第12話 イフリートの炎剣と生姜焼きとカツカレー その6

「ファっ……ファっ……ファっ……フォオオオオオオアアアアアアアア!!」


 俺はただ、その場で頭を抱えて叫ぶことしかできなかった。



 なんせ相手は魔王だ。

 最強にして最恐。最悪にして災厄の代名詞……その魔王なのだ。



 しかし、本当にこの少女が魔王なのか?



 状況を再度整理してみる。


 大英雄であるムッキンガムですら、イフリート相手では自らが怪我をする危険があると……後ろに引いた。

 しかも、見た目的にはただの子供に全てを任せる形で……だ。

 この少女であれば無傷でイフリートを制する事ができると、ムッキンガムは確信していたのだ。

 そして続けざまのイフリートの土下座と、魔王様との発言。


 ああ、これはもう――どう考えても俺の前で微笑を浮かべる……恐ろしい位に美しい少女は魔王なのだろう。



 ――終わった。



 もう、何をしようが俺は終わった。

 そもそもこんな定食屋になんで魔王がいるかも分からないが……。


 ともかく、魔王はここに確かに存在するのだ。

 魔王と言えば、血も涙もないと相場が決まっている。

 そんな魔王の不興を買ってしまったのだから……俺の死は確定事項だ。


 だが……と、俺は最後まで諦めない。

 あるいは、イフリートを囮に使えば、この場からの逃走くらいは試みる事もできるかもしれない。


「イフリートっ! 俺が殺したいのは……この娘だっ! 今すぐに焼き殺せっ!」


「無茶を言うなっ! 逆にお前を焼き尽くすぞっ! 人間風情がっ!」


 くっそう!

 八方塞がりだっ!


「このままではカツカレーが冷めてしまう。それでは……綺麗に仲間割れしたところで……そろそろ始めようとするか?」


 ニタァ――リ、と笑いながら金髪の悪魔がこちらに歩み寄ってくる。

 現実離れしているほどに美しい容姿が――俺の恐怖を更に湧き立たせる。


「ヒっ……ヒィ……っ!」


 生まれて初めての、悲鳴が肺腑から漏れた。


 第一王位継承権を持つ王子として産まれ、剣の腕でも非凡な才能を見せた俺。

 腕っぷしでも権力でも……向かう所敵なしだった。

 今までこの世で思い通りにならない事なんて無かった。


 俺の人生で、こんな瞬間が訪れるとは……思いもしなかった。


「くふふ? 我は死に瀕した人間の足掻きが好きでのう? うむ……そうじゃの? 鬼ごっこと洒落込もうか?」


 そう言うと、金髪の悪魔は店のドアを指差した。


「あそこのドアまで、死なずに逃げきれることができたのであれば、無罪放免としてやろう」


「え?」


 ドアまでは7メートル程度か。

 障害物もほとんどない。

 そして、俺の方が3メートルは魔王よりもドアに近い。

 居間からスタートダッシュすれば……あるいは。


 いや、それはあまりにも希望的な観測か。

 絶対に逃がさない自信があるからこそ、逃げてみせろと言っているのだろうからな。

 が、これが正真正銘のラストチャンス。


「スタートは俺が走り始めた瞬間……で良いかな?」


 俺はその場でクラウチングスタートの姿勢を取った。


「ああ、構わぬぞ?」


 良し……と俺は呼吸を整える。

 捕まれば死だ。極限まで集中力を高めて、完璧なロケットスタートを決めるんだっ!


 と、俺が覚悟を決めたその時――



「店の中で走るんじゃねえ。他のお客さんに迷惑だろ……何なんだよ鬼ごっこって……」



 一部始終を静観していた店主が、金髪の少女を睨み付ける。

 急に金髪の少女はアタフタとし始めた。


「いや、こ、こ、これはの……」


「後、喧嘩が店内ではご法度なのは知ってるよな?」


「しかし、店の秩序を保つためには……」


「マナーの悪いお客さんだったら金を取らずに、店主がお客さんに『お代が結構ですから、今後2度とウチの店には来ないでください』って出入り禁止にしちまえば言えば良いんだよ。何で客同士で揉めてるんだよ……」


「むぐゥ……しかし……」


「喧嘩両成敗って言ってな? お嬢ちゃんも喧嘩の当事者なんだから、出入り禁止対象になっちまってんだぜ?」


 そこで金髪の娘の顔色がどんどん蒼くなっていく。


「待てっ! それはつまり……出入り禁止になると……カツカレーが食べれなくなると言う事じゃな?」


「そういう事になるな」


「待てっ! それは本当に待てっ! 待つのじゃ……いや……待ってくださいなのじゃっ!」

 

 半泣きになった魔王が店主に懇願する。

 それはまるでイタズラで怒られている子供と大人。


「ごめん……ごめんなさい……なのじゃ……」


 魔王が店主に深く頭を下げた。


「後、ムッキンガムさん? あんたは抜刀までして……喧嘩してたよな?」


 バツが悪そうに、大英雄はまつ毛を伏せた。


「先に……こやつが剣を抜いたものですから……つい、傭兵時代の頃の癖が……。いや、店主よ。真に申し訳ない」


 ペコリと大英雄が深々と頭を下げた。

 そして20代後半のムッキンガムの連れ……恐らくはマムルランド帝国皇帝陛下が店主に声をかけた。


「店主よ? 俺の顔に免じてムッキンガムを許してやってくれんか? どうか、俺とムッキンガムを出入り禁止にはしないでほしい」


 そのまま、皇帝陛下も頭を下げた。


 今、店主に頭を下げている3人の肩書――ありえない、いや、本来あってはならない光景に、俺はその場で卒倒しそうになった。


 大英雄と、皇帝と、魔王に頭を下げられる男だぜ?


 これはまさに……ここの店主は事実上の世界最強の男なんじゃなかろうか。


 そうして店主は困ったように右手でアゴをさすり始めた。


「……そうだな。出禁にする代わりに……とりあえず……元凶のそこのお前?」


 突然店主が話を振って来たものだから、俺は呆けた表情を浮かべる。


「……………はい?」


「お前はとりあえず皿洗いな」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る