強欲 avarice_08

「よくコネがあったな」

「以前、AV売ってる事務所に案内したでしょ? 津谷さんの息子さん、某ゴシップ誌で記者兼カメラマンをやってるんですよ」

 その記者と思い出横丁の近くにある例の隠れ家的な志保のバーで待ち合わせしているとの事だったが、時計の針は深夜三時を回っている。志保もよく店を開けてくれたものだと感心する。

 二〇一六年、十一月七日。午前三時。

 風情のある雪洞に照らされた扉を開けると、カウンターでビールを飲んでいたのは、見知らぬ記者ではなく、なんと伊東美津留だった。

「どういう事だ?」

 振り返って問い質すと、晴翔は悪びれずに肩を竦めた。

「伊東さんからも会いたいと連絡を頂いて、でも新宿署には二度と入りたくないとおっしゃられたので、ここに来てもらいました」

「おまえ、そんな勝手な……」

「大丈夫ですよ。もう伊東さんの容疑は晴れて、聴取も終わってるんですから」

 家宅捜索で凶器が見付かり枩葉が犯人だと確定した時点で、伊東は取り調べから解放されていた。最初に会った時に、何か思い出したら連絡くださいと渡しておいた名刺が功を奏したという事だろう。ちなみに、二階堂も伊東に名刺を渡してあるのだが……

 志保は今回も気を利かせてくれた。晴翔に鍵を渡して、戸締りよろしくね、とウインクをして帰ってしまった。よくよく晴翔を信頼しているのだろう。

 志保が扉の向こうに消えた後、伊東は淡々と語り始めた。

「言わなきゃならないことがあります」

 要約すると、伊東は枩葉のレイプ動画を持っている、伊東がドラッグを飲まされて三嶋に凌辱されている動画は枩葉が持っているのではないか、という事だった。

 聞いて、二階堂は言葉に出来ない嫌なモノが食道をせり上がって来るのを感じた。

 三嶋の使ったのは知能犯がよく使う手口だ。クラウドにデータを保管すると流出のリスクがある。その点、お互いを知らない被害者同士に手渡しで他の被害者のデータを渡して保管させれば、どこにデータがあるのか分からなくなり、他人の弱味が記録されたデータを渡された被害者は自分の弱味も同じように誰かが持っているのだと思い知らされる。それぞれが保身の為に三嶋の脅迫に加担し、自分も弱味ゆえに縛られる事になる。

「その動画、今見られますか?」

 伊東は少し出し渋ったが、もとより見せるつもりでいたのだろう。晴翔が持参したタブレットをカウンターに乗せて催促すると、データの入ったUSBメモリをおずおずと差し出した。

「言っておきますけど、エグイですよ?」

 覚悟して再生する。

 言われた通りエグイ映像だった。

 男性同士の性交だからというだけでなく、枩葉が嫌がって必死に逃げようとしている事がありありと分かったからだ。哀願と悲鳴に、残虐な嘲笑が重なる。ぐったりとした枩葉に三嶋和臣が背後から覆い被さり、髪を掴んで乱暴に揺さぶっていた。枩葉は少しでも苦痛を和らげようとしてか身を捩る。それでも力が入らないようで、逃れる為に立てた腕が崩れてしまう。三嶋は枩葉に侮辱的な言葉を吐き、枩葉が顔色を変えると彼の首に手をかけ大笑いした。カメラは固定されているようで同じアングルが続いたが、興が乗ったのか三嶋はカメラと照明を持って、凌辱を受けた枩葉の身体を舐めるように映し始めた。はしゃいだ声で実況中継を真似ている。

 枩葉の虚ろな泣き顔がアップになったシーンで、晴翔は嫌悪に顔を歪め、感情を押し殺した声で呟いた。

「これ、枩葉はドラッグを飲まされてますね。おそらくMDMAです」

「どうして分かる?」

「瞳です。強い照明が当てられているのに瞳孔が開いていて、辛そうです」

 そう言われても判別できない。

「伊東さん、どう思います」

「たぶん、春夏秋冬さんの言う通りです。細かくは覚えてないですけど、アレが効いてる間は、すごく眩しいんです」

「MDMAは覚醒剤と同じくセックスドラッグと呼ばれています。全身の感覚が敏感になり、快感を増幅して、ちょっと説明しづらいんですけど、中途半端にインポになるらしいですよ。それで、射精は出来ない代わりにエクスタシーが延々と持続するらしいです。全身が性器になったようだという使用者の証言もあります」

 乾いた声で暗く笑って伊東は同意した。その通りです、と。

「三嶋は自分が楽しむ為に枩葉にもドラッグを服用させていたんじゃないでしょうか。ゲスな言い方ですが、征服する側としては、相手の反応が悪いと面白くないですから」

「なるほど……考えたくもないが、そうかもしれないな……」

 そう言った自分の声が変にくぐもっていて、二階堂は狼狽した。顎からぽたりと滴が落ちる。あっ、と自分の顔に手を当てた。濡れている事に驚いた。

「二階堂さん、泣いてるんですか?」

「枩葉が可哀想で……」

 涙声で言って、自分の弱々しい声にまたも驚き、慌てておしぼりで顔を拭った。

「こんな目に遭わされたら、俺だって殺すよ。三嶋和臣は殺されて当然だ」

 伊東は意外そうな顔でそんな二階堂を見ていた。

 動画の再生を終え、データのコピーとタブレットの片付けも終えたところで、タイミング良くドアベルが鳴り、店の扉が開かれた。三人の視線が一斉に集まる。入口に現れた三十代前半に見える太った男は、妙なムードで注目されて困惑したようで、愛想笑いを浮かべて「店間違ってないよね」と頭の後ろを掻いた。

「お待ちしていました」

 動画のショックを見事に払拭して、晴翔は明るく立ち上がって男を迎え入れ、男は晴翔にぺこりと頭を下げた。

「どうも、いつも親父が世話になって」

「こちらこそ、津谷さんには良くして頂いてます」

 早速ですが、と本題に入る。

「あの兵頭静香って色男の先生、ストーカー被害に遭っているようです。この写真を見てください。兵藤邸の郵便受けに、夜明け前にこっそりと封筒のようなものを投函している不審者です」

 A4サイズに印刷されたそれを見て、二階堂と晴翔は顔を見合せた。

「枩葉ですね。間違いない」

「しかし、どういう状況なんだ?」

「これが十月二十四日の午前四時頃、こっちは十月三十一日の同じく午前四時頃、どちらも事件直後の月曜日ですね」

「なぜ、月曜日の早朝なんだ……?」

 あっ、と晴翔は拳で掌を打った。

「月曜日──カフェが休みの日に犯行を報告してるんじゃないですか? 金曜の夜に殺人を犯し、翌日は寝ないで出勤し、店が繁忙する土日は無理を押して働き、やっと一息付ける月曜日、通行人のいない早朝に崇拝する作家に自分の偉業を誇示していると考えるとシックリいきませんか?」

「なるほど……じゃあ俺達は、この投函されたブツを確認すべきだな」


   ***


 翌朝、営業開始時間を待って『黄金の林檎』の出版元に電話し、兵藤静香の担当編集者に取り次いでもらった。兵藤先生を妙な騒動に巻き込まないでください、と哀願混じりで渋る女性編集者に、二階堂は脅迫紛いのゴリ押しで迫った。

「アポ無しで押し掛けてもいいんですよ?」

 自分も立ち会うと言い張る女性編集者に渡りをつけてもらい、その日の午後、兵藤静香に会いに行く段取りが整った。二階堂は兵藤邸の住所を見て奇妙な気分に囚われる。

 三鷹市――園部邸の近く、豪邸が立ち並ぶあの区画に、作家の邸宅もあったのだ。


   ***


 二〇一六年、十一月七日。午後。

 張り込んでいたマスコミにフラッシュを焚かれながら、二階堂と晴翔は、兵藤静香の邸に入った。

 兵藤静香は、謂れの無いバッシングを受け、世間の耳目を一身に集めている。

 理性的に考えれば、仮に創作物から影響を受けて異常な犯行に手を染める者があったとしても、その原因は犯人の異常性にあり、責任もまた犯人が負うべきであり、作者の責任を問うなどという愚劣なムーブメントは、表現の自由が保障された国で起こってはならないはずなのだが、連続猟奇殺人事件は異常者が兵藤の著作『黄金の林檎』の影響を受けたせいで起こった――だから兵藤静香は危険な犯罪使嗾者だという論調の報道のせいで、あってはならないバッシングが現実に起こっている。

 しかも、そのあってはならない事の原因になったマスコミが、自らの報道に煽られる形で報道合戦を繰り広げている為、邸の周囲には、取材陣によって蟻の入り込む隙間も無い監視網が敷かれていた。

 三嶋の事件がようやく下火になったというのに、鵜辺野の事件が発生して以来、ここ二週間ほど、再び強烈な取材攻撃に晒されているようだ。

 今この邸を訪れる人物は、それが宅配業者であろうが、ガスの検針員だろうが、担当編集者であろうが、刑事だろうが、容赦なくカメラのフラッシュに曝されるという事だ。

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