メズィス魔法国御前試合~雪華の竜にさよならのキスを~

みやこ留芽

序幕

 ――単純シンプルな仕事だと思っていた。

 数秒前までの自分に毒づいて、女はかぶっていた砂けのフードを脱いだ。

 左手には見渡すかぎりの砂漠。右手には砂丘。気まぐれな嵐が盛り上げた山脈の、そのふもと

 仰ぎ見た砂の傾斜上に一つ、夕日を背にして小柄なローブ姿がこちらを見おろしている。

 

「残念ね、そのつえ持ち出し禁止なの」


 ――偉大な仕事だと思っている。

 たとえ歴史の陰から闇へと消える英雄たんだとしても。

 長らくの氏族に独占されてきた砂の黄金路おうごんろ。それを開くすべを仲間の犠牲と引き換えに持ち帰る、はずだった。


 女は荷物を降ろすと担いでいた細長い包みを解く。

 見かけは変哲もない木でできたそれを、人影――どうやら少女らしい――へ向けてのばした右腕に交差させる。


「やる気? ふぅん、盗賊風情づれでも使い方はってるんだ」


 さふ、と少女の足がなだらかな坂を下りはじめた。まるで体重がないようにその足元は沈まない。


『――Χよ』


 小さく口の中で唱える。ふっと右肩から先が熱くなる心地がした。

 追っ手の言う通り使い方は分かっている。これを手に入れたとき現地の協力者から聞き出した。もっとも街の落伍らくご者にすぎなかったその男は、女の仲間がやむなく杖と情報を託しただけの存在で直後には死体になる運命だったが。


『――燃え盛るものよ、灰に帰すものよ、正邪をただたすくものよ』


 言葉を重ねェんだよ、とあの男は言った。

 杖と四肢で文字を形象かたどり、呪文とともにイメージを膨らませる。詠唱を長く続けるほどに魔法は強力になると。

 女はすでに道中で数度、砂の海を渡るためにその力を試している。

 ぼう、と肩から先が陽炎かげろうへと変じた。


「…………ぷっ」


 彼我ひがの距離にしておよそ十二歩。立ち止まった少女が噴き出したのはその時。


「アッハハ! そんなご大層な魔法で何と戦おうってわけ? ウッケるんだけど!」


 挑発と断じて無視。

 集中を切らせば即時に魔法が霧散することは確認済みで、相手の言動もそれを狙ってのものに違いなかった。


(ここまで呪文は四せつ、腕は十歩先まで伸ばせる)


 更にもう一節。それで相手は射程の内だ。同時に仕掛けられたとしても先制できる。威力でも射程でも先に唱えたこちらが有利のはず。


『――天を覆い……ッ!?』


 口を開いた刹那せつな、少女がぺたんとしゃがみ込んだように見えた。ふわりと後をひくローブのすそ


『――И


 女が即座に魔法を解放キャストしたのはさすがの荒事あらごと慣れと言うほかない。中断した呪文はそれでも四節半ぶんの威力を発揮し、一直線に進む轟炎へと女の腕と杖を変化させる。

 直前、少女の細い足が後ろ蹴りに何かを跳ね上げ。


(……杖!)


 まさか武器を手放すわけが、と一瞬目で追ったのが悪かった。

 短く両端がふくらんだそれが大きな放物線で飛んでくるうちに、少女は砂丘の斜面へ垂直に立ち駆けていた。ありえない、人外のスピードだ。

 真横へ振った照準が間に合わない。炎の腕はムチのようにしなり先端が到達するまでに遅れがある。


『――かろき足』


 薙いだ炎剣を少女はさらに低く坂を転がるようにかわす。

 四つ足に手をつくとさらに前転、気付けばその丸まった背中は女の足元にあった。

 どふ、と忘れたころに落下した短杖をさらに手にしたもう一本で押さえ。


(二杖流――!)

『――Χ


 十字に組まれた杖が燃え上がる。大きくも長くもないその熱柱はしかし女の気道をくのに十分だった。


「こう使うのよ、ザーコ」


 息のできない苦悶にき込みながら思い出す。あの男の言葉。


『――短い杖を二本持った魔杖士に気をつけろ。ソイツらは国でも頭ひとつ抜けてヤバい、王の敵に容赦のねェ人殺し連中だ』


 炎より回帰かいきした杖でもう一本をひっかけて立つ少女。ローブを脱ぎ去ったその姿は異様だった。


「は……は、ゲホッ!」


 思わず笑ってしまう。なんだそれは、痴女か。

 灰白色の肌がむき出しの腕と太腿ふとももからだにぴたりと張りつく薄衣うすぎぬはほとんど体形を隠す用をなしていない。夜闇に血色の花が口を開けたような毒々しい意匠はその花弁と同色の少女の瞳とあいまって妖魔的ですらあった。

 輪状にまとわりつくだけのフリルスカート。そこにかかった銀の小瓶を一口あおって「ひくっ」としゃくりあげた少女は。


「……どうせ死ぬわ、情けをかけてあげましょうか」


 一転して静かな眼差しで提案する。


 ――あぁなんだ、処女はじめてか。


 女は別の理由で笑みを深くした。それは陰働かげばたらきをする者としてのある種の共感と、新雪に泥をぶちまけられるなぐさめを得た思いから。


「ゴホッ、……っい、きがるなよ、半、端者。許して欲しいのかぃ」

「っ」


 燃え切った灰のような肌に火が灯る。

 ――いい反応をするじゃないか、生娘きむすめ

 かつて自分もこんな時分があったかと思う。

 もはや仕事のことは考えの外だった。そもそもがこの術を母国に持ち帰ったとして、黄金路を手に入れれば他の国が黙っていないだろう。女も戦争政争で身をすり減らすのはもうそろそろ勘弁願いたい年頃だった。


『――Χよ、燃え盛るものよ』


 ただ、心残りがあるとすれば。


(教えてやりたかったけどね、あんたたちは英雄の子だよ、ってさ)


 紅蓮の炎が女の全身を焼く。

 よいの冷えはじめた風が遺灰を紺青こんじょうの空へ巻き上げていく。

 強く蹴り上げられた砂がそれに混じった。

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