2020/12/20作 月は男、太陽は女

「月は男、スカートは男、山は男。

 太陽は女、ネクタイは女、機械は女。

 これなんだ?」

 灯りのない早朝の部屋で全裸の大女がなぞなぞを出してきた。

 尋ねられたのは布団の上で膝を抱えて顔を伏せる少女、これもまた全裸であった。

「……ちょっと何か答えてよ」

「…………知るかよ」

 そう答えた少女こそが、私である。


 遡ること九時間前。私は大学のサークルの飲みで酷く酔っ払っていた。その時はまず間違いなく神に誓って男の恰好をしていた。

 よしんば、隣で同様に酔っ払っている彼女よりも背が引くかろうがなんだろうが、私は男に違いなかった。


 だが、この大女の家で、彼女に起こされた時私の身体は既にこんな様であった。

 柔らかい白い肌。

 華奢な体躯。

 透き通るような黒髪。

 細やかに膨らんだ乳房。

 そのどれにも見覚えもなかったが、これを一人称の視点で見ているということは…………。

「どういうことなんだ、これは」思わず唸ってしまう。

「ねえ、本当に山縣君?」

「私の記憶が改ざんされていなければ、そうに違いない。ちなみにそれを示す証拠もない」

 いやはや、まったく、どうして、なんとも困った物である。

 立ち上がって自らの身体を観察しても、それはどう見ても女の物だ。これは雑誌や映像で得た知識でしかないが。男女を区別する差異など、そう多くはない。

「ほほう、これはなかなか」大女が私の身体を四方から舐め回すように見る。

 寝ていたのが彼女の部屋で本当に良かった。例えばこれが私の部屋であれば、誰よこの女と騒ぎ立てられ、また男友達の部屋ならば身の毛もよだつ体験をしたに違いない。

 だがこうして別の形で身の毛のよだつ体験が成立したことも確かだ。

「背中の方はどう?」

「ひとまずファスナーも縫合痕もないよ」

 大女は、この括れはなかなか、などと言いながら答えた。

「ひとまず服着ない?」

 そうして彼女が出してきた女物の服に初めて袖を通した訳だが……。

 上下紺のセーラー服である。

「どうしてこんな物、持ってるんだ」

「中学の制服。ちょっと体格差があって、サイズが合うのがない」

「まさか、面白がってやったりはしてないだろうな?」

 肩を竦めて見せるが、もっとましな選択肢を持っていたに違いないと半ば確信していた。

 大女はカワイイー、などとスマートフォンのカメラを向けてガシャガシャ撮影会をしている。


 ひとまず状況を整理しよう。

 昨晩彼女の家に着いた私たちは、そのまま二次会を始めた。酒やらつまみやらを堪能し、布団を敷いてそのまま寝たのか。なんとも我ながら情けない。 

 ここまでは異常はなさそうだ。そもそも、性別が変わってしまうような某かなどまるで検討もつかない。

 部屋に散らばっている空き缶やら、スナック菓子の殻を見ていて気付いたことがある。見たことのメーカーのビール缶があったのだ。

 そして少し記憶が戻ってきた。昨晩の帰り道、今日日きょうび見かけないレトロなタイプの自販機を見つけて、この缶はそこに収まっていたものだ。

 おそらくこれだ、と私は思った。

 しかし、その缶に記載されているメーカーはそもそもホームページすら持っておらず、マニアが書いたウィキを覗いて遙か以前に倒産していることが分かった。消費者庁に連絡してやろうとも思ったが、この状況をどう伝えてやるべきか。ちなみに同様の症状を訴えている者はインターネットの書き込みには存在しなかった。


 何はともあれ、これからどうするかを検討する必要もある。勿論元に戻る方法を模索することもそうだが、まずは生活の心配だ。

 下宿に戻ろうにもこの姿では叶うはずもなく、幸い彼女がしばらくいてもいいと言ってくれているので厄介になろう。持つべき者は家の太い友達だ。

 身分の証明すら覚束ないことから、彼女の妹として暮らすことになった。彼女が大学に行っている間は家事をした。炊事洗濯に事欠かなかった。この点については、親の躾に感謝せざるを得ない。

 親と言えば、私という男の存在は行方不明ということになり、警察に届けらていた。自らの不明者情報を見ることになったのは歯がゆい限りだ。

 時折やってくる大女の女友達に自慢されたり、抱き枕にされることはあったが、しばらくの辛抱と思うことにした。


「この子だれ? 明梨あかりの妹?」

「そうだよ。光梨ひかりって言うの」

「え、何歳? お姉ちゃんの背中に隠れちゃって可愛い……」


 何か通常と異なる点がないか、病院に行ってそれとなく検査したが、保険証すらない今の私は法外な支払いをすることになった。男の時の口座は、警察や家族に押さえられている可能性があり無用な迷惑は掛けたくなかったから、レストランなどでアルバイトを始めた。

 その都度、「カワイイー」などと言いながらアルバイト先に現れる大女がウェイトレス姿の私を写真に収めていた。


 彼女の家に半ば同棲することになってから一年近くが経過したある日。

 私はいつものようにインターネットであのビール缶を探していた。

「不思議な体験できます……」

 ネットオークションで競りに出されていた商品の説明文を口にした。

 掲げられている一枚の写真は、忘れることのない、今も私の手元で弄ばれている空き缶と瓜二つだ。

 金額を見ると、既に一〇万ほどに膨れ上がっている。どこの世界にこんなビール缶一つに大枚叩く馬鹿者がいるのだろうか、と思ったが他人事ではいられない。

 アルバイトで溜めた資金ほとんどを注ぎ込んで競り落とした。

 これで中身が空の空き缶が届いたらどうしよう、とボタンを押下した後に思いついてしまったが、後の祭りだろう。

 もう、なんとでもなっちまえッ!


 数日後、アルバイトから帰ってきた私は大女の部屋のドアを開けた。

「おおー、おかえりー」

 私を迎えたのは、仁王立ちして姿見の前に立つ全裸の男であった。

 絶句して言葉も出ない私に男は近付いてくる。

 久し振りに見た男の証に、猛烈に込み上げてくる感情が理解できず私は慌てた。

「ま、間違えました! 失礼しま――」

 急いでドアを閉めようとすると、男の手がドアを押さえる。

「間違ってないよ。これ!」

 男が白い歯を向けてはにかみながら、見せつけてくるのは見覚えのある缶だ。

 私はその場に崩れ落ちた。

「ま、まさか……」

「そう、そのまさか! 私はこの瞬間を待っていたんだ!」

 高笑いする男を前に、呆然しながらも私の頭はひとまず子宮頸がんのワクチンを受けにいこうか検討に入り始めた。



文字数:2570(本文のみ)

時間:64分(+4遅刻)

お題:【TS】をテーマにした小説を1時間で完成させる。

感想:12/16作業分でもTSしていた。

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