異世界探偵写楽先生の事件帖

中村 繚

【前編】




 黒猫だから「アラン」。三毛猫だったら「ジロー」だった。

 そう言って、写楽先生はボクに「アラン」と名付けてくれた。だから、ボクの名前はアラン。新品のピカピカなブーツと赤いコートを着た、ケット・シー族のアランである。

 写楽先生は、ボクの名付け親にして師匠である。写楽先生は本当に凄い。物知りで頭の良い「探偵」なのだ。

 写楽先生の出番になると、ボクはピンと髭を立てながらブーツを走らせる。事務所の扉をバン!と開けて、事件を知らせるのだ。


「写楽先生! 事件です!」


 写楽先生の居場所は大体、スプリングが軋んだソファーの上かたくさんの書物が積み重なったデスクの座り心地の良い椅子の上だ。だけど、ボクが事務所に飛び込んだ時には、写楽先生はソファーにもデスクにもいなかった。

 まさか、土石流のような倒壊を起こしている書物に生き埋めになれているのでは?!

 と、慌ててデスクへと駆け寄ったが……写楽先生は生き埋めになっていなかった。良かった良かった。


「良くない! 写楽先生がいない! 先生、一体どこに……?」


 事務所の鍵もかけずにどこに行ったのだろう。ボクが首を傾げていると、書物に埋もれている一枚の紙を発見。発掘して見てみると、写楽先生の筆跡で、写楽先生が教えてくれた文字で書置きが書かれていたのだ。


『アラン君へ、先に行っています。写楽』

「先に……写楽先生、既に事件現場へ!?」


 ボクはタンポポ色の目を丸くした。

 写楽先生は、街で発生した大事件の臭いを嗅ぎ取って、既に現場に向かわれていたのだ!

 こうしちゃいられない、ボクも写楽先生を追わなければ!

 尾をピンと立てながら、事務所――『写楽探偵事務所』の鍵を忘れずに閉めてから、写楽先生を追いかけた。

 事務所のある都市・アルファは、様々な種族の行き交う大きな都市だ。

 写楽先生のようなヒューマンに、ボクのようなケット・シーに、エルフやオーク、獣人、はたまた妖精も住んでいる。とても多様性があるとは、写楽先生の言葉だ。

 さて、この街で起きた大事件である。アルファで貿易を営むヒューマンの資産家・オーヴェンヌ家のご令嬢であるパトリシアお嬢さん(16)が、お屋敷の裏の大木で首を吊って死んでいるのが見付かったのだ。

 都市を守護する警備隊も出動し、オーヴェンヌ家の人々も街中も大パニックになっている。

 現場はオーヴェンヌ家のお屋敷の裏手の森。入り口にある大きな樫の木、そこに縄がかけられ、パトリシアお嬢さんは首を吊っていたのだ。

 ボクは多種多様な野次馬の波を掻き分けて現場にやって来ると、ミルク色の煉瓦でできたオーヴェンヌ家のお屋敷が見えた。花畑がある裏庭の裏門を出れば、人間の脚なら数十歩で樫の木の下に来ることができる。

 パトリシアお嬢さんのご遺体は、既に木から降ろされていた。

 両手で顔を覆って泣き叫ぶオーヴェンヌ夫人。

 蒼褪めて頭を抱える執事。

 夫人に聞こえないようにと、コソコソ話をするメイドたち。

 そして、わなわなと震えるオーヴェンヌ氏と、パトリシアお嬢さんのご遺体の隣で剣のような柄が付いた杖を構える1人のエルフ。


「魔力、呪力、霊力、神力……残滓の反応なし。鬼火ウィプス妖精バンシー死神デスの気配もない。魔術・魔物による錯乱、狂心、酩酊はなし。パトリシア嬢が自発的に死を選んだと見られる」

「そんなはずはない! パットは結婚を控えていたんだ! 夫となるフェルナンデス君とは仲もよく、あの子も楽しみにしていた……自殺など、するはずはない!」

「そうよ。あの子が、自殺なんて……きっと誰かに呪われて。もしかしたら、魔物に魅入られてのでは……!」

「だから、そのような形跡は欠片も見当たりません。娘さんが急に亡くなられて、信じたくないお気持ちは分かります。しかし、呪いの反応も魔物の気配もないのです。勿論、人間の気配も。これを見てください」


 杖を振ったのは、警備隊に所属する魔術師のエドガー……エルフである。髪も目も肌もキラキラした鼻持ちならない耳長野郎であり、ボクは好きではない。しかし、街の女性たちはキャーキャーと若い仔猫のような声を上げている。

 そのエドガーが杖を振ると、パトリシアお嬢さんの遺体が……特に、何も起きなかった。ボワっと一瞬光っただけだ。


「この魔術は、ヒトの指先にある脂の刻印を可視化させるものです。この刻印は、触れたもの全てに刻まれる。本人の物以外の反応があれば白く光るが、パトリシア嬢の身体にはその白い光が出現しない。ほら、こんな風に」


 そう言って、エドガーはオーヴェンヌ氏に魔術をかけた。オーヴェンヌ氏が羽織っていたガウンの肩から、白い光がポツポツと浮き上がって、その光に呼応するようにオーヴェンヌ夫人の指先が同じく光ったのだ。

 本人以外の脂の刻印があれば、あんな風になるのだ。エドガーのオリジナルの魔術らしい。

 パトリシアお嬢さんから白い光が出なかったということは、触れたら刻まれる刻印が出ない。イコール誰もお嬢さんに触れていない。と言いたいのか、あのエルフ野郎は。

 魔術の気配も呪術の気配も、魔物の気配もヒトの気配もない。つまり、パトリシアお嬢さんが自ら死を選んだという結論を出したらしい。


「結婚を控え、将来に不安を抱いたのかもしれません。まだ若いのに、お気の毒ですが」

「お嬢様……そんなに、自ら死をお選びになるほど追い詰められて」

「ぐ……っ」

「これ他殺ですね」


 執事が白い手袋の指先で涙を掬い、オーヴェンヌ氏が唇を噛み締めて膝から崩れ落ちようとしたその時、ボクの耳がとても聞き覚えのある声を拾った。

 整えるという行為を忘れたサボサの寝癖頭、新月色の髪色がボクとよく似ていて親近感を持つ。ボクの毛色は真っ黒、白い毛は一本もない。父譲りの黒曜石色の黒猫なのだ。

 分厚い真ん円レンズの眼鏡に、肩にかけているのはお気に入りのくたくたコート。ボクが見知った師匠こと、探偵・写楽先生がパトリシアお嬢さんの遺体の傍に、いつの間にか出現していたのだ。


「写楽先生!」

「待っていましたよ、アラン君」

「お前は、写楽! いつの間に……」

「貴様、今何と言った!?」

「ですから、これは他殺です。パトリシア嬢は誰かに絞殺されて、その後に首吊り自殺に見せかけてこの木に吊るされたのでしょう。ほら、首の縄の跡。これは首吊りの際にできる痕ではありませんね」


 写楽先生は言った。「探偵」とは、事件を求める者であると。

 謎を明かす者、不可思議な事件を目に見える形で解決するのが「探偵」の役目であると、ボクに教えてくれたのだ。

 その役目を全うするように、写楽先生は事件現場にやってきた。誰かに殺されたパトリシアお嬢さんの死の謎を、明かすために。


「縄で首を吊ると、縄の痕は顎に沿うようにできるはず。しかし、パトリシア嬢の首にある痕は首に対して平行。オマケに、吉川線もある。さてアラン君、吉川線とは何でしょうか?」

「はい! 「ヨシカワ線」とは、絞殺に抵抗する被害者が自分の首に爪を立てたことによってできる傷です! 首に巻かれた縄を外そうとして、爪を立てるのです!」

「はい、そうです。よく見れば、パトリシア嬢の爪に血が付着しています」


 ボクは背負っていた本を開いた。タイトルは『図解で分かる推理小説用語事典』である。

 写楽先生からいただいた物だ。先生が、この街に来る前に住んでいた「トーキョー」という都市で手に入れたと言っていた。写楽先生はその「トーキョー」で長年暮らしていたそうだ。

 異国の言葉で書かれているので、全てのページを読むことはできない。けれど、写楽先生に教えてもらい、基本的な知識が書かれたページだけは読めるようになってきた。

 写楽先生がおっしゃった「ヨシカワ線」も、本の終盤に載っている。「ヨシカワ」という人が発見したから、この名前がついたそうだ。


「よって、背後から首を絞められたことによる他殺です。結構抵抗していますので、パトリシア嬢に死の願望はなかったのでしょう」

「彼女の死が他殺だとしても、犯人の痕跡は何一つないぞ」

「いえ、調べれば出てきますよ。きっと」

「そうだそうだ! 探偵・写楽先生なら、すぐに解決できる! 荷馬車の強盗事件も、シスターの行方不明事件も、何もかも写楽先生が解決したんだぞ!」


 そうだ。写楽先生はこのアルファにやってきてから、数多くの事件を解決している。

 なのにこのエドガーの耳長野郎は、写楽先生が凄いことを認めないのだ。いつもすぐ顔を背け、「魔術も使えない輩が……」と、ボソっと呟くのをボクは聞き逃さない。

 ケット・シー族はヒューマンやエルフより耳が良いんだぞ!

 エルフはお高く留まっている奴が多いが、このエドガーがその中でも一層嫌いだ。キラキラした長い髪を目にするだけで、尻尾が無意識にブンブン揺れる。

 写楽先生は、「エドガーとアランなんだから、仲良くしたらどうですか」と言うが、仲良くする気はない。仲良くする理由がない。


「犯人を見付けられるのか?!」

「はい。お嬢さんのご遺体を検めることを、お許しいただければですが……」

「娘を殺した犯人を見付けてくれ! 頼む……礼は、何でもする!」

「それでは、この事件はこの探偵・写楽お任せください」


 写楽先生はオーヴェンヌ夫妻に深々と頭を下げる。探偵の出番だ!


「写楽先生! 事件の臭いを嗅ぎ付けたんですね!」

「これだけの大騒ぎなら、流石の私でもアラン君が駆け込む前に気付きますよ。それに」

「それに?」

「オーヴェンヌ氏は、礼は何でもするとおっしゃいました。これで払えます……今月のお家賃」


 写楽先生がこっそりとボクだけにそう言った。確かに、今月の事務所のお家賃は、まだ払えていませんでしたね。

 写楽先生が街の事件を解決しているが、お財布の中身はカツカツなのである。あまりお金になる事件は解決していないのだ。

 エドガーの野郎は「ぐぬぬぬ!」と言いたそうな表情でこちらを睨んでいる。早く追い返せばいいのにと思うけど、写楽先生はあいつの魔術を高く評価していて、むしろ積極的に協力して欲しいとも言っていた。

 脂の刻印は、この本に載っている「指紋」と同じものだ。これがあれば、犯人の決定的な証拠になるのである。

 だけど、パトリシアお嬢さんのご遺体には他人の脂の刻印こと指紋はなかった。証拠がないのでは?


「それでは、失礼します。死因は絞殺。ご遺体に着衣の乱れはなし。このドレスは、昨夜彼女が身に着けていたものですか?」

「いいえ。昨日、最後に見たパットは若草色のドレスを着ていました」


 パトリシアお嬢さんは白いドレスを着ている。足には華奢な靴を履いている。長く波打った栗毛色の髪に微かなお化粧は、生前の彼女の姿のままだ。右耳には小ぶりな真珠のピアスを着けている。内陸のこの街で、海の宝石とは珍しい。

 パトリシアお嬢さんは評判のお嬢さんだった。聡明で慈悲深く、朗らかで魔術の才能もあった。写楽先生のような冴えない身形の……失礼。常に寝癖頭の男にも気さくに挨拶をしてくれる人だった。

 そんな素敵な彼女は、アルファを収める貴族領主のご長男との結婚が決まっていた。とても良い領主夫人になるとみんなで祝福していた。みんなに好かれていて、婚約者との関係も良好だった彼女は殺されてしまったのだ。

 犯人は一体、どうしてパトリシアお嬢さんを殺害したのだろうか?

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