十三年目 幸いあれ

 草木も凍る夜半の影に、人外化生が蠢き進む。根深き大地が歓喜に震え、曖昧なものが大気を震わせる。豊穣の主はより多くの実を結び、天つ御遣いは祝福の冠を届ける。世界は彼女を祝福している。


 幸あれと。


「明けましておめでとう御座います」


「はい、おめでとう御座います」


「今年も宜しくお願い申し上げます、と」


「宜しくお願いします――やれやれ、この年も、ああ、もう昨年じゃったか……、どうにか乗り切ったのう」


「全くです。なにか特別大変だったという事もありませんが、どうにも年を越えると一つ、山を登った気になりますね」


 やれやれと半纏を来た二人は居住まいを正して向かい合い、互いの一年を労う。傍らには新年を迎えるため、重箱に詰められた豪勢な料理の数々。それに餅と根菜を入れた雑煮が並べられている。


「ほれ、屠蘇とそじゃ。ぐっといくがよい」


 化生は何処からか徳利を取り出すと、燗にした酒を人の子のもつ猪口へと注いだ。


「はい、ありがとう御座います……、貴方はもう飲んじゃ駄目ですよ」


 ぬぅ、と唸りながら化生が身を竦める。その仕草は愛嬌があって、熱された徳利をつまみ上げる仕草とは妙に不釣合いで、奇妙な可笑しさがあった。


「……ちびっとも、かの?」


「……ちびっとも、です」


 うう、殺生な、言いながら、よよよと袖口で顔を隠す彼女の顔が、どこまで本気なのか、人の子には判別しかねた。男は少々酷な事をしているように感じたが、それでも心を鬼にして彼女の動きを封じた。


「ようやっと安定して来た頃でしょうに、障りがあったらどうするんですか」


「なんとも……、産まれる前から世話を焼かせてくれるのう、こやつは」


 やれやれ、と溜息をつきながら化生はそれを撫でる。彼女の腹はぷっくりとふくれており、それは少女の外見にそぐわない、母御としての膨らみであった。


 化生はその身に子を宿していた。如何な下法を用いたのかと問われれば、彼らは等しく愛成あいなりと叫ぶだろう。


 彼女の腹の中には子が宿っている。本来生まれる筈のない命を支える為に、神樹の化生から削り出した形を与え、香香しの化生が実りの権能を用い、定まらぬ化生が不定の命を補強し、鴉が彼女にそれを告げた。どうも十日程で産まれて来るのだと化生は言う、そうなると分かっているのだと。


 童女のような姿の化生も、今や少々大人びて見える。それは永き時を生きた故ではなく、人の子らのように母となることを予感させるからであろうか。常の装いではあるが幾分ゆったりと腹回りを休ませ、椅子の背に上体を預ける用にしてなるべく前に負担を掛けないようにと気を使っているのが見て取れる。時があれば臍下辺りを撫でているのは、男の気のせいではないだろう。


「ぬ、こやつ蹴りおった」


「本当ですか、もう動いているんですね」


「そのようじゃの。人の子に近いとは言え、矢張り儂の子じゃの。うむ、大分早回しで育っておるのう」


 化生は眼を細めて感慨深そうにしみじみと腹を撫でる。人の子は化生を後ろから支えるようにして抱きしめ、彼女の手に沿うように優しく腹を撫でる。


「きっと良い子が産まれてきますよ」


「そうじゃの、そうあって欲しいのう……、さて酒は飲めんが食べる分には問題なかろ。冷める前にお上がんなさいな、今年の雑煮も良うできておる」


 促す少女に従い、男は年明けの料理に手を伸ばす。先ずは雑煮だ。白味噌を用いた汁に牛蒡ごぼう、人参、茹で上げたほうれん草と穴子の切れ端、それに丸餅が二つ入り、鮮やかな色の紅白蒲鉾に、飾りの三つ葉と、柚子の皮を少し。


 どれ、と口をつけると、豊かな香りが口の中に広がり、さらなる食欲を刺激する。根菜も歯ごたえがあり、柔らかく伸びる餅と好対象だ。


「こいつも入れるかの」


 化生は重箱に詰めてあった伊達巻を取り出して器に沈める。一方人の子はと言うと、此方は焼きぶりの切れ端を放り込んでいる。適宜具材を追加して頂くのが二人の雑煮作法だった。


「この子にも、今儂が食べておるこの味を伝える時が来るのじゃろうの……。その時は特別甘ぁい出汁巻きの一つも作ってやろうかのう……」


「きっとお腹の中で、この雑煮の味も受け取っているのではないでしょうか」


「産まれる前から母の味じゃの」


 自然、何をするにしても二人の話題は子供の話へと繋がる。待望の子なのだ、人の子にとっては何十年来の、化生に取っては、気の遠くなるほどの永き時間の末に手に入れた、愛し子。畢竟ひっきょう夫婦というのは自然、このような形になるのであろう。


「ああ、待ち遠しいなあ……早く出てきておくれ。父と母にお前の元気な顔を見せておくれ、ああ、ああ」


 愛おしそうに、化生は腹の中の子に話掛けた。


*****


 羊水の中から、新しき人の子が、化生の子が生を受ける。

 生まれた子供はその場に立ち上がる。


「私はずっと、父と母とを見ていました」


 産まれたままの一糸纏わぬ姿で、羊水に濡れた身のままで、人の子と化生の血を継いだ子はそう言う。


「ああ、母よ、父よ、私を産んでくれて、形を与えてくれて、本当に嬉しい」


 彼らを見ていた、見るだけだった、それでも形を持った。二人から産まれた子は、父母にぺこりと礼をした。

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