12. 襲撃、身に付けたもの


 足早に、足早に。入り組んだ細い裏路地を歩く。

 劇場からの帰り道。十字路の左右から同時に足音がする違和感に気付いたのはついさっき。

 引いたシャラの手がじっとりと湿っていた。


「もういい、観念しろ」


 正面を塞いだ杖士姿に小さく舌を打つ。

 ハイサム・イーリス。


「まあそろそろ来るとは思ってたわ。テオドシアは元気?」

「生きてはいるさ。地下牢の尋問部屋でな」


 とっくに杖は抜いている。左右に目を走らせ包囲の人数を確認する。……五人。


「どきなさい、足手まとい」

「きゃっ」


 あえてぞんざいにシャラを突き飛ばした。弱味とみられればこの距離でも人質になる。


「無駄だ。貴様とその娘がい仲だということは知れている」

「いっ……!?」


 胸を押えてエレベアとハイサムを交互にみるシャラ。

 動揺するな、と苦々しく思いながらも自然と淡い笑みが浮く。


「テオドシアもお喋りね、まったく」

「安心しろ。取るに足らない貴様なら俺が一人で相手をしてやる」

「へえ、そうじゃなかったら?」


 ハイサムが表情を消した。


「確実に殺す。総掛そうがかりでな」

「油断ね。その指示を出すころにはアンタもう死んでるわ」

「そうか。ならば――」


 ハイサムが腕を振った。一挙、四方の中魔杖士リムトワラーたちが押し寄せる。


「――忠告に従おう」

「はっ? こ、のッ臆病者!」

「俺は口の減らない女が嫌いだ。実力もないくせに大口をたたく」


 余計なことを言うんじゃなかった、と舌打ち。

 左右を流し見て十字路から正面の道へ飛び込む。とみせて残した片足へ重心を戻した。反転し、大きく沈み滑る身体。


(――あら?)


 頭上――さっきまで自分の上半身があった――を炎と化した敵の腕が通り抜けた。魔杖士たちの視線は面食らったようにどんくさくエレベアの軌跡を追う。


『――


 ヒザの鋭角に杖をわたした。下から煽られた炎が舞い散る。一人が失くした腕を抱えてうずくまった。


微温ヌルいのよ!」


 転がって追撃をかわしハッタリをかます。

 たとえるならそれは戦場に開いた自分だけが通れる道だった。敵の必中必殺を掻い潜り、いとも簡単に死角がつける。

 もぐりこんだ一人の膝裏を抱きよせるように絡みついた。いまだFへ変じたままの両腕で受け身のままならない相手は後頭部から地面へ激突する。入れ替わるようにエレベアは立ち上がった。


 やるぞ兄弟、と残りの三人がうなずきあう。

『『――よ、旅路を塞ぐものよ』』

『――よ、嵐を制す翼よ』


 三人が全身を突風と大鳥に変化させた。

 打撃力こそないものの重心を少しでも浮かせばすくわれそうな低い旋風。さらに舞い上がった猛禽の鉤爪かぎづめがエレベアの頸椎けいついを握り砕かんと強襲する。


「「「三杖殺法さんじょうさっぽう――!」」」

「そういうのは――」


 両足が真後ろへすっ飛ばされる。あわや鼻から地面にというところで両手をついて衝撃を殺した。


「自分はザコですって言ってるようなもんなのよッ!」


 腕立ての要領で胸の前にできた隙間に、突風をやりすごした両足を着地を待たずにねじこむ。地面へ横一文字に並べた双棍クラブの上に尻を置くとそのまま上空へ両脚を振りひろげた。


『――K!』


 突如開かれた巨大な顎を前に怪鳥が急制動をかける。だがより怪物的な獣の頭となったエレベアの下肢は無慈悲にそれを噛み砕いた。ぽきぽきと小骨の無数に折れる音。


「受け止めないと死ぬわよ!」


 そのまま乱暴に振り投げる。風から回帰した魔杖士の一方がぶつかるようにそれをキャッチした。

 あぎとと化した足が戻るまでのわずかな間。

 死に体となったエレベアにもう一方の魔杖士が狙いを定める。


『――よ!』


 両腕を変じさせた風弾。確実な胴を狙ったそれにエレベアは倒立で応えた。両肩を地面に着けたまま全身を持ち上げて風弾をかわす。

 エレベアの下肢が回帰したのはその直後だった。腰から二本の杖が、地面へ残した両腕へ滑り落ちる。


『――Χ


 双腕が燃え上がった。噴き上がる熱風に腕をまかれた魔杖士が身悶えながら膝をつく。跳ね起きるようにエレベアは立ち上がった。


「倍は連れてくるべきだったわね!」


 死屍累々を睥睨へいげいしてうそぶく。

 ハイサムは最初の位置を微動だにしていなかった。ただその目だけが鋭くエレベアの全身を観察している。


虎尾こび垂踵すいしょう起蛇きじゃ撥草はっそう穿杭杖せんこうじょう。やはり、お前は」

「そういう名前なのねこの技。やっぱりアンタも知ってるんだ」


 はじめに見たときから予想はしていた。だがハイサムの視線はエレベアに向いていない。


「――シャラ・アル・ミーラード。お前だな、もう一人の刺客は」

「ぇ」


 振り向けない。わずかでも視線を外せば攻め込まれる。だが本当にそれだけだろうか。


「我が師父しふも執拗なことだ。イステラーハの杖流を根絶やすためとはいえ敵に秘奥をくれてやるなど」

「……何を言ってるの?」


 シャラの顔を見るのが怖い。それゆえの硬直ではないか。


「隙だらけだぞ」


 だから顔ばかり前に向きながらこうも簡単に接近を許す。視線を振り切られる。


「エレベア!」

「ッがふ!」


 反射で杖をトリルした腕を指絡みで掴まれる。そのまま引き寄せられ強烈な膝蹴りを叩き込まれた。腕をひしがれ地面へうつ伏せに組み敷かれる。


「改めて名乗ろう。樹生陰杖流アリスィス・バウ、ハイサム・グローシスだ」

「陰……杖流?」


 エレベアのもう一方の杖を握り手ごと膝で封じてから、彼は名乗った。聞いたことの無い流名を。


ふるい呪いだ。イステラーハを殺すための、な。だがそれもここで終わる。貴様が死ぬからだ」


 捻りつける腕にハイサムが杖をかざす気配がした。この距離ならどんな魔法でも致命傷だ。

 こちらの杖は使えない。一本は腕を取られた時に落として数歩離れた場所に。もう一本は手首ごと踏み潰されている。無理やり魔法を使ったとて指先を変化させるのがせいぜいだろう。

 だがエレベアは厳かに詠唱した。唄うように、囁くように。


『――よ』

「ッしまっ……!?」


 直後、片足が乱流と化す。

 杖を押し付けたのは手首をにじるハイサムの膝。

 魔杖士なら幾度も繰り返す詠唱による変化のイメージ。それを誘発することで意図しない魔法を発動させる。劇場でシャラにした同伴変身もこの応用だ。

 樹生新杖流ユーピトン・バウ〝横車〟。


「アンタ経験少ないでしょ、こんなもん実戦じゃ超格下相手にしか通じないのよ」


 片足を失って崩れたバランスを下からひっくり返す。

 余談だがイステラーハはこのからめ手の巧みなことで〝残忍な唇〟の異名をとった。彼女にいいように転がされ鍛えられた高弟たちにこの技はまったくと言っていいほど通用しない。

 ハイサムが風と化した左足を制御し反撃の気を発する。エレベアは早々に距離をとった。落とした杖を拾う。


「型稽古ばっかりやってるヤツの典型だわ。まあ、アンタ友達いなさそうだし?」

「……よく喋るな。ダメージは残っているか」


 立ち上がり泥をぬぐったハイサムは冷たい目でこちらを観察した。

 図星をつかれ笑みを深くする。苦しさと表情が反比例するのは杖士の習性のようなものだった。


「完全に理解したわ。どこのどいつだか知らないけどおばあ様に負けた腹いせに、いまさらアンタみたいな初心者を刺客に立てたってわけね。お気の毒さま」


 あえて安直な憶測おくそくをぶったのは反論を誘うため。ハイサムはそれに乗る。


「逆だ。イステラーハがもはや老いさらばえた為に貴様に白羽の矢が立った」


 静かな声は変わらぬまま、ただ憎しみだけがそこにのる。


「我が師の望みはかの老魔女からすべてを奪うこと。地位も後継も、磨いた技も。ゆえにその女を差し向けた。古き技と偽って、師父自身の工夫わざを貴様に植え付けるために」


 ざわっと悪寒が走る。それはまるで水底につま先をのばして、そのどこまでも沈み込む感触に慌てて引っ込めたような。気付いてはならない事実にかすめてしまったような。


「……どういう」

「目を逸らすな。もう思い至っているはずだ。お前がその女から聞き出した技は樹生新杖流ユーピトン・バウではない。より優れた師父の杖流。イステラーハを武芸者として殺すための技」


 骨身を這う不快感が全身へとめぐった。今までの比ではない。自分の取りうる選択肢のうちのいくつかが明確に鍵で閉ざされたのを感じる。

 見逃さずハイサムは構えをとった。


「さて、師父の顔も立てるとしよう。……貴様自身を答えにするがいい。イステラーハと我が師父の技、どちらが秀でるか」


 直後、ハイサムの姿が消失した。

 目の前にトスされた杖だけがある。斜め下、視界の外から飛んできた後ろ蹴りを勘だけでかわす。かすめた威力で体がふわりと浮いた。


『――Χ

「っづぅ」


 杖ごと蹴り抜いた足刀が即座に炎刃となって振るわれる。


「どうした。どんな技でも使うがいい」

「……ッええそうね、じゃあ遠慮なく!」


 トスからの半身入り身。ハイサムの目が退屈そうに細められた。


「イステラーハの技か」


 彼の引き足が弧を描き、逆にすれ違うように踏み込んでくる。裏拳によるカウンターの、そのさらに裏を同じ技でとろうとしてエレベアは全身にブレーキをかけた。


「ぐう――はッあぐ!」


 肩口で止めた裏拳のさらに下から襲い来る暴風の頂肘ひじてつ。受け身もろくに取れずに吹き飛んだ。


「どんな技でも、と言ったはずだ」

「……っげほ、えぇだから使ってるわ。一番信頼できるのをね」

「師の誇りにじゅんじるか。存外まともな頭をしている」


 それからは地獄だった。

 樹生新杖流ユーピトン・バウが通じないばかりかそれすら満足に回せない。隙間でどうしてもシャラから見取った陰杖流が頭をかすめ、抑えるたびに痛手を負う。

 三合撃ち終わる後にはボロボロになっていた。打撲に火傷、細かな擦り傷なら数えきれない。

 水刃に切り裂かれた二の腕を押さえながらエレベア立ち上がる。


「師父の技が使いたくてしかたないらしいな。我慢しても死ぬだけだ。せめて力を尽くして終わろうとは思わないのか?」

「……ハッ、それでアンタの師父とやらに弟子入りしろって? おあいにくさま、負け犬の芸に興味なんてないわ」


 せいいっぱいの虚勢に笑んだ目が次の瞬間には見開いていた。ハイサムがぬるりとその影を小さくする。半身はんみ入り身。


「ならば死ね、その女もろともに」


 ここ数日の見取りで、その特徴が球軌道きゅうきどうにあることは掴んでいた。

 本来であれば直線軌道こそ敵の応対を後手ごてとする最短の道。しかしこの歩法は相手の視界の縁外ふちそとをなぞるように進むことでまるで消えたかのような錯覚を与える。通常のフェイントに使われる円弧の軌道と違うのはそこに上下の動きが加わる点だ。


(どこ、に)


 背後でシャラが小さく息をのんだ。それが嚙みあわなくなったエレベアの歯車をわずかにひと歯だけ回す。


(イチかバチか――!)


 エレベアは自身をかき抱くように背を丸め背後へ飛んだ。シャラに背中をぶつけるつもりで突っ込む。そこにだけはハイサムが居るはずもなくまた確実に視界の内へ彼を捉えられる。

 果たして途中で見つけた。ほぼ真横からすでに一節魔法の間合いに入っている。

 エレベアはあえて精神的に脱力し無防備をさらした。


『――よ『旅路を塞ぐものよ――!』』


 体幹にわたした二本の杖は〝<〟の字。四本の体脈と交わって同時にいくつもの紋様を描くその構えでもって、相手の魔法に後出しで全身変化の魔法をぶつける。小手先の魔法より質量で勝るこちらが有利なのは道理だ。

 さらに相手の詠唱をあえて耳に入れることで自身は一節目の詠唱を省略する。かつてイステラーハの横車に対抗するためエレベアが編み出した独自の工夫。

 樹生新杖流、〝合撃がっしち〟破調くずし、〝波音なみ返し〟。


小癪こしゃく、なァッ!」


 空気の塊と化したハイサムの腕が口、ひいては気道を狙ってくる。それを振り払うように全身を旋回させた。鼻道から喉に張りつめた危機的な痛みを感じた瞬間、エレベアは全身を乱流と化す。

 ハイサムの腕を無茶苦茶に撹拌かくはんしながらその顔から上を抱え込む。口鼻耳、七孔しちこうすべてに這入はいりこんでその内側を空圧で破壊する。


「――ッ!」


 声もなくハイサムは昏倒した。

 回帰したエレベアは起き上がりつつある他の魔杖士らに怒鳴る。


「大事な跡取りなんでしょう、とっとと連れて失せなさい!」


 ――――。

 襲撃者たちが去った裏路地。まるで竜巻でも起きたようにゴミと体液が散乱したそこに膝をつきうなだれる。


「ぁ、あの、エレベア、さん」

「話しかけないで」


 自分でもびっくりするほど静かな声が出た。


「今、考えてるから」


 最後の一合を思い返す。ハイサムの腕を振り切った歩法は何あろう、シャラから見取ったもの。


(使わされた……!)


 座り込んだ姿勢のまま地面へ額をついた。死に際の――殺してはいないが――ハイサムの顔が脳裏によぎる。じゃりじゃりと額をにじった。


「あーーーーーーッ!」


 叫んだ。とにかく何か出さないと涙が出そうだった。

 イステラーハが錬磨れんまし、エレベアへ刻みつけた術理は変容した。正確にはより優れた術理により淘汰とうたされてしまった。それはイステラーハの敗北に間違いなく、認めたのは自分に他ならない。


(強くなったならそれでいい? どちらも自分の技にして最強の魔女でも目指す? 恥知らずに!)


 かつて自分をすくい上げた凛々りりしさと強さに憧れた。

 イステラーハの魔杖術を他の、ましてや経緯はどうあれ彼女をかたきと憎む誰かの技で上塗りすること。それが誰をもっともおとしめるかは明らかだった。


「どうしよう……っ……」


 なまじ土台が同じ杖流というのがアダになった。二つの術理はエレベアの中でほとんど癒合ゆごうしている。

 この先自分がどう工夫を凝らし植え付けられた歩術を封じようと、それは目的への最短距離をわざわざ迂回して同じ場所を目指そうとするようなものだ。道を変えた時点で既に自分はその影響を受けていることになる。

 この歩術は使えない。けれどまごうことなきいち杖流の到達点。


「……ごめんなさい、取り乱したわ」


 それでもここには留まれない。動かなければ何もかも失う。積み上げた技も、憧れた光も。


「シャラ?」


 顔をあげて見回すもその姿はなかった。ただ地面に、


 ――ごめんなさい――


と、爪先で書かれた文字だけが残っている。やってしまった、それにしてもと頭を抱える。


「あのいじけ虫……本当に文句ひとつ言わないんだから」


 文字のそばには数滴、雫の落ちたあとがあった。

 いくつか行きそうな場所にアタリをつけて、エレベアはもと来た道を駆け出した。

 なんだかひどく心細かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る