強欲 avarice_04

 本ボシだとは思ってはいないが、滝川が取り調べをする様子を傍で見ながら、伊東は何か知っているという感触を二階堂は得ていた。冤罪を出さない為にも吐かせなければならない。鬼役の滝川が意地悪く責め立てた後で、仏役の晴翔を出す。その作戦で落とすと決めていた。チャンスは一度だ。捜査の要になる容疑者の取り調べは、本来、本庁の捜査一課のデカの役目だ。新宿署の晴翔を何度も出せば軋轢を生む。

 取り調べ官は晴翔、二階堂は晴翔の補助官として立ち会う形になる。

 伊東の向かいに座った晴翔は殊更やんわりとした態度で臨んだ。

「伊東さん、俺はあなたを疑ってませんよ。ねえ、話してください。三嶋さんに何か弱味を握られていたんじゃないですか?」

「なんで今さら三嶋の事を訊くんですか……?」

 ぼんやりした声で言って、伊東は疲れ切った顔を上げた。

「ねえ、伊東さん、調書には書きませんから、ここだけの話として、打ち明けてくれませんか。このままだと、あなた、犯人に仕立て上げられてしまいますよ」

 伊東は不思議そうに晴翔の顔を見詰める。信じていいのか、罠なのか、逡巡が手の震えに現れていた。伊東は取り調べに同席している二階堂の方もチラリと見た。二階堂は無関心な態で頷いてやる。ハッとしたように伊東は目を見開いた。二階堂と晴翔はじっと伊東の言葉を待つ。二度、喘ぐように息をつき、伊東は天井を見上げて固く目を瞑った。

「本当に、ここだけの話にしてくれますか?」

 晴翔は震えている伊東の手に自分の手を重ねる。伊東は驚いて晴翔の顔を凝視する。晴翔は伊東の目を真っ直ぐ見詰め、黙ったまま微笑んだ。その瞬間、がくんと頽れるように伊東は全身の力を抜いた。

「三嶋に……三嶋と寝る時に薬を飲まされて……違法薬物だって言われて、動画を撮られたんです。データは誰かに預けてあるって言われて……逆らったら警察に匿名で送ってやるって……だから、だから、そんな事、誰にも言えなくて……」

 伊東はすすり泣きを始めた。

「連続殺人は、本当に俺じゃないんです。俺は、人なんか殺せない……」

「伊東さん、よく言ってくれました」

「本当にここだけの話にしてくれるんですよね」

「大丈夫です。大丈夫ですよ。常用してないんですよね?」

「あの時の一回きりです。何年も前です」

「安心してください」

 晴翔が力強く頷くと、伊東はぼろぼろと涙を零して両手で顔を覆ってしまう。

 何年も前、しかも一度きりなら、捜査しても証拠不十分で不起訴になるだろう。今は起訴できない事案に関わっている暇は無い。そもそも騙されて飲まされたなら伊東は傷害事件の被害者だ。

 ひとしきり泣いて落ち着いたのか、そこから先、伊東は素直に聴取に応じるようになった。だが、予想に反して大した事は知らないようだった。何か手掛かりになる情報を得られないかと、晴翔は粘った。

「誰か、三嶋さんを恨んでいた人物に心当たりはありませんか?」

「分かりません。和臣は外面の良い奴だったんで、俺みたいに陰で脅されてた奴はいたかも知れませんけど、そんな話、相手も被害者で尚且つ信用できるって確証が無ければ出来ませんよね。それに、あいつ……三嶋は人を思い通りにするのが上手いんです。こっちが窒息して我慢できなくなるギリギリで、ふっと優しくしてくれるんですよ。だから、酷い奴だって分かってるんですけど、ゲイバレが怖くなった原因とか打ち明けられると……どんな酷い目に遭わされても、そういうのも俺に対してだから甘えてるのかなと思って、許しちゃうんですよ」

 伊東は自嘲するように暗く笑った。

「今、冷静になって思い返すと、あいつには全然優しい所なんて無いんですけどね。俺はただ都合良く利用されてただけで、ずっとあいつに騙されてたんだって分かります」

 複雑な愛情が見え隠れする。伊東は三嶋和臣を愛していたのだ。

「俺、バカだったから、あいつの裏の顔は誰とも何も話してません。ただ……」

「ただ?」

「一人だけ……気になる奴はいます」

 静電気のようにピリリと予感が走る。

「冗談かも知れませんけど、ちょっと気になる言い方をしてたんで……」

「三嶋さんは何て言ったんです?」

「エグイ言い方でしたよ。こいつ俺の奴隷なんだよって……」

 奴隷――

「それは、まあ、悪趣味ですね」

「仕事の打ち合わせで出掛けた時、たまたま吉祥寺の駅前で会ったんです。和臣は上機嫌で、こいつ俺の奴隷なんだよって笑って、そいつの肩に腕を回しました。どこの誰か分からないですけど、その時は、龍之介なんてふざけた名前で紹介されましたよ。芥川龍之介の龍之介。そう言われたんで記憶に残っていて……恋人ってムードじゃなかったですけど、カムしてない奴だったら、彼氏といても不愛想なのも分からなくもないかなと……」

 二階堂はルールを無視して伊東に言葉を掛ける。晴翔には出来ない念押しだ。

「どうして今になってその話をする気になったんです? 苦し紛れに嘘をついているんじゃないですか?」

 伊東はキッと二階堂を睨んだ。

「別に、もうどう思われても構いませんけど、俺は本当に違います。誰も殺してなんていません」


   ***


 二〇一六年、十一月五日。午後八時。

「伊東の話、どう思う?」

 取調室を出て、休憩室に向かって歩きながら二階堂は晴翔に問い掛けた。

「龍之介……」

 晴翔は顎に手を当て何かを思い出そうとするように小首を傾げる。

「確か、三嶋和臣の小学生の頃の親友がそんな名前じゃなかったですか?」

 言われて二階堂も思い出す。確かに、三嶋千尋が口にした名前だ。

「十五年前に別れたきりの親友……古過ぎると思ったが……」

 自販機で買った缶珈琲を二階堂が放り、晴翔は片手で受け取り、軽く頭を下げた。

「二階堂さんは、伊東さんが真犯人ホンボシじゃないと思ってるんですよね?」

「ああ、最初は疑っていたが、今は違う」

 プシッ、と景気の良い音が響き、鼻先に香ばしい珈琲の香りが広がる。二階堂は一気にそれを飲み干した。酷く喉が渇いていた。晴翔もプルタブを引いて缶を開け、疲れた顔で口を付け、はあ、と重苦しい溜息をつく。

「ヤバいですよね。滝川さんはイケイケですし、伊東さんはだいぶ参ってて自暴自棄になりかけてます。明日も任意で引っ張られて絞られたら、やってなくてもやったと言い出しかねませんよ。このままだと冤罪になりますよ?」

「それはマズイな」

 警察の威信にかけて――と暴走し、冤罪被害を出す事はなんとしてでも防がねばならない。それに、冤罪が発覚すれば、事件を解決できなかった場合よりも、もっと深刻に早瀬あずさの経歴に傷が付く。自分達も拙い立場になる。なによりも、正義を行うはずの警察官のプライドが地に落ちてこのうえなく惨めになる。絶対に避けたい。

「だが、他に被疑者がいなければ、上は面子にかけて伊東を落とせと言うだろうな」

「無理も通せば道理になると思ってる節がありますもんね。まあ、早瀬さんもホシを落とせと上から圧力をかけられてるみたいですね」

「おまえ、それ、誰から聞いた?」

 二階堂は思わず晴翔の胸倉を掴んでしまっていた。彼女と自分との橋渡しをしてくれる態でいながら、裏切って早瀬あずさと親しくしていたのか──としょうもない勘繰りが湧き、晴翔への気安さもあって衝動を抑えられなかった。大人げない。

「ちょっと二階堂さん……今はそんな話してる場合じゃないでしょ」

 気色ばんだ二階堂に胸倉を掴まれ、晴翔は焦って誤魔化し笑いをする。二階堂は話を逸らす気満々だな、と文句を言ったが、晴翔は、後で話しますから、と半笑いで二階堂をなだめる。

「糞ッ、分かったよ……」

 仕方なく二階堂は追及を諦めた。今は嫉妬で腹を立てている場合ではない。

「二階堂さん、俺に対してやっと素直になって下さったのは嬉しいんですけど、大変な事を忘れてませんか? 伊東さんが犯人でないなら、連続猟奇殺人を犯している本物の犯人は自由に外を歩き回っているって事ですよ。見付かっていない水晶の動物が二体残っています。というコトは、奴はあと二人殺すつもりです。一刻も早く見付け出さなければ、また犠牲者が出ますよ」

「あと二人──?」

 またも誰かが殺されるかもしれないのか……

 二階堂は真顔になり、晴翔の胸倉から手を放した。

「どうする?」

「どうせ八方塞がりなんです。その龍之介を当たってみましょう。在籍していた小学校の記録を洗って龍之介が預けられていた養護施設が分かれば、その関係から現在の所在まで辿れるかも知れません」

「龍之介なんて、ただのあだ名か、ハンドルネームかもしれんぞ?」

「伊東さんの嘘か、でなければ偶然の一致かも知れませんね。でも、本名かも」

「可能性は薄くても、当たってみるのが刑事だったな」

 二階堂は深く息を吸い、自分の顔を両の手の平で叩いて気合を入れた。

「よし、行こう。龍之介、何か知っているかもしれない」


   ***

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