その2

『母は、父を呼ぶときには”あなた”とは呼んでいませんでした。私達子供の見ている前では”お父さん”でしたし、二人きりの時は”庄造さん”と、名前で呼んでいたようです。』

『というと、いまわの際に、お母様が呼ばれた”あなた”というのは・・・・』

『父ではない誰か別の男性・・・・そう思わざるを得ません』

 俺は腕を組んで考え込んだ。

 仮にも故人の問題だ。

 あまり突きまわすのはどうか、と一瞬思った。

『母が亡くなって間もなく、遺品を整理していたら、この箱が出てきました』

 大野氏が次に取り出したのは、長方形の箱であった。

 かなり厳重な作りになっている。

 全体にビロードが貼ってあるが、地は恐らく木だろう。

 箱の四隅は、彫刻を施した金属の金具が打ってある。

 問題はその箱が開かないということだ。

 随分がっちりした錠前が取り付けてられていた。

『鍵は?』

 俺の言葉に、浩平氏は困ったような表情を浮かべ、

『それが、どこを探しても見つからないんです』と答えた。

 いっそのこと、壊してみようかとも思ったが、そんなことをして中身が破損してしまったら大事だからと、これまで何も出来ずにいたという。

 専門の業者に依頼してみたが、

”特殊な錠前になっているから、自分達では開けられない”と根を上げられてしまった。

『大変聞きにくいことですが、母上が生前、父上以外の男性と交際しておられたというようなことはありませんでしたか?』

 浩平氏は少し訝しそうな表情をしたが、すぐに、

『いえ、私の知る限り、母はそんなことをする人間ではありませんでした。家を空けることも滅多にありませんでしたし、未知の男性から電話がかかってきたこともなかったです』

 持っていた携帯電話の履歴も調べてみた。

 確かに男性名前のメールが二・三あったのは事実だが、そのどれもがごく事務的な内容のもので、小学校時代の同級生だとか、そんなものばかりだったという。

 俺は浩平氏の話を一通り聞き終わると、箱を置き、代わりに卓子テーブルの上の小切手を取り上げた。

『引き受けましょう。何しろ金欠病でしてね。契約書は後で送ります。良くお読みになって、納得出来たらサインをして返送して下されば結構です』

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 浩平氏の母親、大野由紀子は、旧姓を『安田』といい、鳥取県の山あいにある小さな町で生まれ、小学校迄そこで育った。

(兄妹は兄と姉、それから彼女に妹が一人という四人)

 彼女の父親は地元では有名な開業医で、同時に相当な資産家でもあったという。


 小学校を卒業すると、父親の方針で東京のある有名な全寮制の私立の女子学院に入学することになった。

 家族と離れて、13歳の少女がたった一人で上京というのは本人にとっては寂しくもあっただろうが、しかし彼女の家では父親の言葉は絶対だと信じられていたので、特に不満も述べずにそれに従った。


 彼女の通っていたのは、ミッション系の女学院で、中学校から大学までの一貫教育で知られており、生徒や学生は自宅通学以外は全員寮生活をしなければならない規則になっている。


 そこでの由紀子は友達も出来、成績も優秀、都会生活の良いところだけを身に着け、今の時代には珍しい、典型的な”良家の子女”としての教育を受けた。

 大学を卒業するまでの彼女に何かあったのかと思い、彼女の同窓生、仲の良かった友達(無論女性ばかりだ)を当たれる限り当たってみたが、何も出てこなかった。


”さて・・・・どうしたもんかな”

 俺は頭を掻いて立ち止まってしまった。

 となると、調べてみるべきは彼女の学生時代以降ということになる。

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