強欲 avarice_12

 どうにもシックリいかない。そんな乱雑なやり方は、枩葉龍之介の繊細な人物像に合わない。崇拝し愛する人の為にする行為に、汚いモノを混ぜるタイプではない。恨みは恨みで晴らす気がする。なぜ、一緒くたにした?

 そもそも、なぜ枩葉は三嶋の凌辱を甘んじて受けていたのか?

 脅迫されていたはずだ。その理由は何だ――?

 孫のふりをして園部峰子の邸を頻繁に訪れていたから?

 では、枩葉は何の為に孫のふりをしていた?

 財産をだまし取る為?

 では、二年も何もしなかったのはなぜだ?

 なぜ、正体もバレなかった?

 そうだ。なぜ孫のふりをしたのか、なぜバレなかったのか、三嶋一人を殺せば事足りたのに、なぜ連続猟奇殺人を計画したのか、それが最大の謎だ。

 なぜ、枩葉は様々な愚かな真似をした?

「分からない……」

 二階堂は途方に暮れて、派手なイルカのイラストが描かれた天井を見上げた。

 もはや犯人が誰かを捜査する段階は終わった。

 あとは犯人の居場所を突き止め、身柄を確保する事に集中せねばならない。

 逮捕できれば犯行の動機を本人に問い質す事も出来る。

 すべての奇妙な謎の答えは犯人だけが知っている。

「枩葉龍之介、どこにいる……」


   ***


 悪い奴は殺してもいいんだ。

 だって、先生がそう言ったから。

 先生が書いた本はぜんぶ買った。先生の記事が載った本もぜんぶ。

 ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶ、何度も読んで理解した。

 あいつを殺して、世界は変わった。綺麗になったのかな。どうだろう。分からない。

 ただ、もう二度と彼女に会えない事が辛かった。悲しかった。寂しかった。

 先生は穴を埋めてくれない。俺は埋めてるのに、狡い。

 殺し方を考えてくれたのは先生だ。

「一人しか殺さないのは愚の骨頂だよ。木は森の中に隠さなければならない。動機を隠す為には、無差別殺人が必要だ。だって、君、どうして彼を殺すのか知られたくないんだろう。だったら、最初からきちんと計画を立てて、疑いを持たれないよう、一徹してやり遂げなければならない。手を緩めれば失態を犯す。そこから堅牢な砦は崩され、君が本当に守りたいものは守れなくなる。隠しておきたい秘密も暴かれ、丸裸にされて晒される。そんな風に死ぬのは嫌だろう。死ぬなら、英雄として死ぬべきだ」

 黄金の林檎の作中で、主人公に先生が語った言葉だ。

 あれは、きっと時間を超えて、最初から俺に向けられていたのだと思う。

 先生は黙ってそのページを指し示した。

 俺は先生の奴隷です。

「あなたは俺に目を向けるべきだ」

 先生に救って欲しい。それがダメなら殺して欲しい。それもダメなら、言われた通りにします。無関係の誰かも殺せと言うなら殺します。

「そうすれば、また俺に会ってくれますか?」

 先生の邸の前で待ち伏せして、すれ違いざまに声を掛けた。もっと怯えて驚くかと思ったのに、先生は何もかも分かっていたとでも言うように少しも動揺せず、自信と余裕に満ちた綺麗な顔で笑った。

「君は無欲だね」

 返ってきたのは意外な言葉だった。

「楽しませてくれるなら、君の望みを聞いてもいい」

 うっ、と息が詰まった。殺さなければ、会ってくれない。誰かを殺さなければ、生贄を捧げなければ、先生は、もう俺と会ってくれない。

 会ってもらう為に、二人目を殺した。

 会ってもらう為に、三人目を殺した。

 会ってもらう為に、四人目を殺す。

 生贄を用意するのは簡単だった。みんな、向こうから声をかけてきて、一緒に外に出ようと誘ったら簡単についてきた。女と違って警戒心が薄い。アブサンを飲ませるのは儀式だ。これをしなければ先生になれない。だから、一緒に飲んでくれるという人を選んだ。

「カクテルを作れるんです。試飲してくれませんか」

「へえ、カクテルを作れるって事はバーテンダー? 普段どこで働いてるの?」

「吉祥寺のカフェです。名前は――」

 どうせ殺すのだから本当の事を話した。本名と職場を教えたら、みんな、驚いたような顔をした。それから急に優しくなった。

「ダメだよ、もっと警戒しなきゃ。慣れてないの?」

「よく分かりません」

 アブサンはチョコレートには合わない。だから、いつも先に薬を混ぜたチョコレートを食べさせた。トリュフは店の厨房で作り、販売する商品と同じようにプラスチックのパッケージで包んである。だから自然に差し出せた。

「チョコレート、食べてください。俺が作って、うちの店で売ってるやつです」

「ありがとう。ふうん、ちょっと苦味が強いんだ。美味いよ」

「良かった、食べてくれて……」

「このカクテル、ちょっと強いね。酔いが回るのが速い」

「疲れてるんですよ。少し横になってください」

「うん、ごめんね」

 目を閉じて、みんな、すぐに鼾をかき始めた。軽く揺すった程度では反応しない。エクスタシーを二錠、マイスリーは三錠、丁寧に磨り潰してチョコレートのガナッシュに混ぜてある。きっとアブサンのアルコールとも共鳴し合っているんだ。

 昏睡が早く起こる。眠りは深く、重い。

 念の為に、腕を腰の後ろで纏めてビニール紐で縛った。抵抗されたら困る。

 ロープを首に回す。思い切り引く。鼾が止まる。げうという妙な声が喉から響く。体がびくびくと痙攣する。無視してロープを引っ張り続ける。相手の力が抜けてぐったりしても、まだ手を緩めてはいけない。時計の針を見詰めて七分、首を締め続ける。もう少し、もう少し、もう少し。手が痺れて、ひりひりする。

 死んだかどうか、よく分からない。胸に耳を当てて心臓の鼓動を確認する。何も聞こえない。無音だ。安堵しているのか、絶望しているのか分からない。ただ、しなければならないからしている。だって、先生が望んでいるから。

 カバンからサバイバルナイフを取り出して死体の胸に当てる。この瞬間は、何度やっても慣れない。でも、心臓を取り出さなければ……

 そうしなければ先生になれない。

 弾力のある肌に刃先を沈ませるとジワリと血が滲み出た。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 泣いちゃダメだと思っても、勝手に涙が溢れて止まらなかった。

 先生に会いたい。あの人の為に殺しているのに、会ってくれないなんて酷い。

 怖い。怖い。怖い。怖い。ものすごく怖い――

 ああ、これじゃダメだ。先生になれない。彼ならこんな時、何て言う?

 忘れるわけない。

 先生の言葉だ。

 涙を袖で拭って顔を上げる。

 それを唱えれば強くなれて、すべてが上手く行くような気がしていた。

「為すべきことは、粛々と為されねばならない」



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