第23話 蛍狩り 1

 朝に葵から特別な行事があることを聞かされた。今度の新月の日に蛍狩りが開かれるという。姫君が言い出したもので、上級女官を中心とした集まりになるらしい。しかも、参加するのは皆華やかな職場の女官たちばかりで、例え長官だったとしても、地味な司に所属する女官は呼ばれていないみたいだ。

葵が呼ばれたのは、縫司の長官だからという訳ではなく、かつて禁色を纏う立場に居たからだろう。

 とにかく、女嬬には分不相応な場である。


 だから、きっとわたしには関係ないと、葵が笑顔で話すのをぼんやりと見ていたのだが、葵は話の最後に、「だから、その行事の間わたしの側に侍っていて欲しいわ」と言ってきた。


仕女として葵に侍るのはやぶさかではないのだけれど、そのような貴い場にわたしのような者が姿を見せるのは分不相応な気がしたし、何よりアザミが苦手なので出たくなかった。葵にわたしよりも家柄も品も良い人がいるだろうからその人に頼んではくれないかと言おうとしたら、表情から考えを読まれたのか、葵はわたしに長々と、説得…ではなく説教をした。


「この蛍狩りの行事には女官の中でも有力な女性が参加するし、彼女らに何かしら良い印象を与えられればひばりの評判も良くなるのだから、仕女として侍るのは、ひばりの落ちた評判を改善するのに必要なことよ」という言葉は最もで、丸め込まれてしまった。


 布に針を通していると、ため息が溢れてくる。わたしに、貴女たちを満足させるような振る舞いができるだろうか。それも、悪印象が染み付いてしまった後の、どうしようもない状況下で。それに蛍狩りにはアザミが参加するのだから、どうせまたいじめられるに違いない。またみっともない振る舞いをして、もしも葵の評判が落ちてしまったらどうしよう。


 くよくよと悩んでいるせいで、作業が遅々として進まないことを同僚から叱られた。また評判が下がってしまった。頭の中の雑念を払って、いつものように黙々と仕事をしてちゃんと成果を上げると、今度は当てつけかしらと白い目で見られた。なぜ状況はこんなにも不条理なんだろうと胸の奥にモヤモヤとした何かを抱えたまま、今日も退勤した。


 部屋でいつものように歌集を読んでいると、葵もすぐに部屋に戻ってきた。

帰ってきて早々に「付いてきて」と言って部屋からわたしを連れ出した。葵は北の貞観殿の方へ行きたいみたいだ。


 渡り廊下を通って西へ渡ると、葵の部屋からは建物の影になって見えなかった北の庭が見えてくる。

錦鯉が池の中を泳いでいるのが遠目からわかるくらい池の水は綺麗で、池の中心にある中島から鯉を覗いてみたらどんなふうに見えるのかと気になった。

庭には卯花やらアオイやらと色々な草花が咲いていて楽しいので、それを眺めながら葵に付いて歩いていると、葵が庭のそばに貞観殿のある一部屋の前で立ち止まった。

それは貞観殿の角部屋で、襖を開け放てば北の庭を一望できる良い部屋である。


「ここで、蛍狩りをするのよ」


葵は、何かを懐かしむように、何かに憧れるように、儚く微笑んだ。そのまま、部屋周りに伸びている縁側を歩きながら、北の庭を眺めだした。

たぶん当日は障子や襖を開け放って、この部屋の周りの縁側からあの池のそばで舞うホタルを眺めるのだろう。


「私は毎年この季節にこの花が咲くのを見るのが好きなの。」


葵は縁側の側で、咲いているアオイの赤い花びらを眺めている。そして、「百合様は卯ノ花が好きなのよ」と言ってわたしの方を見て笑った。


姫君が葵みたいに卯ノ花を眺めている情景が脳裏に過ぎて、胸の奥がほんのりとむず痒くなる。

 わたしたちは少しの間、縁側から北の庭を眺めていた。


 帰り道、葵の後ろを歩きながら、わたしはあの庭で舞う蛍をぼんやりと眺める姫君の横顔を想像し、ああ、どんなに綺麗だろうと、胸の奥で這う熱を嘆息の中に吐き出した。

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