第8話 指名

 十一月下旬、ついに指名する日が来た。

「いらっしゃいませ夢子様、ご指名は誰になさいますか?」

「裕貴くん」

 私は迷わず答えた。


「指名ありがとうございます」

 裕貴くんが敬語を使ったのはそれきりで、席に着くなり「やっぱり俺だった?」と早速な空気だった。気を遣わなくていいのでホッとする。


 三十分位したら一旦いったん裕貴くんが抜けた。あのモデルだ、さっき店に入るのが見えた。やっぱり目立つ。

 裕貴くんがいない間はヘルプが付いた。ヘルプは頑張って会話を盛り上げるが私は裕貴くんとあのモデルが気になる。

 お手洗いと称して席を立ちあちらに向かう計画も……神栖くんに止められる。


「お化粧直し? だったらあちらですよ夢子さん。俺がご案内しましょうか」

 さすがだ神栖くん。客同士が鉢合わせしないようにちゃんと見ている。

 私は諦めてヘルプと束の間の会話を愉しんだ。

 少ししたら裕貴くんが戻ってきた。


「ごめんね離れちゃって」

 ちょっと慌てた表情でそんな風に言われて嬉しくなってしまった。裕貴くんは演技をするタイプじゃないから。

「今日アフター、いい?」

 思わず言ってしまった。裕貴くんは快諾かいだくしてくれた。

 お店を出たのは十九時。アフターは二十二時までと決まっている。


「何食いたい?」

「パエリア」

 私は決めていた単語を出した。

「じゃああの店だな」

 五分ほど歩いたらその店はある。この辺では珍しくスペイン料理のお店。店先の黒板に本日のおすすめメニューが書いてあった。

 パエリアは時間がかかるので選んだ、少しでも裕貴くんと一緒にいたくて。パエリアが来るまでの間私はお酒を飲み、裕貴くんは仕事中だからと飲まなかった。



「おやすみ」

 そう言って別れた。

 帰宅後、裕貴くんと過ごした記憶を反芻はんすうする。しかし酔いが回ったのか緊張したのかパエリアを食べた間の記憶がない。

 ホ茶クラブからスペイン料理店まで歩いた記憶と「おやすみ」と言った裕貴くんの顔を何度も思い出す。もう先輩は思い出さない。私、裕貴くんが好きだ。



 十二月、裕貴くんに同伴しようとメールをした。待ち合わせは少し遠い公園にした。

「寒いねー」

 裕貴くんのサラサラした前髪が風になびいていた。

「寒いのにごめんね」

「なんだよ、んなこと気にすんなよ。さっ、行こう」


 言わなきゃ……店の中じゃ言えない。こんな気持ちのままホストと客として接するなんて嫌だよ。私は胸の底から何かを絞り出し、裕貴くんに想いを告げた。


 一瞬でフラれた。

「俺はホストだから。お前にお遊びは似合わねーよ」

「じゃあ……あのモデルの人は? ハグしてた」

 裕貴くんは他のお客の事は話せないと言った。


「俺はホストなの。ここで嘘ついて売り上げとるのが仕事なのかもしんないけどお前に対してそれはやらない。お前はそういう奴じゃないだろ」

 裕貴くんは真剣な顔をして言った。それはあのモデルには売り上げとる気で接客しているけれど私はそうじゃないって事?

 そんな私が特別みたいに言うなんて……ずるいよ。


「店、来たくなったらいつでも来いよ。夢子の想いには答えらんねーけど仕事はする」

 初めて私の名前を言った。


「どうする?」

「……行く」

 私は涙をこらえきれず泣いてしまった。


「よし、店に着くまでに涙終わるか? 俺が責められるからな」

 裕貴くんはそう言って私の頭を一度だけポンッと軽く叩いた。

 手をつなぐでもなく肩を抱くでもなく、ただそれだけ。

 そうしてゆっくり私に歩幅を合わせて歩いてくれた。

 ホ茶クラブまでの少し遠い道のりをゆっくり二人で歩いた。


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