第16話 悔し泣き
キロは徹夜をしていたとは思えない速さで駆けた。サロンも跡を追った。速すぎてキロの顔が見えない。
人の合間を縫って、縫って、縫って。サロンは魚の行商にぶつかりそうになったが、キロは颯爽と避ける。
一目散に広場の礼拝堂に入って行く彼を追って飛び込む。立ち並ぶ椅子の奥、壇上に居る神父は伺う様にこちらを見ていた。キロはもう居なかった。壇上の横にある扉から奥の安置室に入っていた。
サロンは息を切らしながら安置室に向かう。神父も察した様で何も言いはしなかった。
陰鬱な石に囲まれた部屋には木のベッドが二つ。その片方は空で、もう片方の側に立ちすくむキロが居た。
ベッドには覆い隠すくらいに大きな布が掛けられていた。それは人型のシルエットを浮かび上がらせていたが、歪で、小さく感じられた。
サロンは背後で言葉を発せられ無い。まるで言葉を忘れてしまったみたいだ。
キロはベッドを覆う布に手を当てた。
「キロ、やめなさい」サロンの背後から声がして、キロはその時初めてサロン、またその後ろの神父に気付いた。
キロは泣いていた。静かに泣いていて、今の今まで分からなかった。
「見てもいい事はなかろう?」神父は毅然とした口調で諭す。
「でも神父様。見たいのです」キロの口調も冷静だ。
「焼け焦げて酷い有様だ。見てはいけない。そのまま土に返してあげなさい。先生もそれを望んでいるよ」神父はゆっくりキロの側に歩み寄り、そのふくよかな身体をキロに寄せた。
「見せしめでしょう。奴らに違いない」
「そうだと思うよ」
「許さない」
「いけない。憎しみは目がぼやけてしまう。それでは相手の思う壺というものだ」神父はキロの肩に手を当てた。
「そんなの無理ですよ」キロは肩を震わせてすすり泣きを始めた。
「そうだとも。来なさい」神父はキロの背中を押して誘導し、サロンにもそうした。冷たい廊下の奥に部屋があった。しかしキロはその手前の石畳の廊下に座り込んでしまって、俯いたまま膝の間に顔を埋めてしまった。
神父はそれを無理にやめさせようとはせずに部屋に引き取った。サロンもそっとしておこうと部屋に続いた。
部屋は神父の休憩室の様だったが、壁に打ち付けられたベッドや本棚、書斎もあり、一人で過ごすなら十分な部屋だった。テーブルと椅子が部屋の中央にあり、来客時にも使われているみたいだった。
「彼が先生と住み始めたのは彼が十の頃だ。彼には両親が居た」神父は自分の机に座って話し始めた。部屋の外のキロには聞こえるかどうかという声の大きさだった。
サロンは机の側の椅子に座って、黙って話を聞いていた。
「彼の両親は流行病で死んだ。遺体を埋葬する事さえ許されず焼却された。住む場所も無くして、彷徨い、この街に辿り着いた時には体重が同年代の子供の半分しか無かった」
辺りは無音で、神父の声が大きく聞こえた。
「虫とか草とかを食べて凌いでいた。この街でも路上でゴミを漁っていたのだ。先生はキロを見つけて家に連れて帰った。あくる日、私の元に洗礼に連れて来た。骨と皮だけの、虚な目をしたあの少年を今でも覚えているよ」
神父は目を細めて、壁を見つめていた。
「今にでも飛び出して行きたいだろうに」
開いた扉の向こうを見るが、ここからはキロは見えない。
「犯人は分かるのだろうか」サロンが訊いた。
「政府の仕業だろう。先生はマリバル軍に目を付けられていた。この街で診療所なぞしているが、名の知れた実力者だったのだ。国軍の非人道的な行いや蛮行に対して調べて働きかけをしていた」
「働きかけ?」
「抗議をしたり、実力行使をしたりも。ただ相手が国軍である為に限界があったが」
「レジスタンスだったのですか」
「そこまで大きなものでは無かったが」
「今回は」廊下から声がした。「マリバル軍三聖将の一人、テラルガが近くに陣を構えていると聞いて出掛けて行ったのだ」
「テラルガ」神父は驚いて声を荒げた。
「三聖将?」サロンが訊き返す。
「マリバル国王の次に権力を持つ三人の将軍だ。それぞれの軍を自由に操る権利を持っている」
「奴らの少数民族に対する人権侵害、荘園領地の不合理な没収、乱用される武力行使に先生は抗議し続けてきた」キロが言った。「奴らはえこひいきをする。それが汚い所なんだ」
「テラルガにやられたのか」
「そうだ。奴は魔導部隊のトップだ。奴らに先生は焼かれたのだ」キロはまた頭に血が上り始めていた。「僕は死ぬまで戦いたい」
「キロ」神父が遮ろうとした。
「死んでもいい。こんなに悔しいのなら」
何故だろう。彼に同調する。サロンは自分の事の様に悔しかった。
マリバルが許せなかった。
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