第7話『不穏の到来』

 まだあの光が目の中に残っているような感覚。

 あれは幻だったのか。それとも見間違いか。

 自分の見たものが到底信じられないという衝撃に飲まれながら逃げ出してから何日も経ったがあの光景が残像のように貼り付いて消えなかった。


 夢にまで見た。

 と言っても、小さな時に見たあの不気味な女のような嫌悪感はなく、本当にただただ驚きという感覚が強かった。

 十五年生きてきて、『常人に見えないもの』を見るようになってかなりの時間が経っているが、ああいうものがあんな風に消えるのを初めて見た。

『常人に見えないもの』にも色々いた。

 小学校の図書室前のいた女子のようにずっとその場所に留まり続けるもの。

 風に飛ばされるビニール袋のように宙を漂うもの。


 最初に遭遇した女のように自在に出現消失を行うもの。


 三番目のようなヤツはあまり見ない。

 明らかに自我が強く話すヤツは恐らく強い力を持っているのだろう。

 人を死に至らしめる呪いを持っているのだから相当強い力を持っているに違いない。

 ああいうヤツは多くないのか、俺もあれ以来話すようなヤツとは遭遇していない。

 俺自身そういうヤツに遭遇しないように気をつけているから、というのもあるかもしれないけど。

 現れては、消えていなくなる。

 それでもきっと存在がいなくなったわけではないのだ。

 きっと俺がしないところで、障れる人間を探しているに違いない。


 だけれど、光を散らして消えていく場面に遭遇したのは初めてだった。

 ああいうヤツらに当てはまるかわからないがまるで『成仏』したように見えた。


 あんな光景、初めてだった。

 アイツらはあんな風に消滅するということを知った。

 それは花火に似ていた。


 ***


 入試の日から、合格通知を受け取り、引っ越し作業に負われ、中学の卒業式を終え、十年近く住んだ土地を離れ、とうとう高校の入学式を迎えることとなった。

 試験の手応えはあったから多分合格できるだろうという気持ちはあったが、いざ『入学式』と書かれた看板を見ると心がざわついた。

 緊張というのが正しいか。

 新しい土地、新しい学校、新しい生活、新しい人間関係。

 大変なことも多いと思うけど、今度こそ上手くやっていきたい。

『普通』の人間だと思われたい。

 それだけ。


 入学式を終えて、新入生は各自のクラスに行き其処で担任の教師と、これから一年クラスメートとして過ごしていくヤツらと顔を合わせることになった。

 進学校ということもあり、ぱっと見た感じ明らかに派手という見た目のヤツもいない。

 皆真面目そうだ。

 教室にやってくると、担任の教師が教卓の前に立ちぞろぞろ教室に入ってくる生徒達に声をかける。


「取り敢えず窓際から出席番号順に座ってくれるかな」

 そう言われて生徒達は席についていく。

 ま行だから教室でも廊下よりの席だが、後方なのがまだ救いだ。

 俺は自分の席に着くと教室内を見回す。

 一クラス、40人というところだろうか。

 確か六クラスあったはずだし、中学の卒業式で確か卒業生が200人ちょいくらいだったからそれよりも多い。

 有名大学の合格者が出ると、少子化なんて関係なく学生は集まるものなんだな。

 そんなことを思っていると、生徒が皆席に着いて教卓の前に立つ教師が口を開く。


「はい、じゃあホームルーム始めます。今年このクラスを担当する大森です。教科は日本史教えてますので、授業が始まったらそっちでもよろしくお願いします」

 大森先生はそう気さくに笑うと、教卓に乗せていた出席簿を手に取る。


「じゃあ皆の自己紹介をお願いします。名前と……何か自己アピールも。何も思いつかなかった人は嫌いな教科を教えてください」

 大森先生がそう言うとそれまでお行儀良く座っていた生徒達が浮き足立ったように少しざわつく。するとそのざわめきの中で、一人の男子が手を挙げて「先生」と声をかける。

 俺からは男子の後ろ姿しか見えないが、制服を着ていても肩と背中ががっしりとしているのがわかった。恐らく中学では何かしらの運動をしていたのだろう。

 運動も勉強もできる。そしてこういう場で怖気ず堂々と手を挙げられる。こういうところで、中学校時代のクラスでの立ち位置がわかる。

 コイツは本人の自覚のあるなしに関わらずクラスカーストの上位にいたに違いない。

 俺と大違いだ。

 どうしても人との違いに卑屈になってしまう。これからはそんなところも直していきたい。

 そう言い聞かせていると、大森先生は出席簿と男子を交互に見て「貴水たかみくん、何ですか?」と声をかける。その間、大森先生の許可が出るまで手を挙げたまま待っている貴水という男子の行儀の良さが窺える。

 高校入学時の初期装備が既に俺とは違い過ぎて凹みたくなる。


「好きな教科じゃなくて嫌いな教科な理由って何ですか?」

「好きな教科はほっといてもやってくれるけど、嫌いな教科はそうはいかないから予め各教科担当の先生に伝えたら今後の授業で気にかけて貰えるでしょ?」

 大森はそう答えると窓際列の方を見て「それじゃあ出席番号一番からお願いします」と言うのでそこから自己紹介が始まる。

 こういう時間が堪らなく苦痛だ。

 とはいえ名前と自己アピールか嫌いな教科、と予め選択肢を設けられているのは助かる。

 ここは嫌いな教科を答えたいところではあるけれど、別に何が嫌いとかはない。

 強いてあげるならセンスを問われる『美術』が苦手だけれど、それは選択教科で選ばないこともできるから、大森先生の意図からは離れてしまう。

 そもそも脱根暗を目指すなら今回は何か気の利いた自己アピールにすべきなのか。

 ……いや、ちょっとハードルが高い。ハードルではなく今朝通学路で見た児童公園にあった今ではかなり珍しいジャングルジムくらい高い。無理。いや、でも、初日が肝心だって言うし……。

 俺が只管ぐだぐだ悩んでいると、遂に自己紹介はさ行に差し掛かる。

 自己アピールするなら早く何か考えないと。

 必死で悩んでいるが、不意に立ち上がる女子にふと視線を向けてしまい、そして硬直する。


「さ、才明寺稀さいみょうじまれです、苦手な教科はいっぱいあります、特に数学が駄目です。よろしくお願いします」


 緊張に震えた声で話す女子。

 その姿に見覚えがあった。というか忘れて堪るか、入試の帰りに会ったこの世の終わりのような顔で歩いていた女だ。

 そして『常人に見えないもの』を木っ端微塵にした女だ。

 アイツもこの学校の受験者だったのか。

 思わずあんぐりと才明寺と名乗った女の後ろ姿に釘付けになってしまう。


 まるで脳みそに釘でも突き立てられたような痙攣地味た震えに襲われる。

 そのあまりの衝撃に、結局自己アピールなんて思いつくはずもなく「柵木秀生です、苦手な教科は美術なので選択しません」という大森先生の意図から外れた自己紹介しかできなかった。

 高校生活最初の自己改革の切っ掛けを見事に外した。

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