第3話 憧れの少女との時を超えた再会

「あ、新浜君。おはようございます!」


 不意に聞こえた涼やかな声へ振り返ると、そこに彼女はいた。


 俺がおっさんになっても忘れることのできなかった青春の宝石が――


「紫条院さん……」


「あれ、どうかしましたか? なんだか凄くびっくりしてますけど……」


 令嬢らしいたおやかな話し方をするこの少女こそ、高校時代のクラスメイトにして俺がずっと片思いしていた紫条院春華だった。


 長く美しい黒髪を持つ大和撫子で、父親は全国展開する大型書店会社の社長というまさに現代のお姫様だ。


「あ、ああ、いやちょっと寝ぼけちゃってさ。おはよう紫条院さん」


「はい、おはようございますっ!」


 にっこりと笑顔を向けてくる彼女はとても可愛い。


 彼女は決して自分の優れた容姿や家が大金持ちなことを鼻にかけずに、こうしてクラスの日陰者の俺にもとても優しい。

 

 これで胸はとても豊満なのだから男子たちの間で人気はぶっちぎりだった。

 

(こんなに素敵な子なのに……未来ではあんな……)


 俺は紫条院さんの綺麗な顔に見惚れながら、かつての未来において彼女の辿った運命を思い浮かべた。


 高校卒業後、紫条院さんは大学を経てとある会社に就職したが、その美人さと明るさから人気を得て仕事も堅実にこなしていたらしい。


 しかしそんな彼女に、職場の女性社員たちによる壮絶なイジメが始まった。


 紫条院さんは真面目な人だったからか、家族にも相談せずに必死に勤め続けた結果……精神をひどく病んだ。


 しかも時期を同じくして実家の企業も重度の経営不振に陥って、紫条院家は一気に没落してしまった。このせいで家族が娘の状態を把握するのは遅れた。

 

 その結果……紫条院さんは自殺未遂を起こした上に人形のように無感情になり、精神病院にずっと入院したままということだった。


 被害者が大会社の令嬢ということでニュースでも報じられて紫条院家はその主犯達を訴えたが、その動機は『美人で男性社員の注目を集めるのが気にくわなかったから』と供述したらしい。


(紫条院さんの側に誰か頼れるパートナーがいて……支えたり逃げ道を教えたりしてあげればそんな破滅的な未来は訪れなかった……のか?)


 そのポジションに俺が立てるかどうかなんてわからない。


 けど今はともかく彼女と少しでもお近づきになりたい。

  

「紫条院さんは朝から元気だな」


「うふふ、昨日も遅くまで本を読んでいましたから、こう見えて今日はお布団から出るのが大変なだったんですよ。ほら、『ゼロの使いっ走り』の7巻です」

 

「ああ! あの巻面白いよな! 特に主人公のゲンナイが主人を守るために七万の軍勢に一人で立ち向かうのがすっごい熱くて!」


「そうそう! そうなんです! この胸にぎゅーっと来てる感動を新浜君と分かち合えて嬉しいです!」


 通学路を歩きながら、俺は美しい思い出になっていた紫条院さんと時を超えて至福の会話を交わす。


「あれ……けど新浜君今日は何かいつもと違いますね」


「え? そ、そうかな?」


「はい、いつも私と話す時は言葉少なめで顔も伏せがちで……今日はとても明るくてちょっとびっくりしています」


 あ、そっか……そう言えば当時の俺って紫条院さんが眩しすぎて「……うん」とか「あ、ああ……あれいいね……」とか陰キャ丸出しのしゃべり方しか出来てなかったな……。


 大人になった俺だって別に明るい陽キャにクラスチェンジできた訳じゃない。


 ただ社会に出たら『若い女性や強面の人と話すのが苦手』なんて言ってられなくなっただけだ。


 何せ仕事においては美人だろうが頭のおかしいクレーマーだろうがパワハラ全開の上司だろうが、嫌でも話をまとめないとならないのだ。


 それができなければさらに周囲から叱責や嫌味が飛んでくるのだから、自然とある程度の会話術や振る舞いは身につく。


(ま、今は紫条院さんと12年ぶりに話せてテンションがすごく上がっていることも大きいけどな)


「ああ、紫条院さんと話していてボソボソした喋り方はやめるって決めたんだ」


「え……私ですか?」


「そう、紫条院さんはいつも元気に話してくれるからすごく気分がいいんだよ。だから俺も見習って今後はハキハキ喋ろうって気になってさ」


 まあ、そもそも就職した直後に声出し大好きな体育会系上司に何度もキレられてボソボソ喋りはできないよう調教されたんだけどね。


「そうなんですか! ふふっなんだか褒められてるみたいでくすぐったいです」


 好感度稼ぎのようにもとれる俺の言葉に、紫条院さんはただはにかむ。


 彼女は優しくて明るくて――そして子どものように天然だ。


 だからこそ彼女を狙う男子がわんさかいる高校生活においてもまったく相手の熱い視線を理解せずに、この容姿なのに恋人が出来ることはなかったのだ。


「あ、それって図書室に返す本だろ? 重そうだし俺が持つよ」


「えっ、悪いですよ。私今回は十冊も借りちゃって……」


「いいって学校なんてすぐそこだし」


 俺は彼女が持っていた本入りのエコバックをさらっと手にとった。

 

 ……え、今ほぼ自動で口と手が動いたけど、俺何やってんの!?


(し、しまった! 職場のクセだこれ!)


 職場にはたくさんのオバさんたちがいたのだが……これがまたムカつく人らで、荷物を抱えた彼女らに出くわすと『男なんだから言われなくても「僕が持ちますよ」って言いなさいよ! まったく気が利かないわね!』と憤慨した。


 そんなことが何回もあったので、俺は女性が重そうな荷物を運んでいると半ば反射的に「重そうですし持ちますよ」と声をかけるクセがついてしまったのだ。


「あ、ありがとうございます。ふふっ、正直ちょっと借りすぎたかなって思ってたので助かりました」


(良かった……いきなりキザな行動してくるキモい奴とは思われなかったか)


 思い出は美化されるものだけど、彼女の可愛さも明るさも天然さも記憶のままだ。


 最初はとにかく好きだと伝えたいという気持ちだけだったけど……話せば話すほどそれじゃ満足できなくなっていく。


「その、なんだか……喋り方だけじゃなくてやっぱり昨日までの新浜君とすごく変わった気がします」


「そうかな?」


「はい、なんだか力強くなったというか……男の子っぽさが上がって素敵になったと思います」


 こんな男子のハートを射貫く台詞を満面の笑顔でさらっと言えるのが紫条院春華という女の子だった。


 は、破壊力がすごい……正直すごいキュンキュンしてる……!


(はは……けど……そんなふうに言って貰えるのなら、あの人生の浪費みたいだった12年間も少しは糧になっていたのかな……)

 

「ははっ、そう言われると嬉しいな。それにしても本いっぱい借りたんだなあ。どれか面白いのあった?」


「はい! どれも中々読み応えがありました! まず――」


 紫条院さんと他愛ない話をしながら通学路を歩く。


 美しい思い出を今度こそ思い出にしないという決意を固めながら、俺は二度と手に入らないと思っていた至福の時間を堪能した。

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