【慌てない 慌てない】をテーマにした小説

「何事も落ち着きが肝心だ。慌てない慌てない、焦ったところでいいものは作れない。これは一生の恥を晒すのか、それとも一瞬の恥で済ますのか、という選択なのだよ。ならば、私は恥は一瞬の方がいいね。君もそうは思わないかい? 鷲田くん」

「出ない傑作より出る新刊ですよ本藤先輩」


文芸部室には穏やかで、されども焦燥感に満ちた空気が漂っていた。

定期的に部誌を発行している部活であるが、文化祭のときには特別版を製作して頒布するのが本校の文芸部における恒例行事になっている。

話題の名作からマイナーな良作まで、各部員の持ち寄った書評。過去掲載作品の加筆修正版。そして今本藤先輩が書いている、いつもよりちょっと多くページを取った新作小説。


「そう、これは開校当時から存在する由緒正しき文芸部誌だ、中途半端なものを載せるわけにはいかない」

「口を動かす前に手を動かしてください。なんなら内容を口で言ってくれればそれを書き起こしてもいいですから」

「演劇部でもあるまいに、口頭でロールプレイなどせんよ私は」

「じゃあはよ書け」


なんだかんだと言い訳しながらなかなか書き始めない本藤先輩。

いい加減にしろと語気を強めて敬語を無くした鷲田後輩。


時期はすっかり秋になり、寒さの訪れも間もなくかといった空気の中、夕焼けの赤い日差しが部屋を紅葉の落ち葉で埋め尽くす。

普段なら聞こえてくるサッカー部の蹴ったボールが跳ねる音や剣道場から響く雄叫びは今ばかりは潜まって、文化祭に向けた準備が進められている。紙と段ボールと発泡スチロール、それから薄い木の板が拙い絵でプロッキーのピンクのに染められていく。


なんてことのない黄昏も若き青春の1ページとなれば特別で、初心な1年生の浮かれ調子はそろそろ角も取れてきて、3年生にもなれば制服との別れに後悔を残さないように必死になる。取りこぼしはないように。それはきっと、一生引き摺るものだから。

息苦しい校則も、脱法手段が見つかれば骨なしになる。自由な校風は無責任の裏返し、面倒を見る教師のありがたさを知るのは何年後となるのであろうか。人生の輝かしさがここで終わってはしまわないか。それは無意識か、或いは的外れな郷愁か。


時を告げる鐘が鳴る。

準備に代わって片付けを促す鐘が鳴る。

小学生たちがサヨナラバイバイ、手を振り旗振り明日の再会に胸躍らせる。

恋人たちはキスをして、街のカボチャはボールに替わる。とはいえ、あわてんぼうの白髭もまだ寝ている頃だけど。


「締め切りまであと1時間です。明日以降は製本に移らないと間に合いませんので」

「ふふふ、プロットないわ」

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