第3話 逢魔

 香は不登校になったが、長い間 引き籠もった訳では無かった。ノートPCがあれば、どこでも、好きな所で詩を投稿することができる。

 言葉に誘われるように、詩が生まれそうな場所へ行っては、詩を綴る日々を満喫した。

 心は一度 砕けたが、充実した日々は、その破片の煌めきを 香の指先に届け、指先は以前よりも、澄んだ調べの鍵打音をPCの上に響かせてくれるようになった。

 香自身も納得のいける詩が 多く書けるようになる。それを証明するように、閲覧回数の数字は伸びていった。

 学校に通っていた頃より、勉強の捗りも良かった。集中できる環境で、知りたいと思うこと、興味のあることに存分に没頭できるのだ。–––これは義務教育に対するアンチテーゼが書けるかもしれないぞ。––––– 知識だけは増え、自信を取り戻してきた香は、主義を主張する時の責任のとり方を知らないまま、そんな事を思った。


 その日も、存分に足の赴くままに歩き回り、帰路に着いたのは 日が傾きはじめてからだ。橙色の坂道には、自分の影が長く伸びている。

 香は夕暮れを背負っており、くだり坂に伸びた影は、実際の香の身長より 何倍も大きかった。非常に叙情的な風景であり 何か言葉が降ってきそうな予感に、香は 秋の日の中に舞うススキの穂子ほしを目で追い、千切れたススキの穂のささやき声に耳を傾ける。

 

 ––––もうチョット、もうチョットで、クスクスと笑うススキの穂の言葉が聞こえそう。何をそんなに面白がっているんだろう?

 

 本来 言葉を持たない物や風景が、言葉を発する瞬間を捉えて、情景を詩に置換する。香の詩の創作手法だ。

 香は道端に座り込み、ノートPCを開けた。

 少し人目が気になるが、田舎道だ。だれも歩いていなかったし、香は知っていた。この時を逃すと、言葉は もう二度と訪れてくれない。

 目を開けると、そこには見慣れたキーボードの釦が、整然と並んでいる。

 普段であれば、あとは言葉が 釦の上に落ちて来るのを待つだけだ。

 今回であれば、ススキの穂の言葉が 釦の上に落ち、


「ここだよ。ここだよ」


 そうやって、香の指を導いてくれるのに任せれば良い。

 

 だが、今日、釦たちは何も語らなかった。

 ——そう言えば、手も振ってくれなかったな。

 PCを開けると、いつもなら釦達が「やぁ、また来たね」 そう言って、手を振って出迎えてくれるのを 香は感じていたが、今はそれが無かった。さっき使った時は、元気に飛び跳ねていたのにに……。まるで、他人のような手触りだ。


 ––––おかしい。

 そう思った瞬間、キーボードがグニャリ、と笑った。


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