第10話 破廉恥な女

「イルマ様」

「しばらく待とう」

「待て、ですか?」

「向こうからやって来るさ」


 薄い青色のシャツの第二ボタンを外した桔梗の動きがピタリと止まる。

 彼女は俺の言葉を正確に守り、身じろき一つしない。

 

「『楽しむ』と言ったのは言葉のあやだ。警戒を怠らずしばしの休息を」

「……はい」


 ボタンを元に戻した桔梗は俺の横で前を向く。

 五分やそこらで彼らがやって来るとは思えない。そのままトンズラしてしまう可能性だって低くはないんだ。

 なので、彼女に座ってもらおうと声をかけようとしたら、先に彼女が遠慮がちに口を開く。

 

「先ほど、手ずから彼らを仕留めたのにも理由が?」

「もちろん。あの場は桔梗じゃなく、俺がやらなきゃならなかったんだ。せっかく護衛についてもらっているのにすまなかった」

「いえ、イルマ様のことです。深いお考えあってのこと。言葉が過ぎました」

「ちゃんと説明しなかった俺が悪い」


 命を預けた相棒に疑念を抱かせてしまった。まだまだ修行が足らんな……。苦笑しつつ、はっとなり立ったままの彼女を見上げ微笑みかける。

 いかんいかん。苦笑なんてしたら、彼女にまた勘違いされてしまう。自分の力不足だってね。逆だ。俺が足りていなかった。

 

 彼女を隣に座るよう促しつつ、説明をはじめる。


「二つ理由がある。一つは旧市街で一番頼りにされるのは自分の腕っぷしだ。なので、人間である俺は余計に奴らに対し力を見せる必要があった」

「イルマ様は違います……」

「奴らは俺が誰かなんて知らない。ただの人間としか見ないさ。それもこんな細い腕の、な。痛い目を見たから分かっただろう。あいつらが倒されることで、あいつらから噂が広まる。これが一点」

「理解いたしました」

「もう一つはアルゴバレーノがどこにいるのか、知らなかったから。ごろつきどもの伝手を使おうと思ったんだよ」


 表情を変えぬまま桔梗がコクリと頷きを返す。

 もしあの犬耳の男たちの戦闘能力がもっと高かったら、即、桔梗を頼ったけど……。場合によってはどこかに潜んでいる九曜の手も借りるつもりだった。

 それも、杞憂だった。

 ああいう、いきなり難癖つけてくる輩は大概力の無い者と決まっている。強い奴ほどじっくり観察し、むやみやたらに手を出してこない。

 そんな奴らが動く時は、避けられない何かがある時か必ず勝てると踏み、かつ旨味がある場合だけだ。

 暴力という手段に訴えかけるとしても、使いどころを分かっている奴は総じて強い。

 

「イルマ様……」

「来たか」


 ピクリとロシアンブルーの猫耳が振れ、桔梗は前を向いたまま目だけをこちらに向ける。

 聴覚の優れた彼女は俺より先に近づいてくる足音を感知できるのだ。


「……六人です」

「心配せずとも戦いにはならないさ」

 

 たぶんね……。

 逃走か待機かの判断を求めるイルマに軽い調子で応じる。

 対する彼女は、すっと立ち上がり、いつでも刃を抜けるよう最大限の警戒を払う。

 一見すると自然体に見える彼女だったが、袖に忍ばせたナイフの光がチラリと見えていた。

 いつもは武器を完全に見えないのだけど、彼女なりに緊張しているってことか。

 

「力を抜け。きっと九曜はもっと肩の力を抜いているぞ」

「……はい」


 肩を回す仕草をして、「なっ」と彼女に目線を送る。

 ふむ。いい感じだ。普段の桔梗に戻った。

 えらそうなことを言っている俺だけど、対人戦闘能力においては俺より彼女の方が上だと思う。

 桔梗と九曜の一番の武器は奇襲である。忍者は姿を露わにしたら侍に勝つことができない。

 といっても、一対一での果し合いで力を発揮できないわけじゃあないんだ。

 アレッサンドロクラスだと厳しいが、中堅クラスの戦士くらいだったら互角に戦うことができる。

 

 コツコツコツ。

 俺にも多数の足音が聞こえてきた。

 おいでなすったぞ。

 

 前に俺が叩きのめした犬耳の男が二人。彼らを小突きながら進む屈強なライオン頭。

 その後ろに焦げ茶色の犬耳で小麦色の肌をした肉感的な女。年のころは二十代半ばから後半といったところか。

 胸だけを覆う赤色の服を着ていて、おへそが丸見えだった。

 彼女の左右には熊のような大男……こいつはまんま熊型の獣人かな。

 もう一人はカラスのようなテラテラとした漆黒の長い髪を撫でつけた色男だった。こっちは九曜と同じ黒豹の耳だと思う。

 

「姉御ー。アルゴバレーノを連れてきやしたぜ」

「アルゴバレーノさん、だ。馬鹿」


 ライオン頭がぽかりと犬耳の頭を叩く。

 

「ちゃんと連れてきたんだな。ほら、礼だ」


 座ったまま銀貨を二枚指先で弾く。

 コロコロと転がった銀貨は犬耳の男の足に当たり乾いた音をたてた。

 二人に行っていいぞと顎で示す。

 彼らは後ろのライオン頭を気にした様子だったが、銀貨を懐にしまい込むとささっと立ち去って行く。

 ライオン頭は彼らには見向きもせず、追おうともしなかった。

 

「さて、アルゴバレーノさんは、そこの破廉恥な女か」

「随分な言いようだね。人間の小娘。二人揃ってぺたんこだからって、私を妬んでいるんだね」

「いや、全く」


 自分の胸にそっと触れ、ふんと顎をあげる。

 アルゴバレーノは中央にいる女で間違いない。

 彼女はライオン頭を脇に下がらせ、前に出てくる。

 対する俺は座ったまま、顎を下ろし胡乱気な目で彼女を見やった。

 

「ほんと生意気な小娘だこと。ネズミの使いじゃあなかったら、裸にひん剥いて男どもの中に放り込んでやりたいほど」

「はは。まずは自己紹介といこう。俺はイルマ」

「アルゴバレーノよ。お嬢ちゃん」

「ふむ。小娘から昇格したのかな」

「どっちも同じよ。食えない小娘……イルマだったわね」


 そう。本当に強い者はいきなり襲い掛かってこようとなんかしない。

 相手の様子、立場をじっくりと確かめ吟味し咀嚼する。

 目の前にいるこの女のように。

 

 ネズミが人選したのか自然とそうなったのか分からないけど、少なくとも安っぽい挑発に乗って来るような者でなかった。

 ひょいと瓦礫から降り彼女の目と鼻の先まで詰め寄る。

 そこまで来ても左右の男は俺に目を向けこそすれ手を出してこようとはしなかった。

 もちろん、桔梗も同じくだ。

  

「試すような真似をしてすまなかった。一度くらい挨拶にこようと思っていたんだが、なかなか、な」

「あんた。ひょっとして」

「俺はイルマ。ネズミの片棒を担いでいる。俺の素性を今語ったところで疑心しか生まれないだろうから。俺が何をするか、何を成すかで俺を判断して欲しい」

「変わった女だね。ほんと」

「気に食わないだろうけど、俺とネズミの言葉は同じだと思ってくれ」

「ふん。これだけの男達に囲まれて眉一つ動かさないあんた、只者じゃないってことは分かるさ。その生意気さも嫌いじゃあないね」

「ならよかった」


 それにしても彼女、背が高いな。

 一般的な男性の平均身長くらいありそうだ。

 至近距離で会話しているため、見上げる形となり首が疲れる。

 俺が背伸びして、くいっと顎をあげたらちょうどキスできるくらいの身長差かな。

 

 一歩下がり、表情を柔らかなものに変える。

 俺の雰囲気の変化を感じ取ったのか彼女の空気も和らいだ。

 

「背の高い女は好みじゃないのかい?」

「どっちでも。と、冗談はこれくらいにして、本題に入らせて欲しい」


 へえと値踏みするように口元に笑みを浮かべるアルゴバレーノに対し、俺も同じようにニヤリと微笑む。

 

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