【犬】をテーマにした小説

「ふむ…………流石は教師の犬だね」


 私の通知表を見た先輩の第一声がこれだった。

 期末試験の点数を見せた時は小馬鹿にしたように笑っておいて、いずれの成績も4か5である優秀な成績を見せたらこれである。


「いきなり人聞きの悪いこと言わないでください」

「ああ、間違えた。教師のだ」


 教師のではなく、とはどういうことだろう。

 ○○の犬という慣用表現は、その○○に飼われているかのようだ、○○の言うことならなんでも従うという意味の侮蔑語であるが、人間であればこれは○○を手玉に取っているという意味にでもなるのだろうか。ではない辺りが疑問であるが。


「どういう意味です? それ」

「君、ペットを飼ったことあるかい? それも犬や猫」

「いえ……メダカくらいしか」

「そうか。私は犬を飼っているんだけれども、これがまたどうして賢い生き物なんだよ。親馬鹿ならぬ飼い主馬鹿というわけではなくてね? 一般化可能なこととして、だ。

 犬の社会は上下関係のキッチリとした群れ社会であることは想像に難くないと思うが、飼い主と飼い犬の関係もまたこれに当てはまる。ついで言えば、飼い主以外の周囲の人間についてもそうだ。そして、一回下や同格と見做されれば、犬は人間相手でもそのように扱う。実質的な主従は理想たる関係から簡単に離れてしまう。つまるところ、犬が人間に従順なのではなく、人間が犬に従順な存在になってしまうことは多々あるのだ。例えばそう、少し物欲しげな顔で見上げられたらおやつをあげてしまうだとか、散歩中におやつをくれなきゃ動かないと主張されてついついあげてしまうだとか、それを毎回同じ場所で行うことで習慣化されてしまうだとか。リードをある人が持っている時は好き勝手に引っ張って歩き、道行く自転車には吠えてかかるような犬が、別のある人にリードを握られた途端に大人しく歩いているだとか。そのような事態は実に多く、実際飼い主仲間の間でも見られる光景なんだ。要するに、人間が犬の言うことに従ってしまっている状態。

 教師のとは、つまりそういうことだよ」

「端的に言ってストレートな罵倒であることは理解しました」


 どうやら私は飼い犬――この比喩では教師に、おやつをあげているらしい。恐らくは、私の試験の結果が平均点と同等かそれ以下でしかないのにも関わらず通知表上は優秀であることを皮肉って……ああ、要するに賄賂を渡したという意味になるのか、これは。


「いや人のことなんだと思ってるんです? 私はテストでは点をあまり取れなくても、提出物は欠かさず出してるし欠席もゼロ、授業中の質問には積極的に答えて理解の及ばないことは聞きに行って、そうやって地道に総合的な点数を稼いでいるんです。そういう先輩の成績はどうなんですか」


 確かこの先輩はテストではほとんどが100点か90点台という極めて優秀な成績を収めていたはずだ。こうも言うからには通知表でもさぞ立派なことだろうと思い、机の上に置いてあった彼女の通知表を取って開いた。


「……うわぁ」

「まったく、これだから日本の教育レベルは地に落ちるのだよ」

「いや真面目にやりなさいよこれは」


たまに4、ほとんどが3という結果がそこにあった。

よく見てみれば教師のコメント欄にはこのようなことが書いてある。


『テストではとても優秀なのですが、課題が出ていなかったり、授業中の居眠りや他所事が目立ちます。テストが良ければそれでいいというわけではありません』


「ダメでしょう、ちゃんと授業は受けないと」

「いい子ちゃんの優等生だなぁ、君は。いいかい、私の灰色の頭脳を有効に活用するにはつまらない、低知能な者たちに向けた授業など無意味なのだよ。他所事とは書いてあるが、兄の本棚からかっぱらって来た大学の教科書を読んで自学自習に励んでいるだけだ。それのどこが悪いというのだね」

「先輩のお兄さん芸大だしそこで開いてるのはスケッチブックじゃないですか、何堂々と全力で落書きしてるんです、大体お兄さんに無許可なのも怒られますよ」

「心配ない、兄は2冊目買った」

「既に手遅れだった」

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