宝箱をもらう日

七種夏生(サエグサナツキ

第1話

1.



 はっきり言って、私は今の家族が嫌いです。



 肩まで伸びた髪を後ろで一つに束ね、鏡に映る自分の顔を睨んだ。

 父譲りの整った顔立ち。

 冷たそうな漆黒の瞳に、どんなに口角を上げても微笑んでいるとしか思われない唇。


 清楚、美人、箱入り娘。


 どうせなら、かわいい顔の母に似たかった。





「おはようございます、いつきお嬢様」


 身なりを整えて居間に入ると、たくさんの人たちが私に頭を下げた。

 朝陽が燦燦と差し込む広い部屋、壁のように整列した老若男女、誰も彼もが中学生の小娘にへりくだる。


「おはようございます、父様とうさま


 中央に位置する長テーブルに腰を下ろし、向かい側に声をかけると、がゆっくりと顔を上げた。

 手元には書類の束、珈琲以外の飲食物は見当たらない。

 珈琲を飲みながら仕事をする、それが父の朝の習慣だ。


「おはよう、いつき」


 それだけ言った父が再び視線を落とす。

 パラパラと、速読にしても早すぎる異常なスピードで紙面をめくり、時折珈琲カップを口に運ぶ。

 互いに俯いたまま言葉は交わさず、続々と並べられる朝食を黙々と片付けて席を立った。


「いってらっしゃい、いつき」


「いってきます」


 挨拶というか常套句というか、片言隻語。

 朝の挨拶はそれだけ、日常会話さえない。

 あの日から、父とは必要最低限の言葉しか交わさない仲だった。





 母が他界したのは三年前、私が小学生の時。


 突然の死だった。


 もともと寡黙だった父は以前にまして喋らなくなり、母の明るさによって支えられていたうちの家庭は崩壊した。

 父が母をどれだけ愛していたかは、まだ幼かった私でも理解できた。

 無愛想で感情を面に出さない父が、母の前ではよく笑った。


 妻以外に対する人付き合いが苦手な父を見て、母は「かわいい」と笑っていた。 



 私だって、そんな母が大好きだった。





 学校が終わって家に戻ると、分厚い資料の束を抱えた父と鉢合わせした。


「……部屋の掃除、してた」


 何も聞いていないのに、父が勝手に答える。

 首を傾げる私に、父はさらに説明を加える。


「離れって呼ばれてるとこ。いつきが産まれる前に、お母さんと二人で暮らしてた場所」


 話に聞いたことがある。父が学生時代使っていたその場所に、嫁入りした母がそのまま居着いたのだと。

 うちは先祖代々続く名家で、私が暮らす場所は一族の殆どを収容する大屋敷だ。そのしがらみ、家臣の干渉から逃れたくて、両親は離れと呼ばれている場所を夫婦水入らずの住居にしたのだと。


「いつきが産まれてから、清掃はずっと、家臣に任せてたんだけど……そういえば、保存状態大丈夫かなと思って」

「保存状態?」

「いや……」


 なんだ、この人。

 なにこの口下手な人。

 父といえば、寡黙だけど威厳があって、口を開けば強い口調で正論を述べて、私や家臣達を萎縮させる。

 発する言葉に無駄はなく、的確に伝えたいことだけを述べて。

 決してこんな、挙動不審に言葉を紡ぎ出すような人ではない。


「今日は仕事休みで、時間があるから」

「お休みなら、少しでも寝たらどうですか? 睡眠時間足りてないですよね?」

「ありがとう、もう少し片付けたら休む」

「……お疲れさまです」


 靴を脱ぎ、父の脇を通り抜ける。


 手伝う。


 そういえばよかったと思って振り返った時にはもう、父の姿は消えていた。


「……仕事、休みなんだ」


 だからって今日、掃除しなくても……

 休みの日をわざわざ、そんな事に使わなくても。

 いや、休日をどうしようと父の自由、私が口出しをすることではない。


 たかが娘が、父の行動を支配するなんて。




『今日はお父さんお休みだから、遊園地にいこう!』


 母の言葉を思い出した。


 居間のテーブルを囲んでいた父と私はポカンと口を開け、やがて父が読んでいた本を閉じて母に向き直った。


「公園のことを遊園地って言うなよ」

「楽しく遊べる公の園地。ほら、間違ってないでしょ?」

「すごいこじ付けだな」


 呆れたようにため息をつく父だが、その顔はとても楽しそうで、母も嬉しそうに笑っていた。


 無機質な天井を太陽の光に変える。


 そんな魔法を使える母がとても、大好きだった。





「いつきにね、プレゼントがあるの」


 その日の晩、夢を見た。


 母が生きていた頃、家族三人で過ごしていた時のこと。


「プレゼント?」


 にこにこと微笑む母が口を開こうとしたが、父がそれを制した。


「いや、言うなって。マジで」


 珍しい、砕けた言葉遣い。

 くすくすと笑う母が、「そうだね、ごめん」と言って腰を上げた。


「渡すのは先だから、今はまだ内緒」

「内緒なら話すなよ」


 唇に手を当てて微笑む母に、父が呆れてため息をついた。


「いつき、今の話は忘れていいからな」

「忘れるのはもったいないでしょ? 覚えてていいよ」

「いや、おい……」

「きっと喜ぶから、楽しみに待っててね」


 そういうと、母は私に背を向けてキッチンに行ってしまった。

 はぁーとため息をついた父が、「手伝う」と言って母の後を追う。

 父が小声で何かを告げ、母が面白そうに笑っていた。


 娘の立場でも十分わかった。

 父は母が好きだし、母は父が好き。

 家族になれて嬉しい、幸せいっぱの夫婦だと。

 その後ろ姿がとても楽しそうで、私はじっと両親の背中を見つめていた。


「シチューにする? カレーにする?」

「二十分も煮込んだ後でそれ聞くか? カレー一択だろ、手順的に。牛肉だし」

「私は牛乳の気分」

「……話聞いてたか?」

「私達の意見が割れた場合は?」


 ため息をつく父と、ふざけたように笑う母が、同時に振り返る。


「シチューとカレー」

「どっちが食べたい?」


「「いつき」」


 と、声を揃えて名前を呼ばれる。

 嬉しくなって、私は立ち上がって二人の元に駆け寄ろうとした。


 だけどそこにはもう、辿り着けなくて。


 目を覚ますと元の世界に戻っていて。


 何度、神様に願ったろう。




 今この現実が嘘で、


 明日の朝起きたら、世界が変わっていますように。

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