裟に肩をすくめ、そしてコーネリアを鼻で笑ってやる。

 するとコーネリアはグウの音が出ないと言う風に顔をしかめてまつ毛を伏せた。

 

「…………いつか泣かせてやるのじゃ」


 そうして俺はクスリと笑ってコーネリアの頭の上に掌を置いた。


「まあ、見とけよ」


 フライパンに火を入れる。

 熱が入るまでに消毒済みの殻付きの卵を猛烈な速度で割っていく。


「片手割り……とな?」


 コーネリアの言葉の通り、左右の両方――片手で一つずつの卵を持って次々に割っていく。


「流石にこれができないと料理人としてはモグリだ」


 そうして卵を割り終える。

 続けざまに塩と牛乳とコショウを卵に投入してボウルをかき混ぜる。

 フライパンの温度を確かめ、バターを投げ入れる。

 ジュワっと、音と共にバターが黒鉄の上で踊って溶けていく。

 完全にバターが溶けた所で、卵をフライパンに流しいれる。

 そこで火力を強めてしばらく待ち、半熟状になった所で箸で3分の1ほどを折り返す。


「良しできたぞ。とりあえず喰ってみろコーネリア」


 フライパンを小刻みに振り、ヘリの部分を使って半熟の部分を包み隠すように返す。

 そうしてテーブルに座ったコーネリアの前の皿に盛る。


「……これがお前様の作ったオムレツか」


 神妙な顔つきでコーネリアは、ナイフでオムレツを突き刺した。

 そしてフォークを入れたところで彼女は絶句した。


「何じゃ……これは?」


 彼女が驚くのも無理はない。

 何せ、ナイフを入れた卵の表面から、トロリと――半熟状の卵が溢れ出て来たのだ。


「半熟卵って奴だ」


「半熟卵……じゃと? 何じゃそれは? 卵は……完全に火を通さないと……危険じゃろ?」


 この世界では細菌の概念が知られていない。

 故に、生卵……あるいは半熟卵は危険な食べ物とされている。

 

 だがしかし、俺は日本の卵が安全な事は知っているし卵かけご飯が物凄く美味しい事も知っている。

 日本では抗生物質の使用も含めた品質管理が徹底されているので安全なのだが、それをこっちの世界の食材で再現しようとすると若干骨が折れる。


「危険じゃねーようにするために、さっき消毒してたんだろうが?」


 なるほど……とコーネリアは頷いた。

 そして、オムレツに更に大きくナイフで切る。

 すると、トプリと先ほどよりも多くの量の半熟卵がオムレツから皿の底に流れ出していく。

 そのまま、彼女はすくい上げる様にフォークで卵を取って口に運んでいく。


「はぅ……っ! 何じゃ……この食感はっ!?」


 口の中で半熟卵の……ドロリとした感触が拡がったのだろう。

 幻覚魔法でも喰らったかのような衝撃の表情をコーネリアは浮かべる。


「……塩とコショウとバターと牛乳しか入れていない……ただの卵焼きが……焼き加減だけで……ここまで……」


 そして猛烈な勢いで半熟のオムレツを平らげ始めたのだった。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る