3.自称・写真家の遺品


 彼も首都圏や関西都市部にいた経験があり、そこでギャルソンの経験を積んできたらしい。


 父もたまに首をひねっている。

『神戸の有名フレンチで、メートル・ドテルまでやっていたそうだ。なのに、写真が第一で、その夢を追うためにそういう地位も捨てちゃうらしいんだ』

 彼が父の元に面接にやってきたのは四年前。葉子が東京で必死にオーディデョンを受けまくっていた頃に、実家になるこのレストランの給仕急募の求人を見てやってきたらしい。


 面接も非常に奇妙だったと父が言う。


『大沼公園の景観に惚れ込んでいます。毎日ここで四季折々の、または生き物の写真を量産していきたいです。私の信条ですが、仕事をきっちりやらぬ者には、壮大な美しい写真は撮れない――です。仕事はやります。断言します』


 写真のために給仕の仕事をしているという売り込み方だったとのこと。


 北海道の片隅でひっそりと営んでいるローカルなレストランに、都市部でメートル・ドテルまで務めた男がカメラを担いで流れ着いてきた。

 そして数年、居着いている。理由は『ここの素材にまだ飽きないから』だった。


 だから父は非常にやきもきしている。『飽きたら、絶対にここ辞める。それっていつだよ』と思っているのだ。


 なのに。彼は父がその日に準備した料理をいくつかピックアップして、厨房に大砲のようなレンズをくっつけた一眼レフのカメラを持ち込んできて『本日のシェフメニュー』として撮影する。

 レストランのサイトまで作成してくれ、そこに毎日写真をアップする。それすらも彼は『僕の趣味なので気にしないでください』と言う。


 戸惑っていた父だったが『なんか予約が増えた。おいしそうな写真に惹かれたとか言われた』と、彼が運んでくるものを目の当たりにして、奇妙な生き方をしている男だったが、徐々に信頼関係が芽生えて、彼の写真活動も大事に見守っている。


「いままで働いてきた中で、十和田シェフのところがいちばん働きやすいよ。大沼の写真をいっぱい撮れて、僕、いま、しあわせ」


 いつもの湖畔の東屋で、朝の写真を見せてくれるとき。彼がハコにそう漏らしたことがある。

 葉子はいまでも、彼のその時の優しい表情が忘れられない。彼にとってはほんとうに至上の日々であったのだろうと思える。



 彼が遺したものを、父と整理する。


「ご家族、いなかったの?」

「ああ。神戸で勤めていたレストランに問い合わせたら、その頃にはもうご両親も亡くしていたよ。兄弟はいなかった。出身は神奈川の小田原らしいが、親戚もみつけられなかった」

「じゃあ。この膨大な写真データ。私たちが預かっていていいのかな」

「専門家に聞いているところだ。俺の料理の写真の権利はもらっておきたいなと思って……。ほんとうに、毎日、欠かさずに……。どうするんだよ、これから。けっこう、頼っていた……店の接客も……」


 料理人で頑固な父が、娘の目の前にかかわらず、すすり泣いた。

 家族の話もでてこない。盆正月も帰省しない。だから、秀星はいつも十和田家と過ごしていた。

 父もいつのまにか弟分になっていたようで、ふたりでおいしいものを探求するドライブにだって頻繁に出かけていた。


 彼の突然の死に、葉子以上に父が打撃を受けている。


「このデータ。私が大事に保管しておくね。見るだけならいいよね」

「父さん、こういうデータとかよくわからないから、そこは葉子、頼む。見るだけならいいだろう」

「権利がどうなるのか、わかったら教えて」


 父が弁護士を通して間違いがないよう、秀星の遺品に細心の注意を払って引き取ろうとしていてる。

 きっと。どこかで、もう家族のような人になっていたのだと、いまになって親子で感じて、心を痛めている。

 哀しくてしかたがないのは葉子も一緒だった。


 彼が事務仕事をしていた小部屋で、彼が遺したノートパソコンに保存されていた写真データを葉子は眺める。


 父の毎日の料理に、大沼と駒ヶ岳の四季折々の写真、森でみかけたオオウバユリの開花写真や、エゾリスにシマエナガなどの野生動物の写真も。

 どれも綺麗なのに、彼はプロにはなれなかった。どれも、どこかで誰かが撮影してSNSにアップしていそうな出来映えなのかもしれない。

 毎日欠かさずに撮影することで、いつか奇跡の一枚が撮れることを待っていたのだろうか。


 彼が遺したデータをひとつひとつ確認しているうちに、思わぬ写真画像が、葉子の目に飛び込んできた。

 父の料理写真に混じって、黒い制服で給仕をしている葉子の写真がいくつか入っていたのだ。


 画像のデータ名が『笑顔、よくなった』、『まだ背筋曲がってる』、『カトラリーを並べる姿、よし』、『ワインを注ぐ姿勢、惜しい』などなど評価のようなものがつけられていた。


 葉子はもう、とめどもなく涙が溢れてしかたがなかった。

 特に『笑顔、よくなった』に胸が熱くなる。こんな綺麗な顔をした自分を、葉子は自分でも見たことがないと思ったからだ。


 きっとこれが『ファインダー越しに見える写真家の目線』なのだろう。

 アナタは、たったひとりでも胸を熱くする写真を遺してくれていたんだよ。

 なんで。いまわかっちゃったのだろう? あの人が生きているときに、伝えたかったよ。伝えたかった……。


 それでも、あの人はあの場所に行くことを辞めなかっただろう。

 あそこに気が済むまでいたかったのだろう。葉子はそう思う。






 初夏になり、北海道は観光シーズン最盛期を迎える。

 睡蓮が湖面を彩る前、葉子は彼が逝った水辺に立ち、ハンディカメラをセットする。


 秀星さんが撮影していた時間。


「初めまして、ハコです。今日からここで唄うこと、ここから見える北海道駒ヶ岳、大沼の景色を配信していきます」


 カメラの方向は、いつも秀星さんがレンズを向けていた方向と同じ。

 駒ヶ岳と大沼を見渡せるアングルに固定している。

 『ハコ』の姿は映らない。声だけ、歌声だけ入れて風景と共に配信する。



 動画サイトへの配信、記録としてSNSにその日に唄った曲名を記してつぶやいた。

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