第20話『上位の人』

 さて、一学期中間試験は十日後なわけだが。

 そもそも一年を通して五回の定期テストがあるが、俺は一学期の中間試験が一番楽だと思っている。

 四月は一週目がまだ春休みだし、二週目は授業が始まるが新学期ということもあり大体授業の方針やスケジュールなどを説明するから教科書の内容には入らない。そしてゴールデンウィークの連休。

 つまり一学期中間試験の範囲は、授業一ヶ月分ギリギリあるかどうかなのだ。

 どの授業も教科書の触り程度だし、難しい事は書かれていない。

 そんな狭い範囲では、出す内容もかなり限られる。

 それに教師たちも、最初の授業でいきなり難しい応用問題とかも出しはしないだろう。

 俺に言わせれば、学年最初の試験に何をそんなに戸惑うことがあるのか、と逆に訊きたいくらいだ。


 とはいえ、俺は才明寺の学力についてこの一ヶ月で嫌というほど理解させられている。でも、これまで何十枚も小テストの問題を解説してきたのだから、それを理解してれば試験も余裕のはずだが……駄目なんだろうな。

 そう思いながら、俺は今日の授業もいつも通り受けた。


 ***


「ダメでした!」

 放課後、才明寺はそう言いながら今日行われた小テストを二枚とも俺の前に差し出しながら深く頭を下げてくる。ちなみに今日は古典と英語。

 古典は百点満点中の七点だが、英語は同じ百点満点中の二十四点。

 徐々にだけれど、英語は見れる点数になってきた気はしなくもない。そう自分に言い聞かせながらも、これだけ教えてのこの相変わらずの低空飛行な点数に俺の教え方が悪いのだろうかと情けなくなるのも事実。……俺、こういうの教えるの向いてないんだろうか。

 俺が才明寺の小テストに物悲しい気分になっているのと正反対に、才明寺は何故か表情を明るくする。


「でも! 英語! 初めて二十点台に乗ったの、すごくない?!」

 俺の机の前に来た時は困り顔だったが、俺が英語の小テストを見ていると少し誇らしそうにそう言う。

 いや、二十点は凄くない。

 そう思いながらも才明寺のやる気を削ぎたくなくて「これまでの点数からしたら頑張ったな」と労いか賞賛かわからない曖昧な言葉を返すけれど、才明寺にとって俺が彼女の頑張りを讃えたことが重要だったようで、俺の言葉を聞いて嬉しそうに表情を綻ばせる。

 しかしながらこの点数では中間試験の赤点回避はかなり難しいが。その真実を告げても良かったが、やっぱり才明寺のやる気を削ぐことになるだろうことが簡単に想像できて言葉を飲み込む。

 それはさておき、今日はどっちから直させるか。古典かな。


 そんなことを考えていると「柵木くんも根気強いね」と呆れと驚きの混じった声が降ってくる。

 俺が顔を上げると、才明寺はさっきまでの得意満面が消え失せているのを不思議に思いながら声をかけてきた男子を見る。

 貴水たかみだ。

 このクラスでは既に流れの中心にいるヤツだ。

 クラス内の連絡事項なんかと伝え合ったりすることがあるけれど、それ以外で話したことがない。

 勉強もでき、スポーツもできて、誰とでも話せる。それこそ、俺のような根暗で社交性を育ててこなかったようなヤツにもこうして声をかける技量の良さ。

 そんなクラス内どころか、学年カーストでも上位にいるようなヤツに声をかけられて、俺は内心焦りまくりで、背中は冷や汗がダラダラと落ちる。

 何と答えよう。

 そもそも声をかけられた驚きで、彼が俺に何と言ってきたかが既に記憶から抜け落ちてしまった。どうしよう。

 俺が硬直していると、才明寺が脊髄反射的に口を開いた。


「何よ、部活あるんでしょ? さっさと行けば?」

 才明寺はカースト上位の存在に俺も引く程冷ややかな反応を返す。

 おい、大丈夫かよっ。

 ハラハラしながら俺は才明寺と貴水を見守っていると、貴水はまるで冗談でも言われたかのように笑う。

「定期試験の十日前から部活は休みになるってさっきのホームルームで先生が言ってただろ? 聞いてなかったのか?」

「え? 言ってた?」

 言ったよ。

 困惑する才明寺に、貴水は少し俺の方を見て、また茶化すように笑う。


「柵木くんも、言ってた、って顔してるぞ才明寺」

「!」

「えっ、そうなの?!」

 顔に出していたつもりはなかったが、貴水にバレてしまって俺は思わず息を呑むが、才明寺は貴水の言葉を間に受けて俺の顔を覗き込むように見てくる。

 ちけえよ顔。

 俺は思わず腰が引けながらも「確かに言ってた」と貴水の言葉に同意する。すると才明寺は悔しそうに貴水をじとっと見る。貴水は「ほらね」と笑う。すると才明寺は更に表情をムスっとさせる。

 何だ、この二人仲悪いのか? でも才明寺には刺々しさがあるのに、貴水からそういう感じはないな。

 気になって二人の顔色を見比べていると、俺を見て人の良さそうな笑みを浮かべる貴水と目が合ってしまい俺は思わず視線を下げそうになるが、何だか失礼な気がして何とか踏み止まる。貴水は俺と目が合うと、にこりと笑い返して机に近付いてくる。才明寺は、こっち来んな、と言いたげに俺の後ろに周りながら貴水と何故か距離を取る。

 何だ、俺を挟むな。何だかよくわからんが、嫌な位置関係だな。


「柵木くんさあ、才明寺の世話も大変だろ?」

 貴水が肩をすくめて笑う。まるで経験があるかのような口振りだ。

 才明寺の様子から何となくこの二人は、入学以前から面識があるのだろうと思ったが、貴水の言葉でそれが確信になる。

 犬猿の仲、なのかと思ったが、それは違う気がする。

 考える俺を他所に貴水は続ける。

「面倒になったら早めに断った方が良いよ。もうすぐ中間だし、そいつにばっかり時間割けないだろうし」

「確かに」

 俺は貴水の言葉に頷く。

 俺の反応に貴水は満足そうに笑い、後ろの才明寺は少なからずショックを受けたのか「えっ」と引きつった声をあげる。

 でも俺は間髪入れず貴水へ続ける。


「でも今は別に困ってないから大丈夫だ。教えるのも自分の勉強になるし」


 そう伝えると貴水の表情から笑みがずるりと落ちる。

 純粋に俺の言葉に驚いているという様子だった。そして後ろの才明寺も驚いているのか静かで逆に不気味だった。

 微妙な空気になってしまった。俺は肌でそれを感じてしまい慌てて「まあ、俺が無理になったら才明寺には自分で頑張ってもらうから」と言い繕う。

 貴水は「柵木くんは凄いなあ」とどう受け取っていいかわからない言葉を残して俺の席から離れていく。

 ……カースト上位怖い。

 離れていく貴水の背中に、実はずっと早鐘を打っていて心臓がちょっとずつ正常に戻っていくのを感じる。

 俺の後ろにいた才明寺はそんな俺の背中をボクボクと殴りながら何かを訴えているが、正直それどころじゃなくって、俺は先日のトラウマ対面とはまた種類の違う緊張から開放され、大きく息を吐き出した。

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