第二章 勝ちヒロインは友達がいない その1

「……………」

「あれ、もう行くの、ひめ? じゃあ、また昼休みにな」


 校門付近で唐突に会話を打ち切って、姫乃がすっと僕の側から離れた。

 どうやらどこかにクラスメートを発見したようだ。普段に似合わぬ俊敏さで小走りに駆けて行く姫乃。一秒でも早く学友達と朝の挨拶を交わすため——ではもちろんなく、見つからないように身を隠すためだ。

 人見知りの人間にとって学校という耐久レースはクラスメートに見つかった瞬間から始まるものらしく、そのスタートを少しでも遅らせるため姫乃は毎朝教室ギリギリまで知り合いに会うことを避けようとする。

 人影から人影へ、忍者のように身を隠しながら校門を突破して行く姫乃。そのまま一気に昇降口に消えていき……………あれ、出て来たぞ。消えたばかりの昇降口からずひゅんとUターンで戻って来たぞ。どうしたんだろう、乱れてもいない前髪を熱心に直しつつ下駄箱の様子を横目で窺い………おお、行った行った。また影のように中に消えていった。下駄箱にいた顔見知りをやりすごしていたのだろうか。朝から大変だなあ、人見知りって。

 

 隣のクラスの事情なので詳しいことはよくわからないが、姫乃は教室で浮いてこそいるものの、特に誰かに苛められているとか、嫌われているとかそういったことはないらしい。それでも姫乃は同級生との触れ合いを異常に嫌う。恐れていると言ってもいいほどだ。

 学校での姫乃は教室で過ごす時間を可能な限り削ることに腐心しており、休み時間の度にせっせと教室を出ていっては、開始のチャイムギリギリに戻って来る。そんなことを繰り返していたら、いつしか姫乃は『予鈴』と呼ばれるようになった。

 だからなんだというのだろう。姫乃には姫乃の事情があるんだ。

 SNSのフォロワーのが人生の豊かさの指標にはならないし、友達がいなくたってまともに育った人間は一杯いる。わざわざ価値観の違う集団に飛び込んで精神をすり減らすくらいなら、その時間と労力を心ときめくことに費やした方が遥かに有意義じゃないか。凡人の価値観に当てはめないでほしい、姫乃は姫乃のやり方で学生生活を謳歌しているのだ。

 なーんて。

 それらしいことはいくらでも言えるけれど、やっぱり彼氏としては彼女がぼっちだと果てしなく心配だ。なんだよ、予鈴って。人の彼女の動向を便利に利用してるんじゃないよ。友達百人とは言わないまでも、せめて一人でも笑顔で話ができる級友ができたら嬉しいのだけど。


「あははは! ちょっとやめてよ。知らんし、そんなん。マジでウケる。あはははは!」

 教室に入るとすぐにの大きな笑い声が聞こえて来た。こちらは姫乃と正反対で、いつも話題の中心にいる。

「あははは、マジで知らんし。エルサルバドルの外務大臣なんて」

 どういう話題なのかはわからないが、とにかく教室でのはいつも楽しそうだ。

「あ、なっちゃん」

 人気者は目ざとく僕の姿を見つけると、机から飛び降りてパタパタと寄って来た。

「なっちゃんなっちゃん。さっきはごめんな、邪魔してもうて。あの後どうやった? ちゃんとイチャイチャできた?」

 言い方よ。

「ほんまに邪魔する気はなかってんで。今のうちは完全に二人の応援ガールと化してるから、安心して」

「おう、そうか。ありがとよ」

「ででで、どどどど、どうだった? ちゅちゅちゅ、ちゅー的なことは、ししししはったのかしらー?」

「やめろやめろ、してねーわ」

 さもいかがわしいふうに口元に手を立てて、耳に顔を寄せて来る

「お、夫婦がイチャイチャ内緒話してるぞー」

「おいおい、そーゆーことは家ですませてこいよ、夫婦ー」

 そんな僕らを見咎めて、クラスメートからの野次が飛んだ。

 ——夫婦。

 もちろん彼らに悪意はない。僕とが幼馴染みで一緒に暮らしていることを知っているから言うだけだ。定型文というか、挨拶代わりというか、お決まりのいつものからかいセリフ………なのだけど。

「——夫っっ!」

「——婦っっ!」

 そんな冗談が今の僕らには効いてしまう。言葉の矢がズッポリと突き刺さってしまう。

「あれ、どうした夫婦。いつもみたいに夫婦めおと漫才やってくれよ」

「夫婦喧嘩か? さては夫婦ぜんざい用の夫婦茶碗、夫婦石で割っちゃったか?」  

 うおー、矢の雨だ。壇ノ浦ぐらい降って来る。日本語ってこんなに夫婦にまつわる単語があったのか。

 大丈夫か? そんな視線をに送ると、

「はいはーい、みんな聞いて聞いてー。発表がありまーす」 

 クラス一の人気者は素早く行動で返してきた。ぱんぱんと手を叩き、

「なんとー、あいおいなつくんに彼女ができましたー!」

 嘘だろ、いきなり公表すんのかよ? 慌てての肩を引くが、笑顔のウィンクが返って来るばかり。どうせいつかバレるなら、『早いうちに、自分達から、爽やかに』ってわけか。

「お、やっとカミングアウトかー?」

「知ってた知ってたー」

「おせーよ、式はいつー?」

 クラスメートはみんな良いやつらだ。自分に恋人もいないのに祝福ムード満開で冷やかしの言葉を投げてくれる。はそんな仲間に向かい、覚悟を決めるように息を吸い込むと、

「その彼女の名前はー!」

、やっぱ僕が言うわ。三組の亀島姫乃……さんです」

「いよっ、亀島さんやでー。はい、みんな拍手—!」

 

「………お、おー」

 

 パチ、パチ、パチパチパチパチパチパチ…………パチ?

 疑問符で終わる拍手を初めて聞いた。

 ……すまん、みんな。無理させて。

 期待と異なっていたことは明らかだった。頭上に盛大にクエスチョンマークを浮かべながら、それでも拍手だけはくれるクラスメート達は本当に良いやつらだ。決して口には出さないが顔でわかる。一番多い疑問は、

 ——誰それ?

 である。クラスとフルネームを読み上げたうえでの誰それは彼氏としてちょっと悲しいけれど、まあ無理もない。姫乃は転校生だし、無口だし。そして二番目に多い疑問は、


「え、夏って委員長と付き合ってんじゃねーの?」


 であるけど、何か口から出てきてんなあ! デリカシーはどこいったよ。

 決して口に出してはいけないはずのセリフを軽々と口にしたのははとゆういちろう、通称ぽっぽ。山羊座B型バレー部所属。長所は細かいことを気にしないこと。

「え? え? もしかしてお前ら別れたん? 委員長フラれたんか? イカちーなー!」 

 短所は細かいことに気が回らないこと。

「ちょちょ。待てよ、ぽっぽ。わ、別れるとか何言ってんだよ。僕達付き合ってたことなんて一回もないし。なあ、?」

「そそそそそうやでー、ななななな何を言ってんのよー。うううううううちはー、なななな夏のことなんかあっあっあっあっ………」

 うわー、死ぬ死ぬ。が死ぬ。効きまくっちゃってるよ、どうしよう。

「ねえ、あたしもあいおいは付き合ってるって思ってたんだけど。違ったの?」

 一人が一線を越えたらもういいやという思いだろうか。さっきまで空気を読んでいたかいばらしお(獅子座O型ソフトボール部所属)までが真正面から疑問をぶつけてきた。

「いやだから違うって、マジで。僕達は——」

「ごめん、あいおい。あたしに聞いてんだわ。どうなの?」

 掌でぴしゃりと僕をシャットアウトしてに向き合う貝原。

「え、ええ、えええー。し、しおりんまで何よ。なんでうちがこんな兄弟のなりそこないみたいなんと付き合わなあかんのよ、きしょいなあ。う、ううううちにはちゃんと好きな人がいてるねんから」

「いや、嘘じゃん」

「う、嘘ちゃうし! ホンマにいっし! も、もうかなりいい感じのとこまで攻略進んでっし!」

「誰よ、それ?」

「ええ? それ聞く?」

「聞くでしょ。マズいの?」

「マズくはないけどー、それはー、そのー、なんやったかなー」

「今もしかして好きな人の名前思い出してる? そんなことある?」

 やべえ、しおりん追及厳しい。心なしか、少し怒っているようにも見える。

「まままま待ってよ。だだだだだだからそれはそのー……」

「……三年のかしわざきさん」

「そう、三年の! 柏崎パイセンよ!」

 昇天寸前の幼馴染みに耳打ちで助け舟を出した。我ながらナイスパスだと思う。こういう時は取りあえず誰もが知るイケメン先輩の名前を挙げていれば間違いないはずだ。

「柏崎さん、彼女いるじゃん」

 ごめん、大間違いだったわ。

「あ、ああああれ? そそそそうやったっけ?」

「うん、女子大生の彼女。ちょっと前から付き合い出したって噂になってたじゃん」

「あー、はいはい。あったなーそんな噂。聞いた聞いた」

「噂を聞いてたのに攻略中なの? で、かなりいいとこまでいってんの? どゆこと?」

 ああ、もう泥沼だ。すまん、時間を稼いでくれ。今度こそ僕がナイスな言い訳を思い付くから、ほんの一瞬。

「いや、だからー、それはどういうことかと言うとー。つまりー、逆にどういうことやと思う?」

「え、あたしに聞く?」 

「聞くよ。聞いたげる。なんでも言ってみ?」

「えーっと………略奪狙ってるってこと?」

「はい、正解!」

 え、正解なの? 教室が一瞬静寂に包まれて、


「マジでかああああああああ———っっ!」 


 僕の恋人発表より遥かに大きな歓声が爆発した。

「マジか! マジか! いいんちょー! 略奪狙ってんのか? マジいかちーわ!」

「え? え? マジで言ってんの、? いいの、そんなん?」

「うぇ? いやー、ど、どどどどうなんやろー? ええのかな? あかんのかな?」

「いいだろ! そんだけそいつのことが好きってことじゃん。奪っちまえよ。結婚してんじゃねーんだからさ、俺は断然いいんちょー応援するわ! 夏もそうだよな?」

「ぐぅぇ、僕? 僕が応援するのはおかしくないかな………立場上」

「なんでだよ、いいんちょーがこんなに恋してんだぞ! 幼馴染みなら応援してやれや!」

 バシッと肩を叩かれた。鳩田雄一郎の長所一つ追加………意外と熱血漢。

「うん、そうね。あたしも応援するわ。頑張れ、。年増になんか負けんな!」

「そうだそうだー! 頑張れ、委員長!」

「行け行け、ちゃん! 寝取ったれー! 巨乳の出番だー!」

「NTR! NTR! NTR! NTR!」 

 どういうコールだよ。

 さすが人気者のいいんちょーは違う。人の恋人を奪う話でここまで教室を一つにできるなんて。

 結果的に言いだしっぺという形になってしまったは退くことかなわず、

「う、うん。わ、わかったー。うち頑張るわー、好きな人に彼女がいても絶対諦めへんからー! 絶対奪い返すからー!」

 汗をダラダラかきながら支援者達に拳を突き上げてみせるのだった。


 ………僕はいったいどんな顔での寝取り宣言を聞いていればいいのだろう。

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