10. 劇場、密戯


「エレベアさん、あれって何ですか?」


 目的地へ向かう途中、ひときわ人目につく場所にある屋台をシャラが指さした。

 二人とも数軒前の店で身なりを変えた直後だ。シャラはがら違いのケープでいかにも伝統的な肩出しの上半身を隠し、下ろした髪に薄いヴェールをまとわせている。色布をねじって冠状のにしたものでそれを留めた姿は花嫁ごっこをして遊ぶ子供を思わせた。


「はいはい、なーに? もうどうにでもしてよ」


 一方のエレベアはといえば、すそのふくらんだ長ズボンに膝まで届く刺繍ししゅう入りの上着。フワフワした毛皮の帽子。ありていに言えば商人の男装だった。


「なに拗ねてるんですか、すごくカッコいいですよっ」

「別に。こんなものに銀五枚も出したのが今さら理不尽に思えてきただけ」


 変装するなら性別だって偽装するに越したことはない、と妙に力説され押し切られた服装を上から下まで眺め見て、シャラは何が楽しいのかむへへと笑った。


「そっちの方がいいですよ。法衣レオタードはなんだかちょっと……」


 言いかけて目が泳ぐ。そのヴェールの裾をつまんで頭を間近まぢかへ引き下ろした。


「ちょっと、なに?」

「ぃえ、その、ちょっとぇえっちぃというか……」

「ふーん、さっすが宮女サマは目の付け所がお上品なことね」

「だ、だってあんなの、丸わかりじゃないですかイロイロとっ!」

「だから何? 見せて恥ずかしいような身体も技もしてないのよ」


 アナタはどうだか知らないけど、という意図をこめて屈んだ腹をもにゅる。


「ひあっ、や、やめっ、もーう!」


 ほどほどに溜飲を下げたあたりでシャラの両手にひきはがされた。


「可愛いわね、シャラ」

「は……え?」


 皮肉をこめて笑いかければ、マジメに初心うぶなリアクションを返されてすぐ渋面に戻した。


「今のもう一回いってください」

「うるさい。で、何が知りたいって?」


 払いのけた手をかいくぐって背中に回ったシャラが、肩越しに再び指をさす。

 人が大勢行きかう明るい店先に、同じ形の粘土版がいくつも並んでいた。


「あぁ、ってアンタ〝覚者かくじゃの文字板〟も知らないわけ?」

「カクジャ……姐さま方の話に出てきたような」


 だろうと思う。この国の歴史、特に魔法や祭事をつかさどるなら基礎の基礎だ。


「〝力の紋様〟がぜんぶ刻まれた板よ。最初にこのオアシスへ迷い込んだ商隊キャラバンが、湖畔こはんの洞窟でそれを見つけた。一人のミイラと、逆雷樹の枝と一緒にね」


 彼がどのような経緯でそこをつい棲家すみかとするに至ったのかは分からない。しかし彼の遺した魔法の記録は、オアシスとともに商隊を大いに助けた。のちにメズィス王国の祖となる彼らは、そのミイラを悟りを得た者、覚者としてまつった。建国の伝説だ。


「あー。そういう名前なんですねあれ」

「そのレプリカよ。聖樹祭が近いから土産物として売られてるの。まあ、文字板だけあっても杖がなきゃ魔法は使えないけれど」


 屋台に近寄ってひやかせば作りはいかにも量産品だ。刻まれた紋様もいくつか怪しい。壮年の店主の胡乱うろんな視線になにを思ったのか、シャラはエレベアの腕へぎゅっと抱きついた。


「あ、コレは分かります。ΧFも踊りで使います」


 微笑ましいのか呆れたのか店主はそっと視線を外した。すくめる肩すら重くてエレベアは自分で立てとばかりにその腰を引き寄せる。


「ひゃん」

「上から四元素、動植物の順ね。ИK……ここまで」


 21文字の一行目から三行目の途中までを指でなぞる。

 もぞもぞと身の置き所を探っていたシャラの頭がこてんと傾いた。


「あとの四つは?」


 それより前と明らかに筆跡が弱弱しい最後の四文字。


末期まつごの四紋よ。最後の一文字は【死】じゃないかと言われているわ。でもそれを発動できた魔杖士はいない」


 覚者かくじゃは世界を別の次元で観たのではないかと言われている。彼のとらえた世界の骨格フレームが力の紋様で、最後に観測されたのが彼自身の死だった、というのが通説だ。


「どうしてですか?」

「誰も死を空想はできても正確にイメージできないからよ。魔法は紋様を描くだけじゃ発動しないの」


 ぎゅっと掴まれた腕が締めつけられた。


「旦那さん、詳しいね」

「誰がダンナよ。ここに来る前ガイドの子に聞いたの」


 店主の感心に、あらかじめ考えておいた言葉を返す。

 声を聞いた店主は一瞬おやっという顔をした。が、旅の女が面倒をさけるため男装することはままあるし、観光客をカモにする浮浪児も珍しくない。

 納得した彼のセールストークをかわして店を後にした。


「ちょっと、いい加減離れなさい」

「えへへぇ、もう少し」


 左右のバランスが違うのがとても歩きにくい。世の男はよくこんなのをブラさげて誇らしげにできるものだ。


「なにがいいんだか」

「むへ、そういうカオするエレベアさんが。あいたたたいいたい!」


 反射的に腹肉をちねりあげてから己の頬をさわる。

 自分は今どんな顔をしていただろうか。一瞬で平常に戻った表情筋からは何も読み取れない。

 腹を押さえて痛がりながらもどこか嬉しそうな彼女をみて、わずかにそれが震えた気がした。



――――――。

「わあ、賑やかですねぇ」


 屋台の隙間を蛇行しながら広場を突っ切ると、一等ひらけた場所に出る。

 店こそ出ていないが人でごったがえしていた。


「午前の開演が近いみたいね。ちょうどいいわ」

「開演?」


 広場の奥にそびえる壁とみまごう青白の列柱。それに支えられて巨大な円状天蓋が壁とともにその内側を現世から隔てている。


「劇場よ、人探しにはちょうどいいでしょ」


 あらゆるものが往来するメズィスの国。四方山よもやま話だって例外じゃない。それを一番高く売るため加工したものがこの劇場で演じられる歌劇だろう。


「この国に劇場嫌いの人間なんていないわ。特に後宮を出たばかりなら一度は足を運ぼうとするはず」


 女性は特にだ。事実、シャラの表情は憧れと期待ですごい事になっていた。


「ここっ本当にわたしが入っていいんですかっ!?」

「えぇ、好きなだけ入りなさい」

「どきどき……」


 入り口は二つ。一般の席札を買って入るものと、年間で借りた席札を見せるだけで入れるVIP用。

 一般の入り口へ向けて歩きながらエレベアは隣を歩くシャラの腰を引き寄せた。


「へっ?」

「じゃあ魔法の練習よ」

「えっえっ」

「アタシに合わせなさい。いくわよ――

「ひっ――」


 互いの体幹を重ねるようにシャラの片足を踏み越え、腰骨同士をつなぐように杖をわたす。二人分の体脈をイメージし、彼女の耳元へ唇を寄せささやいた。


「――ゃ、ぁあああっ!」


 全身が大気へと変じる。一瞬遅れてシャラもその変化に巻き込まれた。


(いいじゃない、その調子)

(うわうわわわたしどうなっているんでですすかか)

(何も考えなくていいわ、アタシに任せなさい)


 できる限り人型を保ったまま、そよ風の速さで人の間を抜けていく。行列を追い越し、札売り場をスルーし、監視の魔杖士を死角ついてエントランスへ。


(これっていけないことじゃ……っていうか服ー! はだっ、ハダカになっ……!)

(余計な事考えるなって言ってるでしょう、ええい戻ろうとするな!)

(いやー! 辱められるぅぅ!)


 誘導して天井の通風孔へひきずりこみ、すったもんだの果てに薄暗い部屋に出る。

 色ガラスの窓からほのかな光が差し込むそこは劇団の衣装室だった。


「ぷはっ! ぁわわわっ」


 人型に戻ったシャラがわたわたと慌てたあげく裸身を抱くようにしゃがみこむ。衣装かけからむしった服を彼女へ放った。


「まったく落ち着きがないったら。これなんかいいんじゃない」

「なんでもいいですエレベアさんも早く着てください!」

「はいはい」


 適当なマントを素肌に羽織った。


「もっと! ちゃんとした! やつを!」

「いいから、まずは自分のをなんとかしなさいな」


 袖に通したくてもまだ通す腕がない。


「う、ぅー、わたしの一張羅いっちょうらが……母の形見なんですよあれ!?」

「一張羅って、これのこと?」


 スポンと通風孔から布の塊が飛び出す。それがエレベアの左腕あたりへと吸い寄せられると、マントの下が腕一本分のふくらみを取り戻した。


「へ……」

「銀五枚も払った上に財布だって入ってるのよ。ただ捨ててくるはずないでしょう」


 包んだシャラの布着をほどくと中からエレベアの変装もろもろが床へと落ちる。


「え、じゃ、じゃあこれを着た意味は……」


 シャラは自分の恰好かっこうを見下ろした。正面の大きくカットされた神秘的なドレス。スレンダーな体型の役者が着ればさぞ妖しい魅力をかもすのだろうが。


「さっきのお返しよ、枝上シジョウ魔女マジョさん」


 役名で呼ぶとシャラはばっと腕組みして背中を向けた。


「き、着替えます! 返してくださいっ」

「あっははまだまだ、これから忍び込むのよ。演者に見えたほうが何かと楽だわ」


 ひょいと伸ばされた手をかわして部屋のドアに手をかける。


「ちょ、待っ、服を! 着てください!」

「あら」


 忘れていた。シャラへ下着類を投げわたすと、その間に自身も衣装を身に着ける。サイズが合うものを選ぶと必然、子役用の可愛らしいものになった。たっぷりの羽つき帽子と背伸びしたように大仰なフレアスカート。


「は、わわ……」

「何?」

「おねえさまって呼んでもらえませはぶしゃわっわわ」


 帽子の羽飾りを山ほどくらわせてやると鼻をグズらせてシャラは黙った。


「グズグズしてないで早く来なさい」

「はぁーい」


 モジモジとした足取りを引き連れて暗い廊下に出る。客の入る表側に比べ薄汚れた階段をしばし上がると、何もない開けた空間にでた。


「わぁあ」


 淡い光に下から照らされ、シャラが翠瞳を輝かせる。


「特等席よ、悪くないでしょ」


 舞台のほぼ真右。天井近くのバルコニー。限られた演目にだけ使われる別名『神託の窓』。その性質上、舞台は見にくいが客席を見渡すにはこれ以上の場所はない。


「まだ幕は上がったところね。演目は……あら」

「どうしたんです?」

「なんでも。さ、人探しをはじめましょうか。アナタの目が頼りよ」


 なんせエレベアはその主人とやらの顔どころか名前も知らない。


「は、はい。でも思ったより暗いですね」


 むーっと目を凝らしてバルコニーから身を乗り出すシャラ。


「だからここもバレないのよ。舞台だってよく見えるでしょう」


 ステージには煌々とʘの魔法が輝き、客席との空間を隔てている。


「シャラ、あなたフクロウを見たことは?」

「え……小さいとき、主様が贈り物にいただいたのをお世話していたことが」

「上等ね。顔をこっちに。じゃあその目を思い出せる?」


 シャラをかがませると杖を取り出す。


「……はい」

「闇をみとおす目、あまねく絡めとる瞳、飛空する二つぼし――Ψ


 その閉じたまぶたにそっと当てがった。


「っ」


 睫毛まつげがぴくりと震え、おそるおそるとそれがもち上がる。奥には中央のかげった月のような金の目があった。


「あ、あれ、あれ……?」


 くらんっと揺らいだ頭を頬をはさんで押さえる。


「ほら、早く客席を見なさい」

「はぁい、う、うわっ!? すごい、歌手の奥歯まで見えます!」

「きゃ、く、せ、き」

「あたた、そんなぁ」


 ぐぐ、と首を逆へねじると悲痛な声があがる。


「こんな所、そう毎日来るもんでもないわ。一度でも見逃したら望み薄になるわよ」


 期間ごとに演目は決まっている。よほどの好き者でないなら連日同じ劇場には来ないだろう。

 客席の隅から隅までを時間をかけて見回させたころには劇は前半も終わろうかというところへきていた。


「いませぇん」


 ぺたんとバルコニーの内側へ座り込んだシャラは息を吐いた。三度重ねがけした魔法の目がもとに戻っていく。


「ご苦労さま、はいお水」

「んくんく」


 バターを塗り焼いたパンのようなつやつやした喉が嚥下するさまをながめていると、かつかつと階段を上ってくる足音がした。


「おっとそろそろね。隠れるわ」

「えっ、えっ」


 バルコニーの入り口正面、ひときわ暗闇のわだかまった位置に二人でまとまってシャラの胴布をひっかぶる。パッと見にはぼんやりとした塊にしか見えないだろう。


「喋ったら牢屋に戻るハメになるわよ」


 言うまでもなく口をふさいだシャラに釘をさす。

 足音が次第に近づき、やがてその影が対面の壁から放たれた光に激しく照らされた。


「っはぁ」


 感嘆をもらしたシャラの背中を抑える。

 痩身の女だった。シャラが着たのとよく似た衣装をまとい魚のひれのように切れ上がった眼差しで舞台を睥睨する。

 大きく開かれた黒い口腔が耳をおおうほどの高音を発した。


≪木こりよ 娘を愛する 善良な男≫


 キリキリとひしりあげる弦楽器の旋律に負けない美しくも空恐ろしい歌声。

 〝枝上の魔女〟歌劇『天樹の最も愚かな子』に登場する悪魔。


≪なぜが幹をらないのか 吾が枝はすべての実りをもたらし 吾が葉はあまねく獣の赤子あかごとなる≫


 かつて世界の中心を貫いていたといわれる天の樹。あらゆる世界を枝でつなぎ生命を産んだといわれる大樹は現在、根だけを遺して喪われたと言われる。切り株は腐り落ち、そのくぼんだうろに水がたまりオアシスとなった。創世の神話だ。


≪吾を柱とし屋根とすれば 妹は助かろうものを なぜ≫


 一人の愚かな男がそれを切り倒したと言われる。理由は諸説しょせつ語られていて、そこの味付けが大抵この演題の個性の出しどころだ。今回は途中入場のうえ客席ばかり見ていたのでよく分からない。


 聴く者が総毛立そうけだつような歌声を響かせ終わると、魔女は階段をおりていく。口までずり上げて覆っていた布をはぐると、二人は安堵と感銘の息をついた。


「エレベアさん、知ってたんですか?」

「まあね。天樹伐採を演題に選ぶなら出てこなきゃおかしいし」


 特等席って言ったでしょう、と笑いかけるとシャラはぺたんと腰が抜けたように後ろ手をついた。


「今度はアナタの番」


 あぐらを組んで目線を合わせ耳をすませる。

 魔女の歌声に静まり返っていた客席も、喜劇調の場面に合わせざわめきを取り戻しつつあった。


「アタシと一緒に来るって言ったわね。ならとっておきを見せてくれる、シャラ?」

「こ、ここで?」

「バレやしないわよ、さ、立って」


 目で急かすとおずおずとシャラは立ち上がった。杖を一本ずつ投げ渡すとまとめたそれを胸の前できゅっと握る。


「綺麗ね」

「ちゃ、茶化さないでください……っ」


 半分は乗せるための口説。半分はついだった。ステージから差す明かりにぼんやりとかげってもシャラの表情が見てとれる。主張の少ない薄い顔には精いっぱいの戸惑いと羞恥が浮かんでいた。素直で誰ひとり騙せそうにない魔女。


「え、と、どこから……?」

「アナタが最初に習ったことから。解釈はこっちでやるわ」


 ステージからはゆったりした音楽が流れ始める。シャラはしばし目をつぶると、やがて音律に乗るように踏み出した。

 さらさらと夜色のスカートが床を擦る。上体が左右を入れ替えつつ深く沈み込む。バルコニーを広く使いながら、歩幅はその柵際にあまり近づかないよう調整されているらしかった。


「基本は不等辺三角形、もしくは四角形……ちょっと止まって」


 しばらく観察して呼び止めた。周回するその足跡には法則性がある。


「最初の位置に。そうそれで……この辺ね」


 シャラと向かい合うように。彼女の軌跡が描く図形の真ん中に立つ。


「もう一度」

「は、はいっ」


 つられ表情を固くしたシャラは再度、エレベアの右横へと踏み込んだ。


「っ」


 視界の外へ消えた彼女を目で追うもそこに彼女はいない。低く屈んでいる。そのまま背後へ立ち上がり、今度は振り向いたエレベアと行き違うように鋭く反転。


(これ、は)


 恐ろしく近い死角に彼女はいた。もし追撃の腕を伸ばしていたならその脇下を打たれているだろう必殺の間合い。

 忘れるはずもない、自分を気絶せしめたハイサムの歩法。


(どうしてこの子がそれを、いや、今考えても)

「……どうかしましたか?」


 絶句したのを不審に思ったシャラが足を止める。


「なんでもないわ。この踊りはただ一人に見せるためのものなのね」

「そんな事まで分かるんですか」

「後宮の踊りって聞いてもしかしたらと思ってたの。それに、そういう建前で練磨したほうが武術の歩法に近くなるから」


 幻惑的な踊りはあれど、ここまで目をくらましてしまえば舞踏としての意義は薄れる。鑑賞できない踊りなどもはや奇術のたぐいだ。


「王様をおもてなしする踊りだと母からは習いました」

「そう、実際に披露したことは?」


 シャラは首を振った。どうしてか少しだけ気分が良くなる。


た人間が少ないに越したことはないし)


 二つの歩法が同じだとして。ジダールは知っているのだろうか。ハイサムのことを。だとしたら何故シャラに固執するのか。


(アタシに渡したくなかった、とか?)


 ジダールとてイステラーハの教えを受けた魔杖士だ。だが条件が同じならエレベアは十戦して十勝する自信がある。もしそこに僅かでも優位を得たなら義兄はそれを自分にだけは渡すまいとするだろう。


(けなげなお義兄さま。それもムダになりますわ)


 くすくすと喉を鳴らす。


「あ、あの、何か悪い顔してません?」

「愛してるわ、シャラ」

「なわっ……わたしの踊りをですよね!? フジュンな愛を囁かないでください!」


 まあその通りなのだけど。そこまで頭ごなしに否定されるとモヤモヤするものがある。いや、本当に些細な問題でしかないけれど。


「どうすれば不純にならないか意見を聞いてあげてもいいわ」

「そ、そもそも女同士っていうのは信頼関係です。男女の仲みたいにいきなり好きになるものじゃありません。知り合ってお友達になって、少しずつ相手を理解していくものじゃないですか?」


 そうだろうか。イマイチしっくりこなくて首を傾げる。それを見てどう勘違いしたのか、シャラはさも得意げに目を細めた。


「エレベアさんはまだ小さいから分からないんですよ。もう少しオトナになれば理解わかります」


 へぇ、ほぉ。エレベアは口端を吊り上げる。その贅肉のどこに年齢なりの経験が詰まっているのかきいてやろうと距離を詰める。


「やっ」


 するりと。シャラの手のひらが伸ばした指先に絡む。彼女は繋いだ手を誘導すると、直後には最小限の動きでエレベアの脇をすり抜けていた。夜半よわの水のごとき感情がエレベアの胸にわき起こる。


「こうですか? わたしにも分かってきましたよこの踊りの意味わぁっ!?」


 はしゃぐシャラの足をすくうと落ちる腰を抱えて押し倒す。びっくりしたように大きな目が見上げていた。

 鼓動が早い。


「あっ……のぅ、エレベアさん?」


 うかがうような声音が癪にさわった。理由もなく何かひどいことをして余裕を無くさせたくなる。お互いを分かり合うよりも早く、もっと分かちがたい関係にもはやなっているのだと思い知らせたくなる。


「えと、目が怖いんですけど。あ、謝った方がよかったりします?」

「まだアタシから離れられると思ってるの」


 獲物を組み敷いたオオカミが人語を喋ったならきっとこんな声だろう。低く抑えた吐息混じりの。

 不意にあたりが真っ暗になる。一幕が終わったらいい。


「っい、」


 ぽす、と。

 突き出された二つの手のひらがエレベアの腹部にあてがわれる。押しのけるように。それで、すうっと頭が冷えていった。


 ――感情につき動かされるのは卑小さだ。美人たるもの尊大でなくてはならない。


「……なに、この手は?」

「あああのやめてくださいわたしもホントはよくわからなくて姐さま方の聞きかじりであのその」


 手首でまとめたそれをぐいと持ち上げると、そのまま脇腹をくすぐる。まだ手に残った乱暴な衝動を消化するように。


「ひゃっ、~~~~ッ!」


 シャラはジタバタと全身で抗議する。ステージの幕が上がると同時、彼女の懸命に口を引き結んだ顔をのぞき込んだ。


「冗談よ。何かされるとでも思った?」


 我ながらいつも通りの完璧な笑みだったと思う。

 シャラはぽかんと見上げた直後、何かを堪えるように潤んだ目をつり上げて。


「……っ思いました……ッ」


 そのままごろんと横になって背中を向けた。


「エレベアさん、キライです」

「……ぇ……ごめんなさい……?」


 静かな剣幕に、今まであげたことのない情けない声が出た。

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