2. 折れる杖、顔のいい女

『――Иかろき手足』


 身ごなし強化の魔法をつかって長い塔の階段を十段とばしで降りる。

 ガラス窓の下にみえるのは砂色の宮殿に湧く紺碧こんぺきの泉。その周りにはびこる緑の草木。


(まるでこの国みたい。猫のひたいみたいな水場をめぐって争って)


 宮殿のむこうにはだだっ広い大理石の道と、そこをカビみたいに埋め尽くすマーケット。周辺国の交易の要衝ようしょうをになうオアシスの国メズィスの大動脈。


(アタシの生まれた場所)


 母の顔はおぼえてないし父親はスリだった。

 やせ犬のうろつきみたいな家業に子供は重宝されて、数えきれない財布や手形てがたを盗んだころ、父親は捕まった。絶対に手を出すべきじゃない相手に手を出して。


 ――ほう、これは。痩せ犬がたかのヒナをくわえてきたよ


 それがイステラーハ・イーリス。王室魔杖師範、万象ばんしょうの指。養母であり、のちにおばあ様と呼び慕うことになる女との出会い。





 飛び出した足は宮殿の外へとむかう。

 ジダール・マジュフド・イーリスはイステラーハの実の息子だ。養子のエレベアからは親子ほど年の離れた義兄にあたる。

 その居所はかつてエレベアと養母が暮らした王室魔杖師範の役宅だ。


(尊大に、秘めやかに、遊ぶように)


 目線ほどの高さの土塀が迷路のように入り組む路地を歩きながらエレベアは繰り返した。養母からの教えは体に染みついている。

 充分に気持ちを整えてから、はるか背にした塔を振りかえった。


「……まったく、おばあ様ひとりに大げさなこと」


 嘲笑する。これでいい、これでこそあのひとの娘。

 現状、自分の帰国は知られていないはずだ。イーリス家が街へはりめぐらせた情報網から遠からず知れるだろうが、普段使わない宿へ荷物だけ放り込んできた今ならまだ不意を突けるだろう。


(どんな顔で居座ってるのかしらね)


 義兄のジダールとはあまり顔を合わせることがなかった。稀代の天才であるイステラーハが後継にと見出したエレベアのことを良く思ってはいなかったのだろう。訓練場にもほとんど現れなかった。それゆえエレベアも彼個人について知ることは多くない。

 ただ、一度――


 『息子アレは生真面目すぎてね』


――そう養母がもらしたのを聞いたくらいだ。


(陰気な顔してたわね、そういえば)


 年の節目に会っているわりにボヤけた顔を思い起こそうとがんばっていると、目前の曲がり角から人影が飛び出してきた。


「きゃ……」

「わっと、あら」


 かすめるようにぶつかって、こちらを見おろすグリーンの瞳。うるんだその下辺を不揃ふぞろいなまつ毛がしばたたくと光の粒がちる。華やかな柄の布がまかれた腰から上とむき出しの肩。そこにかかる燃えるようなポニーテールがくすんだ路地に浮き立つほどまぶしい。

 低めの鼻の下の、ぷくっとして小さな唇がと空気を吸い込んだ。


「はじめましてっ! わたしシャラ・アル・ミーラードと言います!」

「ごきげんよう、礼儀正しいお嬢さん?」


 きぃんと響いた耳をおさえながらもエレベアはよどみなく応じる。


「おじょっ……あの、どうかどうか杖を貸していただけませんかっ?」

「お礼にキスしてくれるなら」

「は……わたっ、たっ」


 ウィンクして返事よりはやく投げわたすと細い褐色かっしょくの腕がそれをジャグリング。する間に曲がり角の向こうからは荒々しい足音がひとつふたつ。

 現れたのは魔杖士まじょうし然とした――詠唱を隠すための口布くちぬのでそれと知れる――男ふたり。

 彼らは足を止めると足から腰ほどの長さのある中魔杖リム・バウを構えた。まっすぐこちらを向く手のひら。


「っく!」


 キッと振り向きざま、シャラと名乗った女は杖を相手の目前へとゆるく放り上げる。二本の短魔杖クラブ・バウのうち一本。トスと呼ばれる短魔杖術の基本動作。


(正面から、中魔杖ふたり相手に?)


 杖と五体によって形象かたどる文字、いわゆる『力の紋様もんよう』は大きく描くほどに神秘の威力を増す。指と短杖を変化させた炎より、腕と中杖によるそれのほうが質量的に大きくなるのは当たり前だ。

 短魔杖クラブのトスは双杖そうじょうの一方を敵の目前へと放ることで、変幻自在の半身はんみ入り身を行うことに真髄しんずいがある。


「やあぁッ」


 頭部のいっさい揺れない歩みで、投げた杖の落下点へと踏みこむシャラ。先端へ伸ばしたもう一方の杖がゆらゆらと幻惑的に揺れる。


(へえ)


 悪くない、と思う。

 相手の反応が遅ければ宙で杖をクロスしてΧ。迎撃の気配があれば杖の落下もろともに身体を沈めて地面で紋様を結べばいい。もし敵が血迷って杖を払ったならその隙に当て身しようが投げをうとうが自在。

 一対一なら。


『『――よ』』


 魔杖士ふたりが正面へのばした両腕に杖をわたした構えをとった。重ねられた掌は二者二様にシャラの上下へ狙いをさだめている。

 四本の腕が荒れ狂う旋風へと変じた、その直前。


(……はぁ?)


 ぽかんと口を開けるエレベア。

 シャラは小転トワルをやったのだ。手に持ったほうの杖を回転させながら腕から肩へ。それは相手のタイミングを外すためのフェイントであり、間違っても今まさに先手せんてを奪われそうな状況でやる事ではない。攻防どちらにも理のないその動きはしいて言えば舞踏ぶとう的だった。


「ふわぁっ、きゃヴっ!?」


 可愛らしく足元を風にすくわれたシャラはエグめのダメージボイスとともに後頭部から落下。そのままひゅ~と魂の抜けるような吐息を最後にグッタリする。


「なんなの」


 肩をすくめたエレベアは音もなく進出した。ぎょっとした一人が風に変じた両腕を回帰もどすより早く、その腕の内ほどに侵入し見詰める。


「ばあ」

「っ」


 その場で相手の胸板へ背を押し付け。相手が引こうとした足を両腕で抱え上げるとちょうどさっきのシャラの再現のように男はすっころんだ。投げだされた手を踏みにじって足の甲で中魔杖をひろいあげるともう一人に目を移す。


「わ、我らを樹生新杖流ユーピトン・バウ師範、ジダール・マジュフド・イーリス様の家士かしと知って邪魔するか!?」

「あら偶然、お勤めご苦労さま。でも取り立ての権利はこっちにもあるのよ。唇ひとつぶん」


 男の両腕はすでにの紋様に構えられている。わずかでも動きを見せれば魔法が発動するだろう。


『――Χ

よ!』


 エレベアがだらりと下ろした左腕へ杖を交差して踏み出した瞬間、見えない巨人の拳のごとき突風が胸の中心を襲った。


「くふぅっ」


 吹き飛びのけぞる上半身。暴風をはらみバタバタと波打つローブの中で、頭が地面につくほどそっくり返ったエレベアは詠唱を追加した。


『――燃え盛るもの』


 脳裏に描いたイメージは痛みの中でも小ゆるぎすらしていない。

 すでに杖は全身で橋形ブリッジをえがくように反らし、浮かせた片足の上。

 トワルによって左腕から左足へ。転がされた杖はそこでようやく魔法を顕わす。エレベアの脚線きゃくせんが炎の壁となってそそり立った。


 ――樹生新杖流、月影。目下に流れる弓張型を水面の月にたとえて云う。


 あぶられたローブがさらに膨張ぼうちょうしやがて炎に飲み込まれ空へと千々ちぢに昇っていく。


「ひっ、う、わああ――ッ!」


 炎壁のむこうで男が背胸を伸びあがらせて卒倒する。その身体には本来魔法から戻っているはずの両腕がなかった。


「そこそこ高くまで蹴り上げたからしばらくそのままよ。雲でもなでてなさいな」


 霧散した風の腕はその本来の形を思い出すために数十分を要するだろう。そうでなくとも四肢が拡散かくさんされ空とも宙ともつかぬところをただよっている感覚は強いおぞましさとして精神をさいなむ。


「熱っつ」


 焼け残ったローブだけを綺麗に燃え散らせてエレベアが法衣レオタードをあらわにすると、比較的無事なほうの魔杖士があとずさった。


「エ、レベア・イーリス……様」

「へえ、呼び捨てにしない程度には賢いのね、意外」

「い、いつこちらに、ひ……ッ」

「戻ってお義兄さまに伝えて? 悪事のむくいを受ける時がきたって」


 杖をつきつけ命じると男は脱兎だっとのごとく路地へと飛び込んだ。

 エレベアは我関われかんせずとのびているシャラへと近寄ると、その身体をまさぐる。


「んふぇあん」

「うっわサイアク」


 自分よりいくらか大きく柔らかい中肉中背をひっくり転がすと、そのお尻の下からまっぷたつに折れたエレベアの杖があらわれた。


「おばあ様の杖……」


 初仕事の祝いにと貰ったものだった。エレベアは一瞬眉根まゆねをよせたあと、ぱしんと自分の頬を手で挟む。目の端を強くぬぐって、シャラの巻き布をひっつかんだ。


「うぐゅぅ」

「黙りなさい、このこの」


 めくった胸元の裏地に瑠璃灰筆ラピス・カラムで書きつける。


  ー差し押さえ:エレベア・イーリスー


 無事だったクラブ一本を回収し立ち去ろうとして、一応の良心から塀ぎわに彼女の体を寄せておく。今ごろハチの巣をつついた騒ぎになっているだろう本拠地へまさか担いでいくわけにもいかない。


「片付いたらキッチリ払ってもらうから」


 言い捨てて、エレベアはくだんの路地へと乗り込んだ。


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