第15話 逆転の道筋

 酷い悪臭にも鼻が慣れてきた。床は日光が当たらないというのに、ぬめっとした何かがびっしり覆っていて注意して歩かないとすてんと転ぶ。

 行軍は慎重に行わないと。

 黒装束姿の九曜と桔梗が左右を固め、前方にはグリモアとアルゴバレーノが立っていた。

 グリモアは不敵な笑みを浮かべリラックスした様子であったが、アルゴバレーノは臭いで顔をしかめることはなくなったものの、緊張した面持ちで落ち着かないのか時折尻尾をパタリと振っている。

 そこでグリモアと目が合うと、彼が感心した様子で声をかけてきた。

 

「しっかし、よくこんな手を思いついたもんだな。これならいけるんじゃねえか」

「不意を打つ以外に手がなかった。城壁を突破するなんて芸当、とてもじゃないけど俺たちにはできないからな」


 地下に集まると告げた時、彼らは本気か? と半信半疑の様子だったんだが、集合して手ごたえを感じている様子だ。

 よし、そろそろ動くか。


「みんな、よく集まってくれた。心から感謝している。ありがとう」


 ペコリと頭を下げると縦に長くならんだ戦士たちが手を振り上げた。

 そのまま歓声が起こりそうになるのを両手をあげて制し、静寂を保つ。


「暗くて狭い、このような場所ですまない。だが、この道こそが栄光への道だ。装備の確認を今一度頼む」


 なるべく広い場所を選んだが、せいぜい50人が入る程度の広さだった。

 何しろここは街の地下に広がる下水道の跡地なのだから。

 半月かけて九曜に調査を頼み、地下の地図を作った。

 王城がある城壁の中、幽霊屋敷の敷地にも地下があったことから、ひょっとしたらと思い調べたところ、思った以上に下水道の跡地は広範囲に広がっていたのだ。

 作られてから何百年経過したか分からないけど、崩れてくる心配はない。むしろ地上にある老朽化した建物の方が遥かに危険といった始末である。

 城壁もそうだけど、かつてこの街辺りに住んでいた人たちの建築技術の高さには舌を巻く。

 地下を使うアイデア自体は地球の歴史から着想を得た。ローマ時代に作られた都市には上下水道が地下に完備されていて、現在でも一部が使われているほどである。

 ローマ時代の終焉を迎えた後もこれらの都市は都市のまま維持された。

 後の時代にとある都市を攻めあぐていた時、当時の天才将軍が、使われていない下水道を通り街の中に攻め入り、見事、陥落させる。

 俺もかの将軍の手を使わせてもらおうと思ったわけだ。

 

「装備の確認は済んだだろうか?」


 俺の言葉に対し、グリモアとアルゴバレーノが戦士たちの様子を確かめる。

 よっし、問題はないみたいだな。

 そうそう、今回、350人全員分の装備を整えることができたんだ。

 ネズミやサンシーロら俺の計画に協力してくれたミレニア商人の尽力ももちろんあるが、それだけじゃあない。

 ピケの元首ドージェルカ・スパランツァーニがポンと武器と資金を供給してくれたことも大きい。


「元々夜だから暗くて当たり前だけど、ここは月明かりさえ入らない暗闇だ。足元にも注意して進もう。幸い天井が高い。何てことないさ」

「そうだね。っつ」

 

 歩き始めたところで、急ぎ足で俺に並んできたはいいが、つんのめってしまったアルゴバレーノの二の腕を掴む。

 何とか体勢を立て直した彼女はわざとらしく俺に寄りかかってきた。

 

「気をつけろって言ったとこだろ」

「ワザとに決まっているじゃないかい。あはは」

「……そういうことにしておいてやろう」

「何さ。それはそうと、顔色一つ変えないんだね」


 俺の腕にむにむにを押し付けたアルゴバレーノが口を尖らせる。

 そんなもので動揺する俺ではないのだ。城へ攻め入る高揚感が胸中を支配しているからな。

 

「カツラを被っていたことといい、あんたやっぱり」

「何でそうなる……」

「冗談だよ。でもさ、肩の力が抜けただろ? あたしもだよ」

「そうだな。はは。気負い過ぎてもダメだよな」

「そうそう。あんた一人で、あたし一人で何とかできるわけないんだよ」

「俺たちはみんな一蓮托生。生きるも死ぬも同じ船の上だ」


 冗談めいてでも、全員が生きて戻って欲しいという言葉を口に出すことはできなかった。

 もちろん、誰も欠けることなく目的を成就させたい。だが……。

 むうと眉をひそめたところで、アルゴバレーノに額をペシっとはたかれた。

 

「ほら、また。あんたもあたしもお淑やか、何て似合わない。だけど、こんなときこそ笑顔でってね」

「はは。精一杯暴れてやるとしよう」


 訓練は繰り返し行ってきたけど、実戦は初めてだからな。

 こんな時こそ……笑顔、笑顔。

 

「イル様」

「自分でもどうかなと思ったよ」


 今度はじっと様子を窺っていた桔梗にたしなめられてしまった。

 二人のおかけで、気負いが吹きとんだ。ありがとうな。

 心の中で彼女らに礼を述べ、前を向く。

 

「困った顔も可憐です」

「そうねえ。あれが庇護欲ってやつだね。あたしもやってみようかしら」

「お好きにどうぞ」

「何だよ。あたしにゃあ、似合わないってのかい。これでも何人もの男を落とし……」


 言い争うのはいいが、俺を挟まないでくれるかねえ。

 くすくすと笑い、九曜の横に並ぶ俺であった。

 

 ◇◇◇

 

「是……」

「イル様。私と九曜が先に見て参ります」


 いよいよ城内地下まで到達する。

 顔をあげると、ぽっかりと開いた穴があり、月の光が嫌に眩しく感じた。

 この壁を登れば、敵陣真っただ中。

 ごくりと喉を鳴らし、外の様子を探ってくると進言した二人へ目を向ける。


「頼んだ。九曜は兵舎を。あまり近寄り過ぎるな。桔梗は王宮の方を」

「王城内はいかがなされますか?」

「後でいい。時間帯的に城内が本命ではない可能性が高い」

「承知いたしました」


 足先で垂直の壁を蹴って九曜、続いて桔梗が外へ出て行った。

 穴の外から桔梗が顔を出し、ロープを投げる。

 ドサリと落ちたロープを掴み上げ彼女に見えるように掲げた。

 対する彼女はコクリと頷き、顔を引っ込め自らの任務をこなしに向かっていく。

 

「いいのかい。あの子を向かわせて」

「もちろん。九曜と桔梗にしか頼めないことだ」

 

 最も危険な任務であることは重々承知の上だ。だけど、九曜と桔梗がやらずして誰がやる?

 二人は俺にとってかけがえのない大切な者たちであることはアルゴバレーノとて分かっていること。

 だから彼女は「行かせてよかったのか」と尋ねてきた。

 逆だよ。俺の片腕、絶対に失いたくない二人だからこそ。頼んだんだ。

 

「グリモア、アルゴバレーノ。近くに」


 二人に顔を寄せ肩をピタリとつけ、一段と声のトーンを落とす。


「どうした?」

「二人が戻って来る前に地理と配置、作戦の確認をしよう」

「ちゃんと頭に……いや、聞かせてくれ」


 ぽんと自分の頭を叩いたグリモアが顔をしかめる。

 王城はなかなかに広い。メインとなるのはもちろん城で、城内は文官たちが政務を行う場所をはじめ、会食用の大広間、王の間、教会、キッチンなど様々な施設がある。

 だけど、ここに夜を過ごすための寝室はない。夜間警備のために兵の詰め所があるけど、城内を巡回している兵はたかだか二十人程度だ。

 王城に次いで広い建物は兵舎である。

 兵舎は500人程度の兵が寝泊まりできるようになっているが、全ての部屋が使われることはあまりなかった。

 騎士も近衛も街の中に家を持っていたからな。百名ほどは警備のために残っていたけど、他は皆、夜になると自宅に帰る。

 あいつらが逃げ出した日、アレッサンドロが王城にやってきたのも彼が自宅で夜を過ごしていたからだ。

 だが……。


「本作戦で重要なのは兵舎だ。兵舎にはまず間違いなくヴィスコンティが辺境から連れてきた兵が詰めている」

「500ほどだったか?」

「うん。兵舎は500人で満部屋になるんだけど、別に二人か三人を部屋に詰め込んでも十分寝泊まりできる」

「三本ローズだったな。確か」

「そうだ。そして、王宮にどれだけの兵がいるか。ここも作戦の成否を握っている」


 兵舎に次ぐ建物は俺の過ごしていた王宮である。ここは、王族と使用人たちが暮らす家だ。

 この一ヶ月でメイドを雇ったのかもしれないけど、逆に言えば、使用人たちが過ごすための部屋があるということ。

 ヴィスコンティの兵は徐々に街へ住む者が増えているはずだが、多くの者は城内で寝泊まりしていると予想している。

 兵舎に詰め込むより、王宮の部屋も兵が使う方が兵は快適に過ごせるだろう。

 

 桔梗、九曜。待ってるぞ。

 穴を見上げ、心の中で二人の名を呼ぶ。

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