2021/01/20 染みてしまった旗

 草木も眠るとは丑三つ時だが、それよりも二時間も暮れた闇の中にひっそりと息を殺す集団がいた。凍えるような空気の中にあって、彼らはただの一言も発さず、一心に時が刻まれるのを待っていた。その身体が震えているのは、寒さで悴んでいるからだけではない。


 明かりのない道場だった。真冬の床は分厚い氷と変わらないほどによく冷えており、そこにびっしりと格子状に並んで正座する彼ら一人一人は間違いなく寒さに脅かされているのだが、その目はぎらついた獣のようであった。


 そのいずれもが銃器で武装していた。


 ピシャっと開いた戸から男が数名の人間を従えて入ってくる。


 男は名前を犬見川一色いぬみかわいっしきといった。彫りの深い顔をしており、前に並び立つ男らよりもやや身長が低いが体格はどっしりとしている。


 犬見川が前に立つより先に、正座していた彼らは立ち上がる。犬見川が連れ立って入ってきた男らは傍に立った。うち一人が持つ大きな旗は――外の街灯から道場の中に漏れ入ってくる光に照らされて、国旗であることが分かった。


「傾注!」犬見川の傍に立つ男が言葉を放つ。彼は犬見川の腹心であった。


「…………よく、集まってくれた」少し間をおいて犬見川が話し始める。


「聞いてくれ。この国は、俺たちのご先祖様が守ってくれた誇りある土地だ。そこを我が物顔で歩いている奴らがいる…………」


 犬見川の演説は二分ほど続き、


「——あいつらは一体なんなんだ!」


 彼が怒号のような声を道場内に響かせたことで、それに呼応した男らが

「そうだそうだ!」「ここは俺たちの国だ」と騒ぎ出す。


 犬見川が右手でそれを制し、傍に立つ男が持つ国旗を手に取った。


「この国の旗は、真っ新な色をしている!」


 何の模様も描かれていない無地の国旗。前に立つ男らの視界に収まるように、布地の角を持って旗を高く掲げる。


「だが、それを汚さんとする者がいる。俺はその染み抜きをしなくてはならない」


 道場で待っていた彼らの目はしっかり暗順応しており、掲げられた旗をまっすぐ見上げる。


「……協力してくれるか?」


 犬見川の問いに、彼らは敬礼で返した。その一人一人の顔を犬見川は目に焼き付けるように見た。国旗を男に返し、犬見川は敬礼を返した。


「総員、再度の装備点検後、ただちに出発する」


 腹心の男が告げると、男らは揃った動きで道場を出ていった。

 犬見川が道場の外に出ると、先に出た彼らを乗せた車輛が敷地内から出ていくのが見えた。彼らを見送った犬見川が天を見上げると、雪が降り始めていることに気が付いた。

 寒さで赤くなった鼻を動かし、舞い降りてくる雪を嗅ぐ。

 クーデターの臭いがした。


 太陽も昇らぬ街を進撃する犬見川とその一派は瞬く間に主要拠点を押さえていった。クーデターは成ったのである。


 犬見川は、汚れかけた旗の染み抜きをする、と言った。「抜く」という動詞は、ほかの動詞の連用形に付いて、それを最後までするという意味を持たせる。それを知った上で、犬見川はあえて染み抜きをすると言ったのである。

 御旗を確かに、犬見川一色の時代が訪れることになった。





お題:【染み抜き】をテーマにした小説を1時間で完成させる。

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