旅立ち、新生活スタート。 ②

「――ねえ、愛美さんはどちらのご出身ですの? ご両親は何をなさってる方?」


「…………え?」


(ああ……、一番訊かれたくないことなのに)


 珠莉がごく当たり前のように質問してきて、愛美の表情は曇った。

 その様子に気づいたさやかが、助け船を出してくれる。


「ちょっと珠莉! ちょっとは空気読みなよ! 人には答えにくいことだってあるんだから!」


(さやかちゃん……、わたしに気を遣ってくれてる)


 愛美はそれを嬉しく思う反面、彼女に対して申し訳ない気持ちになった。


「……さやかちゃん、いいよ。わたしは山梨の出身。両親は小さいころに亡くなってて、中学卒業まで施設にいたの」


「施設? あー……、そりゃあ大変だったねえ。じゃあ、学費とかは誰が出してくれてんの? 施設?」


 愛美を気遣うように、さやかが言う。けれど、それは同情的な言い方ではなかった。

 施設で育ったことを卑下ひげしていない愛美は、「かわいそうだ」と同情されるのが嫌いだ。

 

〈わかば園〉には、両親が健在でも様々な事情で両親と一緒に暮らせない子も何人かいた。涼介もそのうちの一人だ。

 彼は実の両親からネグレクト、つまり育児放棄を受けていて、児童相談所に保護されたのちに〈わかば園〉で暮らすことになったのだ。


「ううん、施設にはそんな余裕ないって。でもね、施設の理事さんの一人が援助を申し出てくれたんだって。その人がいなかったら、わたし高校に入れないところだったの」


「そうなんだ……。よかったね」


「うん。名前は教えてもらってないんだけどね。その代わり、わたしはその人の秘書っていう人に毎月手紙を出すことになったの」


「へえ……、そうなんだ。――あ、着いた。じゃあまた、晩ごはんの時にねー」


「はーい」


 部屋に着くまで、珠莉はほとんど愛美に話しかけてこなかった。

 愛美にそれほど興味がないのか、それとも一人部屋を愛美に取られたことをまだ根に持っているのか……。


(まあ、いいんだけど。わたしは気にしないし)


 珠莉に興味を持たれなくたって、さやかとは仲良くなれそうだからいいか。愛美はそう自分に言い聞かせた。


 一歩部屋に足を踏み入れると、愛美は室内をしげしげと見回す。

 ベッドや勉強机・椅子、クローゼットなどの大きな家具は一通り揃っている。こまごましたインテリアはまた買い揃えるとしても、とりあえずは生活していけそうだ。


 クローゼットの扉を開けると、白いえりとリボンがついたダークグレーのセーラー服とスカートがかけられている。これがこの学校の制服である。  


――それにしても、と愛美は思う。


「やっぱり似てるなあ、『あしながおじさん』のお話と」 


 これだけ同じようなことが起きれば、もう狙ってやっているとしか思えない。――さやかや珠莉と部屋が隣り同士になったのは偶然だとしても。

  

「でも、これ以上の偶然は起きないよね……。いくら何でも」


 ――そう、あれは物語の中の出来事。現実ではあんなに何もかもがうまくいくはずがないのだ。


 愛美はいったんスーツケースをフロアーに置き、ベッドにダイブした。

 低反発のマットレスに、ふかふかの寝具一式。寝心地もよさそうだ。

〈わかば園〉では畳の部屋に布団を敷いて寝ていたので、ベッドで寝るのが愛美の憧れでもあった。


「――あ、そうだ。小包み開けよう」 


 愛美はガバッ起き上がり、スーツケースを開いた。部屋に入るまでのお楽しみに取っておいたのを、ふと思い出したのだ。


「田中さんは何を送ってくれたのかな……?」


 ワクワクしながらダンボール箱を開けると、クッション材が詰め込まれた中にもう一つの箱が入っている。書かれているのは携帯電話会社のロゴマーク。


「わあ……! スマホだ! ……あ、手紙も入ってる」


 横長の洋封筒に入っている手紙を、愛美は開いた。


『相川愛美様

 

 ささやかな入学祝いの品をお送りいたします。

 料金は田中太郎氏が支払いますので、安心してお友達とのコミュニケーションツールとしてお使い下さいませ。 

 改めまして、高校へのご入学おめでとうございます。 久留島栄吉』


「――どこまで太っ腹なんだか。田中さんって人」


 入学祝いにスマホをプレゼントして、しかも料金まで支払ってくれるなんて……!


 ――ところが、一つ問題があった。


「スマホって、どうやって使うんだろう?」


 スマホどころか携帯電話自体を持つのが初めての愛美には、使い方が分からないのだ。

 こういう時は説明書、と箱の底の方まで見てみても、入っているのは薄っぺらいスターターガイドだけ。読んでも内容がチンプンカンプンだ。


(使い方くらい、手紙に書いといてくれたらいいのに)


 八つ当たり気味に、愛美は思う。けれど、それもあえて書かなかったのだろうか? 愛美がこういう時、どうするのかを試すために。


「う~ん……、どうしよう? ――あ、こういう時は……」


 愛美はスマホを持ったまま部屋を飛び出し、隣りの部屋――さやかと珠莉の部屋である――のドアをノックした。


「さやかちゃん、助けてー! 愛美だけど!」


「どしたの?」


 出てきたさやかは迷惑そうな顔ひとつせず、愛美に訊ねる。


「あのね、保護者の理事さんがスマホをプレゼントしてくれたんだけど。使い方が分かんなくて……。さやかちゃん、お願い! 教えてくれない?」


「スマホの使い方? もしかして初めてなの?」


「うん、そうなの。そもそもケータイ持つこと自体、初めてなんだ」


 それは施設にいたから、ではない。愛美には親も親戚もいないから。

 同じ施設にいても、親や親せきがいる子はケータイを持たせてもらっていた。愛美はそれを「うらやましい」と思ったことがなかったけれど……。

 

「いいよ、教えてあげる。愛美の部屋に行ってもいい?」


「うん! ありがと、さやかちゃん!」


 愛美は大喜びで、さやかの両手を握った。さやかは成り行き上ルームメイトになった珠莉に一声かける。


「じゃあ珠莉、あたしちょっと隣りに行ってくるから」


「あらそう。どうぞご自由に」


 珠莉は素っ気ない返事をしただけ。――まあ、まだ知り合ったばかりだし、そう簡単に打ち解けるわけがないだろうけれど。


「何あれ? カンジ悪~! ……まあいいや。行こう、愛美」


「う、うん」


 戸惑う愛美を連れ、さやかは愛美の部屋へ。


「――スマホって、手に持ってるそれ? ちょっと貸して?」


「うん」


 愛美が手渡すと、さやかは自分のスマホと見比べる。


「あ、これ、あたしのとおんなじ機種だ。だったら何とかなるかも」


「ホント?」


 さやかは手際よく、いくつかの操作をして愛美にスマホを返した。


「とりあえず、取扱説明書のアプリ入れといたから。困った時はそれ開くといいよ。あと、あたしと珠莉のアドレスも登録しといたから」


「ありがとう、さやかちゃん」


「いいってことよ☆ 友達じゃん、あたしたち」


 友達……。まだ今日出会ったばかりなのに、さやかは愛美のことをそう言ってくれた。


「うん……、そうだよね」


 高校生活スタートの日に、早くも友達が一人できた。愛美は早速、この喜びを〝田中太郎〟氏に手紙で知らせようと思った。


****


 ――夕食と大浴場での入浴を済ませると、愛美は机の前に座った。

 ちなみにこの寮にはそれぞれの部屋にも浴室があり、どちらで入浴しても自由なのだけれど、それはともかく。


 新品の横書き便箋の表紙をめくり、ペンを取ってしばし悩む。


(手紙ってどう書いたらいいんだろう?)


 考えてみたら、愛美はこれまでに手紙らしい手紙を書く機会がほとんどなかった。そのため、ちゃんとした書き方を知らないのだ。


 悩んだ末、思ったことをそのまま書こうと結論づけ、便箋にペンを走らせた。

****


『拝啓、心優しい理事さま


 横浜の茗倫女子大付属高校に到着しました。ここに来るまでは初めての経験が多くて、ワクワクしました。

 この学校は大きくて、まだどこにどんな建物があるのか把握はあくしきれていません。ちゃんとわかったら、お知らせしたいと思います。

 そして、学校生活についても。今はまだ土曜日の夜です。入学式は月曜日ですが、「これからよろしくお願いします」という気持ちをこめて、まずは一言ご挨拶したかったんです。

 このお話を聞いてから半年間、わたしはあなたのことをずっと考えてきました。「一体どんな人なんだろう?」って。

 でも、あなたに関する情報がほとんどないので困っています。偽名だって、〝田中太郎〟なんて「いかにも偽名です!」みたいなお名前でしょう?

 他に知っていることといえば……。


 ・長身だということ

 ・お金持ちだということ

 ・どうやら女の子が苦手らしいということ


 の三つだけなんです。

 というわけで、他の呼び方をわたしなりに考えてみました。

 まずは「女性恐怖症さん」。でも、これじゃわたしの自虐になってしまいますね。本当にそうなのかもわかりませんし。

 次に「リッチマンさん」。でも、これじゃあなたがお金持ちだということを皮肉っているみたいですよね。この不景気で、どれだけ頭の切れる人だって投資や株で失敗しますから。

 でも、長身だということだけはずっと変わらないと思うので、わたしはあなたのことを「あしながおじさん」とお呼びすることにしました。勝手に決めてしまってすみません。お気を悪くしないで下さい。親しみをこめたニックネームですから。

 もうすぐ消灯時間です。寮という一つの建物で大勢で生活していくんですから、ルールはきちんと守らないと。

 では、失礼します。これからよろしくお願いします。  かしこ


四月三日  双葉寮二〇六号室       相川 愛美

田中あしなが太郎さま                        


P.S. 最後に、スマホを送って下さってありがとうございます。早速できたばかりのお友達に使い方を教わりました。                     』


****


 ――〝あしながおじさん〟こと田中太郎氏の住所は聡美園長から教えてもらっていて、手帳にメモしてある。

 東京とうきょう世田谷せたがや区。住所からして、高級住宅地に住んでいるらしい。 


(この住所で秘書さんの名前にして届くってことは、もしかして同じ家に住み込んでるのかな……?) 


 そんな疑問を抱きつつも、愛美は書き終えた手紙を横長の封筒に入れ、あて名を〈久留島栄吉様方 田中太郎様〉と書いた。

 切手はここまで来る途中の郵便局で買った、きれいな切手シート。十枚が一シートになっていて、八四〇円だった。

 果たしてこの切手シートがいつまでもつか。きっと新しい発見があるたびに、あしながおじさんに手紙を書くんだろうなと愛美は思った。


****


 この手紙は翌日にポストに投函し、そのさらに翌日――。


 クローゼットの鏡の前で、愛美は真新しい制服に身を包んだ自分の姿を感慨かんがい深げに見つめていた。


(いよいよ、わたしの高校生活が始まるんだ――!)


「愛美ー、そろそろ行くよー」


「うん、今行くよ!」


 廊下からさやかの呼ぶ声がする。黒のハイソックスのよれを直してから、愛美は返事をした――。

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