デバッグ令嬢(仮題)

 私はいま、銃を握っている。黒々として、しっかりとした重みのあるそれは、モデルガンのような模造品ではない。そんな感じがする。


「ミレーヌ」


 名前を呼ばれ、私は顔を上げた。

 傍らにはスーツ姿の麗人がいた。ミレーヌの母親だ。彼女は、その鋭い目付きで私に指示する。


「貴女ももう、14歳。そろそろ、我が家の仕事を始めるべきでしょう」


 机の上には、一枚の写真がある。

 黒いコートに身を包んだ痩身の男が写っていた。


「お母様……?」

「大丈夫よ。危ないことはほとんどない。ジャックも同行させます。あなたは、ただその銃口を男に向け、引き金を引きさえすればいい。あとのことは、専門の方々がやってくださるわ」

「…………」

「できるわね?」


 私は、こくと頷くしかなかった。


 ●


 暇潰しがてら部屋の掃除をしていると、積み本の山の下から、一枚のクリアファイルを見つけた。埃を被ってこそいたが妙に小綺麗で気にかかった。少なくとも、学校で配布されたプリントをしまっておくためのものではない。


 ――誰かから貰ったものだろうか。


 中身を覗いてみると、ゲームの制作資料のようだった。

 タイトル未定、発売日未定、ゲームコンセプトとシナリオの最初の方、一部のキャラクター素材だけができている。

 ――ああ、あれか。

 キャラクターのイラストを見て、私は思い出した。

 これは、幼馴染のしいちゃんのお兄さんがシナリオライターを担当していた同人乙女ゲームの資料だ。特別に制作したプロトタイプ版を遊ばせてもらったことがある。

 近世風の世界を舞台に、魔法のある異世界から迷い込んできた主人公が右往左往しつつイケメンと恋愛する……いかんせん、けっこう前のことなので記憶が曖昧だが確かそんな感じのゲームだったはずだ。


「……これは、捨てないでおこう」


 私は【残しとくもの置き場】に決めた床の上にファイルを置いて、おもむろにスマホをいじり出した。ファイルの写真を撮影して、


『部屋掃除してたらゲームの資料見つけた。いる?』


 と、しいちゃんにlineする。


 ……もう、完成することはきっと、永遠にないゲームだ。あるいは、この資料を持つべきは私ではなくしいしゃんの方なのかもしれないと、そう思った。


 返事は思いのほか、すぐに帰ってきた。


『ううん。鏡花が持ってて』


『鏡花のが私より楽しみにしてたんだし……きっと、お兄ちゃんもそれを望んでる』


 しいちゃんのお兄さんが原因不明の昏睡状態に陥ってから、はや一年が経とうとしている。

 いや、彼だけではない。ゲーム開発スタッフ、および企画参加者の半数以上が、ある日突然、示し合わせたかのように倒れたのだ。それから、目を覚ました物はただの一人としていない。


「……面白そうなゲームなのに、残念」


 私は、正直人としてどうかとは思うが、スタッフが倒れたことよりもゲームが完成しないことの方を心配していた。

 ベッドの上に寝転がって、資料を読み返してみる。


「……ふぁ」


 そうするうち、なんだか眠くなってきた。


 私は、睡魔に誘われるがままに、目をつむる。


 ほったらかしにしたままの紙の資料が、寝返りをうった拍子にでも折れてしまわないかと不安ではあったが、意識はすでに、深いところまで沈み込んでいた。


 ●


 朝の日差しを受けて、目を覚ます。こころなしか部屋はいつもよりひどく明るく、見れば西洋風の格子窓から陽光が差し込んでいた。


「朝ぁ……?」


 眠たさが抜け切らなくて、まぶたを擦る。


「……?」


 おかしい。ベッドが大きすぎる。というか、この部屋はどこだ。

 改めて周囲を見回してみると、色々と違い過ぎていた。私の部屋じゃない。

 いや、もっと言えば、私は私じゃなかった。


「……誰?」


 窓ガラスに反射する少女の姿は、メガネをかけてもいなければ黒髪のボブカットでもない。

 陶磁器のような白い肌に宝石のような緑の瞳。くせっ毛の金髪はくりくりとしていて可愛らしい。視力は、1.0以上あるのだろう。眼鏡をかけてなくても視界がクリアだった。


「おはようございます、お嬢様」


 私が自分の姿を検めていると、扉がノックされ、部屋の中にメイドさんが入ってきた。背の高いメイドさんだ。彼女は柔らかな微笑みを見せると、こちらへと近付いてくる。


「なにを見ていたのですか」

「……あ、ええと、自分の顔を、少し」

「今日もお美しいですよ、お嬢様」

「……そう」


 なんだろう、どこかで見たことがあるんだよなあ。この顔。

 喉元まで出かかってるのに出てきてくれないこの感覚がもどかしい。

 こうなったら少し、このメイドさんに聞いてみるか。


「……ねえ、私の名前、言ってみてくれませんか?」

「名前、ですか?」

「…………」


 私が首肯すると、メイドさんは怪訝そうな顔をしつつも言った。


「ミレーヌさまです。……あの、いかがなさいましたか、突然…………」

「――。ううん。なんでもないわ。ありがとう、マリア」


 ああ、そうだ。今思い出した。この娘は、あの未完成のゲームで主人公のライバルとなる嫌味な令嬢――ミレーヌ・フォン・フェルローエントその人だ。

 つまり、ここはゲームの中の世界?

 いや、いくらなんでも非現実的すぎる。おおかた、資料を読みながら眠ったから、そういう夢を見たのだとか、そんなところだろう。


【未完】

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