第38話『再び生徒指導室で』

 放課後。

 堂土は再び生徒指導室に来ていた。今朝言いつけられた反省文を書くためだ。

 原稿用紙五枚の反省文。

 とはいえ、堂土としては自分の行いには正義があると信じていた。今朝までは。


 従兄妹の、彩芽あやめが体調を崩したと聞いてその日の内に彼女の住むマンションの部屋まで見舞いに行った。一緒に行った母と彩芽の母が「そろそろ熱くなりだしたからちょっと疲れたのかしら」と話すを聞きながら彩芽の顔を見に行くと、彩芽はベッドの上でぐったりとしていた。

 堂土が呼びかけると閉じていた目を開き、少し虚ろな瞳で堂土を見た。大丈夫、と声をかけると彼女は自分の右肩を指して、凄く冷たいの、とうわ言のように何度も言うのだ。あまりに何度も言うので不思議に思い肩に触ってみると服越しにぞくりと冷たさが伝わって思わず手を離した。まるで右肩にだけ真冬に置いてきてしまったかのような冷たさで、触れた堂土の指先からも体温を奪うような感触に少し怖くなったのを今でも覚えている。右肩を何処かにぶつけてしまい、それでこんなにも体調を崩してしまったのではないのか。だから堂土は彩芽に今日のことを訊くと、彩芽はまるで眠気に負けかけているかのように、途切れ途切れに話す。


「こうえんにいったの。ゆきくんがだいじょうぶっていってたから。……そしたら、おんなのひとに、かた、さわられたの」

「おんなのひと?」

「でも、こーちゃんたちは、いなかったって。きのせいだったのかな」


 そう言うと彩芽は眠りに落ちるかのように目をゆっくりと閉じた。

 その時は何も思わなかった。でも時間が過ぎて、彩芽の体調が悪化し入院するまでになったとき、『イタコ少年』のことを思い出した。

『西棟の公園に女の幽霊がいる』

 そう何度も訴えていたらしい。

 それを思い出したとき、嫌な真相を思い浮かべてしまった。

 あの公園には本当にそういうものがいて、彩芽に何か悪さをしたんじゃないのか。原因もわからず衰弱していく彩芽の姿に、堂土は罪悪感に飲まれていった。

 自分が『大丈夫』なんて言ってしまったから。

 だから堂土は西棟に住む『イタコ少年』の元を訪ねた。彼ならもしかしたら彩芽を助ける方法がわかるかもしれないと思ったから。だけどその時には彼は引っ越してしまいマンションからいなくなっていた。

 ……見捨てられたような気がした。

 辛うじて名前だけを知っているだけの少年は、自分たちに解決することもできない身の危険だけ残して逃げてしまったのだ。そう思わずには居られなかった。

 残されたのはいつ死んでもおかしくないような体調の従兄妹と、軽はずみな発言をしてしまった自分への苛立ちばかりだった。


 ***


「……」

 堂土は一向に埋まる気配のない原稿用紙を睨んでいたが、上辺だけでも書き連ねる言葉が思い浮かぶはずもなく握っていたシャーペンを転がした。

 入学時のクラス発表で思いもしなかった名前を見つけたとき、十年間ずっと自分を苛んでいた痛みの矛先を見つけたような気がした。

 あいつが悪かった、あいつが何かしたんだ。

 それに至った思考を疑うことはなかった。

 それがついに爆発した結果が今日だったのだ。後悔も反省もなかった。


 それなのに。

 あの野郎が追いかけてきて喚き散らした言葉が深く刺さった。

 自分の罪悪感を指摘された上それを抉られたような最悪な気分だった。

 でも、あいつの言ったことは、事実だったから本当に不愉快だった。

「くそ」

 そう吐き捨てるが、それはあいつに向けてだったのか自分に向けてだったのか。それすらもわからないくらい、思考はぐちゃぐちゃだった。

 それでもこの面倒臭いだけの反省文は何とか埋めなくてはいけない。反省は全くないけれど。堂土は仕方ない気持ちで転がしていたシャーペンを拾う。

 それと同時くらいに生徒指導室の扉が開く。

 入ってきたのは、今朝掴みかかってきた才明寺稀だった。

 稀は堂土を見るなり顔を顰めて、堂土から一番遠い席に筆記用具を置くと用意されていた原稿用紙を五枚取って席に座る。

 互いに相手への言葉はない。

 だけど稀は、一向に進まない堂土と違い、何か文章を書き始める。カツカツとペン先がぶつかる音が部屋に小さく響く。

 彼女の様子に堂土は意外に思う。今朝の様子から考えて、彼女も自分の行動に非はないと思っているタイプに見えたのに、淡々と原稿用紙を埋めていく様子に堂土は不思議にさえ思えた。


「お前、反省文書けるほど今朝のこと反省してんのかよ」

 気が付けば声に出ていた。

 堂土の声に稀は顔をあげて嫌々という表情を堂土に向けるが「此処に来る前に反省文を書くコツを聞いてきたのよ」と言いながら原稿用紙に視線を戻す。

「言っとくけど、私はアンタに掴みかかったこと、全く反省してないから。反省はしてなけど、これは埋めないと帰れないから仕方なくやってるのよ」

「奇遇だな。俺も今朝のことは全く反省してない」

 堂土がそう言い放つと、稀は顔をあげて堂土を睨みつけた。喜怒哀楽が喧しい女だ、と思いながら堂土も自分の原稿用紙に向かうが、全く文字が思い浮かばない。書き出しからもう何も出てこない。どうしたものか、これでは部活にもいけないではないか。

 堂土が途方に暮れていると、意外にも稀が口を開いた。


「ねえ、ちょっと聞きたいんだけど」

「……何だよ」

「今朝アンタが言った『貝阿彌マンションのイタコ少年』って何」

 そう問われて堂土は持っていたシャーペンを思わず机に転がしてしまった。

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